« 寒柝 | トップページ | ヤツデの花に来ていた虫(2) »

2008年11月27日 (木)

観音菩薩

2008.11.24付 朝日歌壇より
死刑囚が描きし絵画の作品に観世音菩薩多くを占める:(京都市)後藤正

「用終えし」というタイトルで書いた記事に頂いたコメントに、私はこんなことを書きました。

 「菩薩」というのは、自分自身が悟り彼岸へ去ることを棚上げにして、すべての衆生が救われるまで、この世にとどまり続けることを「意志」した存在のことです。菩薩行といいます。
 地蔵菩薩然り、観音菩薩然り・・・この世にありとあらゆる存在が菩薩であるのです。
 思うに、リアカーは、人の生まれ、育ち、仕事をし、去りゆくというすべてのシーンに立ち会っている「菩薩」なのかも知れませんね。

 死刑を受けねばならないようなことをなしてしまった人が、そうなる前に、このこと、つまり「この世にありとあらゆる存在が菩薩である」こと、そこまでいかなくとも「この世のすべての人が菩薩である」ことを知ることができていたなら。死刑になることはなかったのではないか、間に合わなかったか、と哀しい思いがあふれてしまいます。

« 寒柝 | トップページ | ヤツデの花に来ていた虫(2) »

崩彦俳歌倉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 寒柝 | トップページ | ヤツデの花に来ていた虫(2) »

2023年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