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2008年11月

2008年11月28日 (金)

うつせみ

1120nukegaraヤツデの花や、その花に集まる虫たちを撮影していた、その株です。

ふと下を見たら、葉の上にセミの抜け殻がありました。夏の名残りがこんなところにひっそりと。
秋も深まってこんなところに発見すると、なんだか「詩的」な気分にはなりますね。

広辞苑第五版から

うつせみ【現人】(ウツシ(現)オミ(臣)の約ウツソミが更に転じたもの。「空蝉」は当て字)
①この世に現存する人間。生存している人間。万葉集1「―も妻を争ふらしき」
②この世。現世。また、世間の人。世人。万葉集4「―の世の人なれば」。万葉集14「―の八十ヤソ言の葉ヘは繁くとも」

うつ‐せみ【空蝉】(「現人(ウツセミ)」に「空蝉」の字を当てた結果、平安時代以降にできた語)
①蝉のぬけがら。  夏 。古今和歌集哀傷「―は殻を見つつも慰めつ」
②転じて、蝉。後撰和歌集夏「―の声聞くからに物ぞ思ふ」
③魂がぬけた虚脱状態の身。新内、藤葛恋柵「身は―の心地して」
④源氏物語の巻名。また、その女主人公の名。伊予介の妻。源氏に言い寄られるが、その身分や立場のゆえに悩む。夫の死後は尼となり、やがて二条院に引き取られる。

うつせみ‐の【現人の・空蝉の】枕詞:「身」「命」「世」「人」「妹」にかかる。万葉集1「―命を惜しみ」

まるっきり季節がずれてしまったこの状態を詩的には何と表現したらいいのでしょうね?
「冷まじい(すさまじい)」とでもいうのかな。秋の季語だというのが気にくわないけれど。

地上の生を終えて 地下に戻りしか 冷まじや:崩彦

こんな具合でいかがですか?

ネコハグモ

1120nekohagumoネコハグモです。

ずいぶんおなかが大きいという気がします。
葉に少し糸が見えますが、これはもう巣という感じではないですね。
産卵して死ぬのかな?
それとも卵の面倒をみてから死ぬのかな?

いや、本当に秋は、生と死がすごいスピードで交錯する季節です。

ルリチュウレンジ

1117rurityurenji21さっきのルリチュウレンジの写真は真っ黒けだったのですが、思い立って少し「薄めて」みました。

真っ黒、というのは要するに大量の色情報が詰まっているといってもいいので、薄めてしまうと色が見えてきます。

ガンマ値とコントラストとトーンを少しいじりました。
普段はなるべくトリミングだけにしていますが、色そのものをいじらなければ、まあいいか、とやってみました。
この操作で、サイズは同じままで、元が201KBあった写真が、93.3KBになってしまいました。薄まりましたねぇ。情報が失われた結果、色が出てきたといえます。

かなり青が現れてきましたね。「ルリチュウレンジ」ですから「ルリ色」なんですね。



青空

1121blueskyこのサムネイル、ぜひクリックしてみてください。
おそらく、ばかばかしさに笑えることでしょう。

何にも説明はいりませんね。

青空。

あんまり無愛想でもいかんかな、とサービス品を一つおつけします。
1121helicopter
ヘリコプター。

説明いりませんね。

昔話:20歳の夏。北海道をリュック一つ背負って「カニ族」というスタイルで旅行していました。雨の稚内で駅構内に寝かせてもらえず、駅の外の軒下で寝袋に潜り込んで寝ましたっけ。網走のお寺で納骨堂の隣室に寝かせてもらって朝は庭掃除でお礼をしたり、食堂の2階で寝たというのは贅沢でしたね。アイヌの方が木彫ペンダントを彫っているのを一心に眺めていたら、おいあんちゃん、あんた彫ってみないか、などと気に入られて話し込んだり。

持ち歩いていたカメラは、ハーフサイズ一眼レフ「オリンパスPEN-FT」。35mmフィルム一コマを二つに分割して撮影するんです。今の人には信じがたいでしょうね。高性能機でした。

 「原生花園の青空」というただひたすら青いだけの写真とか、「摩周湖の霧」というただひたすら灰色だけの写真などを撮って遊んだものです。DPEにだすと、撮影ミスと勘違いされてプリントしてくれないんですね。で、もう一回行って、「これは写っているんですからプリントしてください」と強く頼みこまないといけなかったことを思い出します。

 今、デジカメでは、どんなばかばかしい写真を撮っても文句をつけられることはありません。「冗談写真」は楽しいですよ。

金星と木星

1120venusjupiter11月20日、17時58分です。

右下に明るく輝いているのは「宵の明星」=金星です。

左上の明るい星は、木星です。

ISO-400、35mmフィルムカメラへの換算で80mmの望遠です。
f5、3.2秒の露光です。

オリンパスE-510を三脚に据えての撮影です。

感度が高いんですね。恒星まで写ってますよ。
星座には関心がないもので、何座の星なのかはよく分かりません。

電線が邪魔だなあ。我が家から見る空はどうやってもこの電線が写り込んでしまうのです。
かなしい。

夜はひたすら眠くなってしまうかかしさんは、星空は苦手です。夜は眠るためにあるんですっ。

シャコバサボテンの花

1120shakoba1シャコバサボテンの花が咲いています。

メシベは花弁と同じような美しい赤。
どうやら、花柱も柱頭も同じように赤いようです。

それを取り巻いているのはオシベです。

拡大してみますね。
1120shakoba2
オシベの花糸が銀色に輝いてきれいです。

真正面から見たらどんな風なのかな?とアングルを変えてみました。
1120shakoba3
花弁の輝きが思った以上に美しく撮れました。

輝いています。

さて、実はなるのかな?種はできるのかな?
あまりそういう感じでは見ていなかったのですが、どうだったでしょう?

アロエの花

1120aloeflower11月20日の様子。

下の方から赤くなってきました。

上の方はまだ固く鱗状。

下の方の花もまだ上向きです。

11月26日の姿。
1126aloe1
花が咲き始めました。

咲いた花は下を向きます。

アップにしてみると
1126aloe2
オシベがのぞいているのは分かります。
ひょっとしてメシベの先端も出ているのかな?

