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2008年11月 4日 (火)

漂う権利

2008.11.3付 朝日歌壇より

前通るたびに目の合う男いて喫煙コーナーに漂う権利:(豊中市)武富純一

「鯉の大口」という記事で武富さんの歌を紹介したら、コメントを頂いてしまいました。「言葉」のプロでいらっしゃいます。

最近は、嫌煙権がかまびすしい。私自身は禁煙してもう20年にもなりましょうか、喫煙はしませんが、世の中全体の「非寛容」な雰囲気が窮屈でなりません。

どうせ、人間なんて大差ないんだし、人間ののすることはもっと、ゆるやか、適当、「いいかげん」が良い加減なのではないだろうか?と思うたちです。

「人間みんな糞っ垂れ」という真実を悟ったのは、30代の頃でしたでしょうか。食べてウンチして生きていくことにおいて、すべての人間は変わりはなのです。

人と人の間=「人間(じんかん)」を、ギシギシときしませながら生きていくよりは、ゆるいほうが生きやすくていいじゃないですか。

と、老案山子は思うわけです。

◆ちなみに、私の禁煙は。自分がものすごい意地っ張りだということを自分自身に対して適用して実行しました。

10個買いしていたたばこを5,6個残した状態で、封を切った箱のなかに10何本かを残した状態で、吸いがら山盛りの灰皿をすぐ脇に置いて、ライターも置いて、時々、一本引っ張り出しては鼻にくっつけて匂いをかいで「これ吸うとうまいんだよなぁ」「おまえやめたんじゃないの?軟弱者め」とつぶやきながら、やめたのでした。

煙草を吸わないと、禁断症状で自動車の運転時などに離人症的な状態になります。信号が赤に変わったことはもちろんわかるけれど、それがどうした?私と一体どういう関係があるの?という気分になって、出来事すべてがガラス板の向こう側でのことに思えてきてしまいます。

そこで、5月の連休、4,5日車を運転しなくていい日に、エイヤッと禁煙して、ひたすらじっと意地を張って、耐えていました。コーヒーなんかはたばこを吸いたくなる、とかいうから、かえって積極的に飲みました。飴なんか舐めませんでした。

意地っ張りですねぇ。

以降、週、月、年、一切関係なく、吸いたいとは思わなくなったのです。

酒をやめたときも同じやり方で。意地でやめてしまった。

身軽になりましたよ。

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崩彦俳歌倉」カテゴリの記事

コメント

私も禁煙して20年ほどになります。
でも、お酒は止められそうにありません(^^)

肝臓の検査値がオーバーしたので、エイヤッとやめました。その後、ごくたまに、お酒を口にすることはあったのですが、もう「酔った感じ」を不快感と感じるようになっていました。自分の体なのに意志のコントロール下からはずれてくるということが、もう嫌になっちゃたんですね。

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