虫の音
2008.11.24付 朝日歌壇より
邯鄲の音(ね)の絶えし宵電話よりこぼれる幼のまんまるい声:(東京都)狩集祥子
もちろんお孫さんの「まんまるい声」ですよね。次の俳句でも示されるように、お孫さんがいればいたで、とてもにぎやか。邯鄲の声を聞く暇もなく、音量も声の方が大きいでしょう。
邯鄲の声の不在に入ってきた、遠めの電話の声、だからこそ、そこに「まんまるい」という表現が生じたように感じました。
2008.11.24付 朝日俳壇より
子供らの帰つた後に虫時雨:(流山市)荒井久雄
にぎやかで、ちょっと忙しかった「子供ら」の来訪。当然、これもお孫さん連れでしょう。そのにぎやかな「うれしい嵐」が通りすぎていった後の静寂に虫時雨が入り込んできて、音の存在が静寂を際だたせるわけです。
今、虫時雨を聞いているのは、ご夫婦かな。役目としての「じいじ、ばあば」を終えて、夫婦に戻った時の静かな温かい時間です。
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