下から撮りたいのですが、よそのお家の前ですし、しゃがむのはまるっきり苦手ですから、もう「勘」で、レンズの中央が花の先端をとらえているだろう、とシャッターを2,3回切って、家へ帰ってから成果を見ました。
1126aloe3
意識していなかったのですが、空は青空。花を下から撮ったのですから空が背景に映るのは当たり前なんですけれど、きれいでした。

画像を見て、何がどうなっているのか、あまり良く分からないのです。

メシベがフラスコ状になっているのかなぁ。
液滴のようにもみえるけれど、そういうことはないだろうなぁ。

チャンスがあったら中をもっと詳しく見たいのですが、あんまりしつこくやっていると、不審に思われそうですので、こんなところが限界でしょうか。
ご自宅でアロエの花が咲いていたら、ぜひ中を覗いてみてください。

ヤマトシジミ

1117yamatosijimi表題はヤマトシジミとしましたが、よく見るといろいろ入っています、この写真。

タンポポが咲いていて、シジミチョウが来ている。

ルコウソウのクシの歯状の緑の葉が写っていて、そのルコウソウの実が黒く熟しています。

ネコジャラシも熟しきっています。

花や実や葉や、季節がごちゃまぜの写真になっています。撮る時にも少し意識していて、トリミングするときにわざわざこんな風にしてみました。

秋ですねぇ。

ルリチュウレンジ

1117rurityurenji1ほとんど野生化したような、四季成りイチゴの実が赤く実っています。

なんだか黒いものが・・・と思って近づいてみると。

ルリチュウレンジが交尾中。

1117rurityurenji2
黒く輝いてしまって、(日本語的に「変」かな?黒って輝くかな?)ディテイルがよく分からない昆虫です。(ブラック・メタリックとかいえばカッコいいかな。)

ミフシハバチ科のハチです。幼虫がツツジの葉を食害するというので有名だと思います。

1117rurityurenji3 横からのショット。

ピントはほぼ合っていると思うんですが、どうも詳細な部分の写りにくいやつですね。
越冬はどうするんでしょう?この時期の昆虫を見ると気になります。メスが成虫で越冬するのかな?産卵してもツツジの葉はなくなりそうだし。わかりません。

中国名では、 「杜鵑葉蜂」というのだそうです。「杜鵑」はツツジのことなのだそうです。


また ナミテントウ

1121namitentou2これもナミテントウです。

前の記事のナミテントウは黒かったですが、こんな斑紋のもいます。

同じ種か?と疑いたくなりますね。
この時はなんだかボケた写真しか採れませんでした。(11/21)
1125namitentou3
11/25 大分すっきりした写真が撮れました。

同じ個体だと思います。同じ場所でしたから。
白い部分に黒い模様。
1125namitentou4
なんだかパンダ模様に見えませんか?

実はこれを逆さまにすると、ドクロ模様にも見えるんですけどね。

パンダの方がかわいくていいでしょう。

実際の複眼は一番下に見えている黒い部分です。

ナミテントウ

1117namitentou1ナミテントウがセンダングサに来ていました。

幼虫も成虫もアブラムシを食べますが、ここに今いるのかな?

私の肉眼ではわかりません。えさ探しに必死なんですね。

1117namitentou2 あちこち忙しく歩き回っています。

1117namitentou3
ちょっと振動が伝わったら、茎にしがみついてしばらく動かなくなりました。
悪いことしてしまった。ゴメン。

結構、見かけます。成虫で冬を越します。栄養を蓄えて、越冬に備えなくっちゃね。

2008年11月27日 (木)

びわ

1117biwa11月17日。

ビワのつぼみです。

毛むくじゃらでフカフカ。あったかそうなつぼみです。
1119biwa1
11月19日。

花が咲き始めました。

地味ですがかわいい花ですよ。
1119biwa2
典型的な構造のようです。

ところで、どうも、情けないことに、我が家でちゃんとビワが実ったことがないんですよね。
なんでだ?

今年はどうなるか?観察を続けます。

アサガオの実

1117asagaoアサガオの実です。

これは自然に交配してできたものですから、親株とは性質が違うはずです。

どんな花が咲くのかは分からないのです。

それが「遺伝的多様性」ということです。
種屋さんで買う種は「純系」で、咲く花を保証しますが、自然に交配するともう、どうなっちゃうかは分かりません。

交配によって、遺伝的に多様なものを生み出していく、それが動植物全体の戦略です。それによって生態系の隅々まで進出し、生態系が変化しても耐え、まだ生態系の進出していないところへも進出していく。

遺伝的多様性とは、そういうパワーの源なのです。

園芸家は嫌がるかもしれませんが、こういう自然な種の方が私は好きです。

アカヒメヘリカメムシ

1117akahimeherikamemusiもうかなりくたびれてきたブルーサルビアの花にいました。

何だか、いつも見るカメムシより色が赤いなぁ、と思って撮影しておいたのですが、アカヒメヘリカメムシのようです。

http://www.insects.jp/kon-kameakahimeheri.htm  によると

カメムシ目>カメムシ亜目>ヒメヘリカメムシ科>アカヒメヘリカメムシ です。
学名:Rhopalus macuratus
赤味がかった黄褐色で、光沢があり、体が細い毛におおわれているカメムシ。
平地・山地の草原で普通に見られる。イネ科、タデ科、キク科など、さまざまな植物に付き、水田を加害することも多い。

ということでした。でもなぁ、花に来てました。冬が近いせいでしょうか。

ぬけがら

1115nukegara1玄関ドアを開けたら、すぐ左の壁にくっついていました。
最初は何かの昆虫がくっついているのか、と慎重に接近して写真を撮り始めたのですが、よく見ると、これは抜けがらでした。
1115nukegara2
なんでしょう?

尾角というのかな、後ろに長く伸びている構造。これって、カゲロウの仲間みたいな気がするんですが・・・。

この場所は我が家のトンボ池から、直線でも5m以上あります。歩いてきたら倍近くなるんじゃないかな。
そんなところから、来るか?

流水ではなくてもいいのか?

シロハラコカゲロウというのが一応の候補なんですが、でも、やっぱり基本は渓流でしょ?渓流でなくてもやっぱり流水がいいんじゃないのかなぁ?

