ガラスの糸
2008.11.9付 朝日歌壇より
美しきガラスの糸のようだった実験室の思い出はいつも:(鎌倉市)大西久美子
さて、この実験室は何の実験室だろう?と思ってしまうのです。
私は大学も、教員としても化学実験室で長く過ごしてきましたから、つい化学実験室であるように思ってしまうのですがいかがでしょう?
化学では、自分に必要なガラス器具の一部を自分で作るということはよくあることです。
いわゆるガラス細工ですね。ガラス細工をすると、これまた、必ずと言っていいほど、細く引いたガラスの糸ができます。毛細管そのものが必要な時もあるし、何かをつくった最後に、余分な部分が糸を引いたり。
ガラスの糸やガラスの膜は日常の事でした。どれも繊細で美しいものです。そんな自分の記憶に引き寄せて、この歌を化学実験室かな、と思って読んでいるのですが、違うかなぁ。美しく、繊細で、はかない記憶があるのかな、と。
生物系の実験室でもガラスの糸はなじみ深いものなのでしょうか?
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