不明です。

クロウリハムシ

1115kurourihamusiタンポポに来ていました。

花を食べているのか、蜜を吸っているのか。

でも、君、葉虫でしょ?

もうなんでもいいのっ!と言われてしまいそうですね。
コントラストが鮮やかでした。

ブチヒゲカメムシ

1115butihigekamemusiブチヒゲカメムシです。

カメムシというと、刺す口で、植物の茎に口を刺して液を吸うというのが基本だと思うのですが、これはセイタカアワダチソウの花にとまっていました。
花の正面から、ということではなさそうですが、花を横から刺して蜜を吸っているのかな?
なにせ、冬も間近。昆虫たちにとって餌が減ってきています。もう何でもかんでも食べることにしたのでしょうか。

ヤツデの花に来ていた虫(3)

1123haeonyatudeキンバエではないかと思うのですが、アブほどのんびりしていてくれませんで、すぐに飛び去ってしまいました。

やはり舐める口を伸ばしていますね。

ヤツデの花の方はもう、花弁とかオシベとかが落ちてしまっています。
1121yatude
その状態はこんな具合です。
なんだか愛嬌のある姿になりました。
まだ、メシベの根本に液体がついているようです。蜜のサービスでしょうか。
このあと、実が熟してくるはずです。今年はじっくり観察してみることにしましょう。

ヤツデの花に来ていた虫(2)

1117hosohirataabu1ヤツデの花の前でいろいろ見ていたら、アブがやってきて、眼前で見事なホバリングを披露してくれました。
おかげで、こんなきれいな空中停止写真が撮れました。

1117hosohirataabu2 ホソヒラタアブではないかと思うのですが、腹部背面の模様が、少し違うような気もします。詳しい方のご確認を待ちます。
翅の付け根の後ろに平均棍がきれいに写っています。
また、平均棍の後ろのあたり、腹部の縁にふさふさした毛が生えているんですね。初めて見ました。
1117hosohirataabu3
口を伸ばして、蜜をなめているようです。
1117hosohirataabu4
こちらはその口を少し離したところ。

舐める口、というのがよく分かるのではないでしょうか。
ハエやアブの舐める口には、このヤツデの花は適しています。
植物も呼び寄せる昆虫をいろいろ選択しているのです。ヤツデの花ではチョウは来づらいことがお分かりでしょう。

近寄って眺めるといろいろな面が見えてきます。好きにならないまでも、ハエやアブを見直していただけると嬉しいと思います。

観音菩薩

2008.11.24付 朝日歌壇より
死刑囚が描きし絵画の作品に観世音菩薩多くを占める:(京都市)後藤正

「用終えし」というタイトルで書いた記事に頂いたコメントに、私はこんなことを書きました。

 「菩薩」というのは、自分自身が悟り彼岸へ去ることを棚上げにして、すべての衆生が救われるまで、この世にとどまり続けることを「意志」した存在のことです。菩薩行といいます。
 地蔵菩薩然り、観音菩薩然り・・・この世にありとあらゆる存在が菩薩であるのです。
 思うに、リアカーは、人の生まれ、育ち、仕事をし、去りゆくというすべてのシーンに立ち会っている「菩薩」なのかも知れませんね。

 死刑を受けねばならないようなことをなしてしまった人が、そうなる前に、このこと、つまり「この世にありとあらゆる存在が菩薩である」こと、そこまでいかなくとも「この世のすべての人が菩薩である」ことを知ることができていたなら。死刑になることはなかったのではないか、間に合わなかったか、と哀しい思いがあふれてしまいます。

寒柝

2008.11.24付 朝日俳壇より
風の玉ねらひ寒柝(かんたく)放ちけり:(羽村市)寺尾善三
 長谷川櫂 評:見えるはずのないものを、たしかに見ている一句。

たく【柝】:拍子木。「―を打つ」「撃柝・寒柝」[広辞苑第五版]
かん‐たく【寒柝】冬の夜寒に打ち鳴らす拍子木の音。[広辞苑第五版]
木が入る:(多く「柝が入る」と書く) 芝居や相撲で、開幕・閉幕などの合図に拍子木が打たれる。[広辞苑第五版]

11月より、もう少し季節が進んで、キリキリと寒気に締め付けられる透明な夜のイメージがします。
 「カーン」というのかなぁ、拍子木の「一音」が風の玉を切り裂いていく。

拍子木の音も、風の玉も、どちらも目に見えませんが、明らかにイメージの世界の実在です。

世界を切り裂く刃の一閃が目に見えます。

鵙の贄

2008.11.24付 朝日俳壇より
たつた今刺されしばかり鵙の贄:(柏市)牛水里人

 また老爺心。「もずのにえ」です。

百舌の速贄(ハヤニエ):(モズの捧げる初物の供物の意) モズが秋に虫などを捕えて木の枝に貫いておくもの。翌春、他の鳥の餌に供されてしまうとしていう。[広辞苑第五版]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%BA
ウィキペディアです。↓

 食性は動物食で、昆虫類、節足動物、甲殻類、両生類、小型爬虫類、小型の鳥類、小型哺乳類等を食べる。樹上等の高所から地表の獲物を探して襲いかかり、再び樹上に戻り獲物を食べる。捕らえた獲物を木の枝等に突き刺し(早贄)たり、木の枝股に挟む。
 秋に最も頻繁に行われるが、何のために行われるかは実際よく分かっていない。早贄を後でやってきて食べることがあるため、冬の食料確保が目的とも考えられるが、そのまま放置することもしばしばある。近年の説では、モズの体が小さいために、一度獲物を固定した上で引きちぎって食べているのだが、その最中に敵が近づいてきた等で獲物をそのままにしてしまったのが早贄である、というものもある。しかし、餌付けしたモズはわざわざえさを早贄にしに行くことから、この説も疑わしい。稀に串刺しにされたばかりで生きて動いているものも見つかるが、大抵(特にカエルは)ショッキングな姿を晒す。

 東京に住んでいるとほとんどお目にかかりません。鳥は生態系の上位の生物です。私のように生態系の底辺近くの「昆虫」が好きな人間にとっては、鳥は激しい生き物です。あんまり庭の木の間に潜り込んでほしくはないなぁ。どこかの愛鳥家さんの餌台で食事してください、と愛虫家は頼みたいのです。
 虫が嫌いで愛鳥家、というのも身勝手な話だよなぁ、とも思うんですよ。

マフラー

2008.11.24付 朝日俳壇より
マフラーの似合ふ背丈となりにけり:(東温市)和田順子
 大串章 評:あの小さかった子供が、もうこんなに大きくなった。「マフラーの似合う背丈」という言い方に実感がある。

 大串さんはシンプルに「大きくなった」と解釈されました。なるほど「背丈」とは基本的に身長のことでしょう。でも、ちょっと踏み込んでみたいのです。「背丈」の中にある種の「恰幅」を読み取りたい。男の子は高校生くらいになると、突然、「大きくなる」。それは背丈だけではなく、肩の広さであり、胸の厚みであり、ひげが生えてくる男くささです。
 そういう、男としての存在感が急速に増した時に「マフラーが似合う姿」が生じてくるような気もするのです。
 私、高校生が基本的に好きでした。高校の教師になりたくてなったんです。大人であって大人でない。子どもであって子どもでない。高校生の鋭い感性と、批判能力に我が身をさらしたい、それが私の基本にあったのです。
 マフラーの似合い始める年ごろですよ。
 老人のマフラーは「かっこいい」とは言い難い。どこか寒々しい。
 マフラーって結構難しいアイテムだと思います。

 ところで、このブログの読者のお母さん方に一言。男の子が大人になると、突然優しい大男として母親の前に現れますよ。お楽しみに。

どんぐりの目利き

2008.11.24付 朝日俳壇より
どんぐりの目利きなりしはその昔:(岡山市)光畑勝弘
 長谷川櫂 評:どんぐり独楽にするには、どのどんぐりがいいか。その目利きとは愉快。

 子ども時代には、子ども独特の技があります。大人になって、そう、子どもの頃こんなことをしたんだったよなぁ、と記憶ははっきりあって、全体像は思い出せる、でも、再現しようとしても、どうにも「わざ」を失ってしまっている、思いだせない、回復不能・・・、そんなことってあるんですよねぇ。

 子供時代、どんぐりを拾えば、即座に「目利き」ができたのに、昔は目利きができた、ということ自体は確かに思い出せるのに、今はできない。そんな「へだたり」「じれったさ」「なつかしさ」が詠みこまれていると感じました。

紅葉

2008.11.24付 朝日俳壇より
紅葉に不満発する突如なり:(熊谷市)内野修
 金子兜太 評:突如不満激発。紅葉に触発されたか。

 まことに怖れ多いことですが。金子先生の「評」、これ「評」っていうのかなぁ?トートロジーじゃないのかなぁ?大家が一言発するということは、きっと「おおごと」なんだ、と思いますが・・・。

 その激情はなんだったのか?その中身までは窺い知れません。美しい紅葉、静かに浸っていたい美、にもかかわらず騒々しい紅葉狩りの人だかり・・・そのあたりの齟齬感が「不満」を発させる引き金だったでしょうか?
 それとも、もっと詩的に、視野を覆う紅葉の激しい赤が、そのまま心の激情となって燃え上がりはじめた。
 そのあたりの機微が気になるところです。

自由な時間

2008.11.24付 朝日俳壇より
毎日が自由な時間日短:(芦屋市)田中節夫

 これは私のことを指しているのではないでしょうか。最近とみに時間の過ぎていく速さが増してきた。赤ん坊の時間は強烈に濃密で長いのに、この年齢に来て、毎日が自由なんですけれど、振りかえって「一日5行日記」に書くべきことが、たったの1行しかないんですねぇ。私は一体この一日何をしていたのかな?と我ながらに不審な日々です。
 昔、職業に就いていて、それなりにいっぱい仕事をしながら、ずいぶん本を読み、音楽を聞き、教材をつくり、授業通信を書き・・・いろんなことを一杯やっていたと思うのに。

 「毎日が自由な時間」になって、なのに、なんにもしてないなぁ。なんとうことだろう。いぶかしい。

虫の音

2008.11.24付 朝日歌壇より
邯鄲の音(ね)の絶えし宵電話よりこぼれる幼のまんまるい声:(東京都)狩集祥子

 もちろんお孫さんの「まんまるい声」ですよね。次の俳句でも示されるように、お孫さんがいればいたで、とてもにぎやか。邯鄲の声を聞く暇もなく、音量も声の方が大きいでしょう。
 邯鄲の声の不在に入ってきた、遠めの電話の声、だからこそ、そこに「まんまるい」という表現が生じたように感じました。

2008.11.24付 朝日俳壇より
子供らの帰つた後に虫時雨:(流山市)荒井久雄

 にぎやかで、ちょっと忙しかった「子供ら」の来訪。当然、これもお孫さん連れでしょう。そのにぎやかな「うれしい嵐」が通りすぎていった後の静寂に虫時雨が入り込んできて、音の存在が静寂を際だたせるわけです。
 今、虫時雨を聞いているのは、ご夫婦かな。役目としての「じいじ、ばあば」を終えて、夫婦に戻った時の静かな温かい時間です。

2008年11月26日 (水)

枯蟷螂

2008.11.24付 朝日俳壇より
石垣に枯蟷螂の死にきれず:(桑名市)小林英昭

1120ookamakiri 我が家のオオカマキリの近況です。

二つ目の卵塊をつくりました。

脚は弱ってぶら下がって体を保持するのがやっと。首や翅に傷みがあります。
天気の良い日は11時ころ陽当たりにケースを出してやって体を温めてもらい、3時ころには家の中に帰ります。

1日に4匹くらいハエを食べます。脚は衰えたけれど、カマのスピードは十分にハエをとらえられます。上の写真は、この日2匹目のハエを食べているところです。

捕虫網を持って、ハエのパターンを目にギラつかせながら散歩しているかかしさんは、きっと不審だろうなあ、と思いつつ、日課です。

生きる力のある限り、生きぬいて貰おう、とこちらも必死で「生きて」いますよ。

限りある命は 無限の一部なのだと 生き抜く:崩彦

たたら

2008.11.24付 朝日歌壇より
かぎろいの鉄の炎は燃えつきてたたらの跡に夕陽さすのみ:(広島県)今井洋子

「たたら」というのは漢字で書くと「踏鞴」、足踏みのフイゴです。(「たたらを踏む」という成句がありますね。)

日本古来の製鉄法の名前が「たたら製鉄」なのです。出雲が一番古いのかな。

炉を組み、砂鉄、木炭、砂鉄、木炭・・・と積んでおいて、火を起こし、たたらで強制的に空気を吹き込んで高熱にし、木炭で砂鉄(酸化鉄)を還元して鉄をつくります。(高校化学の酸化還元のところでよく使った教材です。)

砂鉄を採るための「鉄穴流し(かんなながし)」は日本最古の公害だとか、大量の木炭を消費するためにやはり森林が荒れたとか、いろいろあったようです。

いったん炉を稼働したら、何日間も、砂鉄、木炭、を交互に供給し続け、休むことなくたたらを踏み続けました。

完了したら、その炉は壊してしまいます。一回きりしか使えません。
多分、水を浴びせかけて一挙に冷やしたことでしょう。すると、おそらくかなりスポンジ状の鉄がとれたのだと思います。(液体になって溶け流れて底にたまるのは温度的に無理だったのではないでしょうか。)

その、鉄塊を壊して、きれいに固まったわずかの「玉鋼」を取り出したのだと思います。品質の低い部分も、別の用途には使えたかもしれません。

そのよう歴史的背景。ひょっとしたら、たたらの実演を見て、水をかけられた真っ赤な鉄が激しい湯気やかげろうをのぼらせながら、冷えていく様をご覧になったかなぁ。

こんなイメージで歌を読み返すと、また新たな感興が湧くと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8F%E9%9E%B4%E8%A3%BD%E9%89%84

↑ここに少し解説があります。

うつくしきこと

2008.11.24付 朝日歌壇
摘出を薦めし医者はわからない我の裸身のうつくしきこと:(尼崎市)南はるか

多分、女性の皆さんは気分を害することでしょうが、あえて言います。
乳房が有るということが「うつくしさ」の源泉などではありません。
脚一本、使えなくたって、私は私、いっちょ前の「人間」です。(いや案山子か)
乳房が有ろうが無かろうが、懸命に生きる人はすべて美しい。それだけです。

大事なのは、病状の進行具合を克明に把握して、最適の選択をすることです。
それ以外になにがありましょうか。

用終えし

2008.11.24付 朝日歌壇より
今年の用終へし案山子と肩組みて老婆はリヤカーに揺られて帰る:(埼玉県)小林淳子
 馬場あき子 評:実景のリアルな面白さが案山子と肩組む媼にある。

今生(こんじょう)の用を終えたら、リヤカーにでも揺られて、いのちの源泉へ帰りたいな。
と願う、わたくし・案山子さんであります。

リヤカーというのがいいなぁ。リヤカーというからには、引いている人がいる。それは翁でしょうね。

媼翁 手を携えて老いてゆく また愉し:崩彦

菊の咲く午(ひる)

2008.11.24付 朝日歌壇より
蜜蜂虻褄黒豹紋蜆蝶みなかがやかに菊の咲く午:(さいたま市)吉田俊治

もちろん皆さん読めると思うのですが、念の為、虫の名はというと
ミツバチ アブ ツマグロヒョウモン シジミチョウ 
です。

私のこのブログでは、秋になって虫たちの主たる食堂はセイタカアワダチソウでした、
吉田さんは、陽が照って気温が上がり昆虫の体温も上がる、昼時の菊を眺めておられるのです。

にぎやかでしょうね。虫好きの私にはその光景が目に浮かぶようです。それにつけても、「お日さまパワー」の偉大さが身に染むと同時に、「お日さまパワー」が落ちてしまった、全開になっても、もう20℃には届きません。

秋深まり、小雪もすぎた、このごろです。


2008年11月25日 (火)

どんぐりみっつ

2008.11.24付 朝日歌壇より
舞茸のひとひらほどの左手にどんぐりみっつ握られており:(高槻市)有田里絵
 高野公彦 評:幼子の手のひらは、なるほど舞茸のよう。

 よく「もみじのような」という形容はあるわけですが、「舞茸」というのは新発見ですね。気づいた時には、きっとにこっとしてしまったでしょう。

 で、その、ぎゅっと握った手のひらを、そっと指を開いていったら、どんぐりみっつ。
あの湿った熱いてのひらの中で、ひょっとしたら、まるでゆでられたみたいに、湿って温かいドングリが出てきたのではないでしょうか?
 想像していると、顔がほころんでしまいます。私の乾いて手じゃあ、そうはならないものなぁ。

 赤ちゃんの手の中には、いつも幸せが握られているんですよ。お母さんにあげるための。

オバマ氏

2008.11.24付 朝日歌壇より
ルオー族ケニア西部がオバマ氏のルーツと聞けば世界せましも:(名古屋市)諏訪兼位
 高野公彦 評:注に「ケニア西部のルオー族は姓名のトップがOで始まる人が多い」とある。

 諏訪先生の歌は、「自在」というのでしょう。永田さんの生物の本を読んでいたと思ったら、菜穂子さんの講演を聞きに行き、今度はアフリカ・ハワイ・アメリカと、人間のつながりを考えておられる。
 諏訪先生の「眼」をお借りして、世界を洞察することができて、歌は楽しい、と思えます。

◆英語の人名で
「O'」といのが、アイルランド系の姓の前に付けて、「…の息子[子孫](son of)」の意味だとか
「Mac-」というのも「son of(…の息子)」の意味だというのは知っていました。
「O'Brien」とか「MacArthur」とかね。

ルオー族という民族でもそういうことがあるんですね。初めて知りました。

苦行僧

2008.11.24付 朝日歌壇より
哲学を意欲乏しき学生に語れる吾は苦行僧めく:(神奈川県)中島やさか

それはもう、「めく」どころではありません。苦行僧「そのもの」です。

面壁九年、岩と対話する方が修行としちゃ楽かもしれませんね。相手がなまじヒトだから、苦痛を超えて、かな(悲・哀)しくなってしまいますものね。

馬の耳に念仏:(馬に念仏を聞かせても、その有難みがわからないように)いくら説き聞かせても、何の効もないたとえ。犬に論語。兎に祭文。牛に経文。[広辞苑第五版]

いや~、猫に説教する方が楽しい。カマキリと見つめあうのは哲学的だ。

教師って、毎年同じことを繰り返すだけで楽な商売だ、しかも昔自分が習ったことをやるんだから楽なものだ、というのが、どうも世間的な通念らしくて、あきれ果てます。

常に学び続けない者は教師足り得ません。
授業は「ライブ」なのです。30年余り教職にあって、同じ授業ができた試しは一切ありません。
自分が変わる、生徒が変わる、授業内容に対する自分の理解・解釈・展開計画、同じであり得るわけがありません。

 結構にぎやかで反応の良いクラスでは授業が進みません。あーだ、こーだ、と工夫したり、その場で、いろいろ工夫したり展開を変えてみたり、楽しめます。

 静かで、反応のないクラスでは、どんどん授業が進んでしまって、つまらないのなんのって、たまらないですよ。それはもう難行苦行です。

 俺はテレビ画面の中の講師じゃないんだ!ここに今生きて楽しみ怒り呼吸している人間なんだ!授業はライブなんだ!とずいぶん叫びましたっけねぇ。

カバキコマチグモ

2008.11.24付 朝日歌壇より
孵化したるあまたの子蜘蛛群がりて母蜘蛛を食ふ秋の夕暮れ:(松山市)吉岡健児

 ここに詠まれたクモは「カバキコマチグモ(樺黄小町蜘蛛)Chiracanthium japonicum」です。

 日本の在来種では毒性が一番強いそうです。でも積極的に攻撃してくるわけではありません。興奮させないようにすればよいのです。
 イネ科の草の葉をチマキみたいに巻いています。その中で産卵して孵った子グモは1回脱皮した後に母グモを食べます。
 卵を守っている巣を、うっかり不用意に壊すと、警戒心が高まっている母グモにかまれることはあるようです。そういう事故はそれなりに起こっているようですが、死者が出た話は聞きません。

 ヒトの倫理には反するかもしれませんが、こういう生き方を選択した生物種であることを否定することはできません。その生き方の尊厳は尊重しなければなりません。
 卵を産みっぱなしにするジョロウグモなどは多くの卵を産まなければなりませんが、カバキコマチグモでは、最初の期間を守られるので生存率が上がり、卵の数は少なくて済むのです。
 どちらにせよ、最終的に生き残るのは1,2匹ということになります。そうでなければバランスがとれません。
 毒グモが繁殖して増えたら大変だなどと騒がないでください。生態系が健全ならば、個体数はバランスしてむやみに増えたりはしないのです。共生とはそういう生き物ともバランスしながら生きることなのです。
 決してヒトが生存を許した生物とのみ、一緒に生きる、ことではありません。


生後七月

2008.11.24付 朝日歌壇より
母親を噛む蹴るひっかく狼藉もいよよ嬉しき生後七月(ななつき):(奈良市)織田真記

 にこにこ笑ってしまいますね。お~、元気のいいこと。体操してるんですね。

 半年過ぎですか、歯が生えてくるのは。ガラスのような透明で小さな歯が生えてくるのは楽しいですねぇ。下あごの前歯2本が最初に生えてくるのがふつうでしょうか。
 赤ちゃんも、歯が生える時は、なんだかむずがゆいのでしょうか、いろいろかみつきますよね。

 でも、あの小さな歯でおもいっきりかまれると、血がにじみますね。

 いや~、日々変化していく赤ちゃんと「時を同じくする」ことができるのは最高のことだと思うんですが・・・。
最近は子育てのトラブルも多くて。何だかギスギスして辛いですね。

 楽しんでいいんですよ。生きることは楽しい。成長することは楽しい。一緒に楽しみましょう。

2008年11月24日 (月)

ヤツデの花に来ていた虫(1)

1115antonyatude11月15日。小さなアリがいっぱいヤツデの花に来ていました。

左のアリなどは、黄色いドーム状のところに口を付けているのが分かります。きっとおいしいのでしょう。
1117antonyatude
11月17日にも、見に行ったらやはりアリが来ていました。

とってもおいしそうですね。

1115tumagurokinbae1 こちらはツマグロキンバエです。

翅の先端が少し濃くなっています。「ツマグロ」です。

1115tumagurokinbae2 例の特徴的な複眼の縞模様が見えます。

ゾウの鼻みたいな、口を伸ばして、黄色いドーム状の部分にくっつけています。
やはり、ここに甘い蜜があるのでしょう。
1115tumagurokinbae3
夢中になっていたので、こんなに近づけました。
複眼がくっきり見えます。くっきりとはしませんが、縞模様も見えます。

ヤツデの花が、この時期に昆虫の食堂になっていたとは知りませんでした。

このように表面に蜜が分泌されているのだとすると、チョウのような吸う口の昆虫にはかえって吸いにくく、舐めるタイプの昆虫に都合が良いのではないでしょうか。そういう昆虫を花に招待して受粉をしてもらっているのではないかと思います。

ヤツデの花

 

1115yatude1
花が咲きましたよ!

11月19日につぼみの状態を載せましたが、開きました。

見慣れているつもりだったのですが、見ていなかったことが身にしみて分かりました。
1115yatude2
(多分)花弁が5枚、オシベが5本、真ん中にメシベ。

メシベはどこからどこまでなのかはよく分かりません。淡い黄色のドーム状の部分もメシベの一部なのか、真ん中にチョンと出ているものだけがメシベなのか、よく分かりません。

それにしてもまぁ、パステルカラーといいましょうか、きれいな花なんですねぇ。
1115yatude3

この黄色のドーム状の部分の表面は液滴で濡れているように見えます。

多分、蜜なんだと思います。
次の記事でご紹介しますが、昆虫たちが、この部分をなめに集まっているようなのです。

そういう風に見ると、バニラアイスのように見えてきて、おいしそうですね。

つぼみの時、実になった時両方をなんとなく見知っていて、分かったつもりになっていましたが、花を見ていなかったのですね。反省しました。

ちゃんと見なくっちゃね。

反射板

1124reflector1前の「交通標識」の記事を書いていて、思いだしたことを追加します。

何年か前に、道路の端に落ちていた自転車用の反射板です。スポークにつけておくと、自動車のヘッドライトを受けて光るので、自動車から視認されやすくなるので、事故防止に役立ちます。
何かの拍子に落ちてそのまま見捨てられていたものです。ひびが入っていましたが拾っておきました。(自転車に乗れないかかしさんとしては、自分がこれを買うことはほぼあり得ないので、廃品利用です。)

1124reflector2 部屋を薄暗くして、カメラのフラッシュを発光させて撮った写真がこれ。
床は暗いですが、反射板は明るく輝いていますね。
そして、六角形のユニットが並んでいるのも見えます。

前回の交通標識の拡大写真と同じ構造ですね。

では、思いっきりこの反射板に近づいてみましょう!
1124reflector3
平らな面が3枚直角に交差しているのが分かりますね。
これほど見事に見えるとは実は思っていませんでした。すごいや。やっぱりやってみるもんだ。
遠近感がつかみにくいのですけれど、基本はコーナーミラーなのです。四角い箱の隅が集まったものということです。

この四角い鏡面の集まりを正面から見ると、六角形の集合に見えるのです。

実用的な観点からは、光を送り込んできた方向のみに光を送り返すのでは、ちょっと範囲が狭すぎるのでしょう。そこで、微妙にこの四角いユニットの向きを変えています。

1124reflector4 真横から見た写真です。大きくは左右二つの部分からできていて、それぞれが光を返す向きがかなり異なっています。
その、中央の分かれ目のところが写真のほぼ中央にあります。

さらに、もう少し微妙に「散乱」させるために、四角いへこみの角度が変えられていることがこの写真から見てとれます。

何気なく使う、そう高価でもない小さな道具なのに、実にきめ細やかな技術的配慮が凝らされているものだと、とても感心しました。

もう一回フラッシュの反射を見てください。
1124reflector5
横に長い光の棒がたくさん写っています。
この写真を撮ったカメラのフラッシュは、横長の棒状のフラッシュなのです。
そのフラッシュの像がたくさんあるのですね。
この写真のアングルでは、反射板の右半分がちょうどカメラへ光を送り返す角度になっており、左半分はちょっと違った方向へ光を送り返しているということも分かりますね。

◆最近は、反射テープもありますね。あるいは、反射材をつけたジャケットとかもありますね。ああいうものの反射材の構造が知りたいな、と今思っています。チャンスがあったら調べてみたいものです。

◆追記:「反射材とは」でグーグル検索を掛けましたところ、分かりました。

上に書いたような3面で反射する「マイクロプリズム」や、「ガラスビーズ」を使っているのだそうです。

内容に責任は持ちかねますが、下のサイトで見つけました。

http://www.reflexite.co.jp/reflection/mechanism2.html

http://www.unitika-sparklite.co.jp/japanese/products_info1.html

交通標識

1114hyosiki1これ、交通標識です。

撮影したのは5時半くらいで、ずいぶん暗くなっていました。

この写真は標識をほぼ正面から撮ったものです。

では、次の写真をご覧ください。

1114hyosiki2 斜めから撮ったものです。
1114hyosiki3
逆側から斜めに撮ったものです。

どちらから撮っても明るく光っていますね。

ということは、カメラのフラッシュが送り込んだ光が、カメラの側に返ってきているということです。

交通標識ですからね、車などがこの標識を照らした時に、ヘッドライトの光を受けて、反射光をドライバーに送り返し、情報を伝えなければなりません。
ということで、当たり前のことです。

でも、自分で電源を持っていて自分で光っているわけでもないのに、光を当てた側に光を送り返すって、何だか変じゃありませんか?

Reflection1 ← 反射の法則って、こうでしたよね。

入射角=反射角

ですよね。
 この法則がちゃんと成立していたら、送った光は、そのまま向こうへ行ってしまって返ってきませんから、写真に撮った時にこんなに明るく写るわけがないのです。

今起こっている出来事は
Reflection2
こうですね。

光を送った側へ光が送り返されている。

これって、反射の法則に従っていませんが、いいんでしょうか?法則がそうそう簡単に不成立になってしまったんじゃ、困ります。

実は、一枚の鏡だったら「交通標識」とかいた上の図の出来事は起こりません。「反射の法則」の図のように光は進みます。

◆仕組みはこうです。
Reflection3
2枚の鏡を直角に置きます。すると、図に描き込んだように、それぞれの場所では反射の法則が成立しているのですが、2回反射した後の光は、もと来た方向へ返って行くのです。

黒い線で描いた光線、赤い線で描いた光線、吟味してください。
これが、光を送り込んだ側へ光を送り返す仕組みです。

3面鏡があったら、2枚の鏡を直角にして、自分を映してみてください。鏡の向こうに、自分がちゃんといる感じになりますよ。面白いです、ぜひお試しを。

◆上の図は2枚の鏡の組み合わせでした。3枚の鏡を直角に組んだらどうなるでしょう?
Reflection4
こんな感じです。
遠近感の表現がうまくいっていませんが、つもりとしては、三枚の鏡が交わる点がくぼみんでいるつもりなんです。そのつもりで見てください。

こういう風に鏡を組み合わせると、どの方向から入射した光でも、その入射方向へ反射して返って行くのです。

さて、上のような3枚組の鏡を、まっ正面から覗きこむと、自分の顔が逆さまになって「自然に」写りますよ。顔の右の部分が鏡の中の顔の向かって左にうつり、左は右へ、上は下へとなって写るからです。

対称性よく上の図を描くとこんな風です。
Reflector
六角形に見えますね。

では、次の写真と見比べてください。標識の部分拡大です。

1114hyosiki4 いかがですか?
六角形のユニットが見えますね。

この標識板、完全に中の方まで理解しきっているわけではないのですが、どう考えても、上でご紹介したような、「3枚の直交する鏡」の原理を使っているはずなのです。そのことが、見掛け上、「六角形ユニット」を見せているのだと思います。

電源も使わず、運転者には必ず光を送り返して、情報を伝える、そういう目的の反射板なのでした。

◆ところで、この直角に交差する鏡の原理はいろいろな場面で使われています。(コーナー・ミラーというよびかたもあります。)

★アポロ宇宙船が月面に置いてきた鏡は、この交通標識と同じ、「直交する3枚の鏡」方式のものです。ですから、地球上のどこからレーザー光線を送っても、必ずそのレーザー光線を送ったところへ光を返してくれるのですね。それによって、月は1年に3.8cmずつ地球から遠ざかっていることが分かったのです。

(月面に鏡を置いても、地球に光を送り返すように正確に角度を設定できるわけがない、だからアポロは月に行っていない、などということを主張する人もいたようですが、単に自分の無知をひけらかしただけでした。)

★サイド・ルッキング・レーダーというものがあります。巡航ミサイルなどが積んでいます。自分の進行方向にレーダー電波を照射するのではなく、進行方向の両サイドへ電波を出すのです。すると地形のうちで、直角に近い角度をなしているものからは強く電波が反射してきますので、それを使って地形を知るのです。
都会のビルディングなどは非常によく電波を反射して戻すことになりますね。

海底の地形探査でも、真下に超音波を出すのではなく、脇に向けて超音波を出してその反射をうけると、海底地形のでこぼこがよく分かります。

★ステルス戦闘機なるものがあります。あれは、機体面が電波を反射しにくい材質を使っているのでしょうが、それに加えて、翼と機体の交差角度が直角にならないように、必ず鈍角になるように設計されているのです。直交する鏡は電波を来た方向へ戻しますから、その逆手を取っているわけです。なんとなく普通のジェット機と印象が違って異様な雰囲気を与えるのは、この設計方法がなじみのないものだからかもしれません。

◆私のホームページ「理科おじさんの部屋」で、小学生のU君とやった光の反射の実験を紹介しています。関心がおありでしたらぜひどうぞ。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/6th/sci_6.htm

なんでしょう?

1114nekojarasi2これはいったいなんでしょう?

ネコジャラシなんです。

穂を真上から撮ってみました。しかも、絞りを開いて、被写界深度を浅くしてあります。なんだかぼんやりですね。
同じショットを、絞りを絞り込んで、被写界深度を深くするとこうなります、
1114nekojarasi1
ね、被写界深度、という意味がお分かり頂けたと思います。
なんだか「かかしのカメラ教室」みたいでしたね。

ぽわぽわとした、ネコジャラシの雰囲気を楽しんでください。

コバノセンダングサ Part3

1114kobanosendangusa1コバノセンダングサの実の先端を拡大してみました。

返しのトゲは透明なんですね。

きれいなものなんだなぁ、と驚いております。
1114kobanosendangusa2
黒のジャージに軽くこすりつけてみました。

見事に引っかかってしまいました。さすが、ひっつきむし。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-b723.html

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-af93.html

これが、コバノセンダングサのPart1とPart2です。

ところで、朝日新聞の11月23日付の生活面に「オチビサン」という連載漫画がありまして、その中で

「オチビサンもみーつけた」
「オチビは星をみーつけた」

という絵があります。ひょっとしてこれはセンダングサの仲間の実ではないかと思いました。

2008年11月20日 (木)

ヒメハラナガツチバチ

1114himeharanagatutibatiヒメハラナガツチバチです。

左前脚で葉を引き寄せて、口をつけています。

幼虫はコガネムシの幼虫などを食べる肉食なのですが、成虫は何を食べているのでしょうね。
大きなアゴで、コガネムシの幼虫をはさんで押さえ、麻痺させて卵を産みつける。

さて、自分自身はどうなのか?花のところでよく見かけました。蜜を吸うにはあまり適した口とは言い難いのですが。
今ここでは、葉に口を当てています。葉を食べるのか、葉を傷つけて出てくる液をなめるのか。

◆写真がないのですが、というか「いなくなった」という写真は撮れないのですが。
フタモンアシナガバチのオスの集団日向ぼっこが消えました。

つい何日か前までは、昼ごろ、コンクリートの柱に群がってとまっていたり、ぶんぶん飛びまわって顔の前までもやってきたりしていた、フタモンアシナガバチのオスが今はいません。
あの、顔の黄色いやつです。
きょうも、カマキリのためのハエ取りに、昼ごろ捕虫網持ってうろうろしていたのですが、アシナガバチは全くいませんでした。
みんな死んだのでしょうね。交尾後、死ぬまでの間を、ああやって陽ざしを求めて飛び交っていたのでしょう。

またひとつ しずかになってしまった 昼の草むら:崩彦

チャドクガ

1113tyadokuga嫌われ者ですし、私だって苦手ですけど。

こいつだって、今頃ともなれば、もう越冬する卵に命を託して、自分はもう命の瀬戸際を生きているのです。

ほとんど飛ぶ力も失せて、道路を歩いていました。つまむわけにもいかず、枯れ葉にのせて落葉の下へ。来年はこれの子と闘うことになるかもしれません。

◆ネットで調べていたら、チャドクガの幼虫に中性洗剤をかけたら、毛が濡れて飛ばないし、幼虫は死ぬし、いいのではないか、という記述を見かけました。その人自身はまだ試してない、とも書いておられたようです。

 今年の秋のシーズンにチャドクガの幼虫をサザンカの葉の上に見つけた時に、風呂場から浴槽洗い用のスプレー式で泡が出る洗剤を取ってきて、吹きつけてみました。
 確かに、幼虫の体が濡れてしまいますので、毛が飛び散ってくる、という心配なしに駆除できました。試してみる価値はあります。(残酷な話だなぁ、でも一緒には生きられないから、スマンネ。)

千日紅

1113sennitikou去年はこの千日紅がいっぱい茂って、いっぱい咲いて、自然にドライフラワーになってしまうのではないか、と思わせるくらいに長く咲いたのです。

今年は、全然見かけなくなってしまったなぁ、と思っていたら、ルコウソウのかげで、ひっそり一株花を咲かせていました。
気づいてあげられなくてゴメンネ。

せんにち‐こう【千日紅】センニチソウの別称。[広辞苑第五版]
せんにち‐そう【千日草】(夏から降霜期にかけて花が永く保つからいう) ヒユ科の一年草。インドの原産。茎は直立、高さ30センチメートルで、粗毛を密生。葉は対生し、長楕円形。茎頂・枝端に、普通紅色、まれに白色の球状の頭花をつける。古くから観賞用に栽培。千日紅。<季語:夏>[広辞苑第五版]

小雪を 彩り燃える 千日紅:崩彦
(わざと、季語をずらしてぶつけました。単なる技巧のみです。駄句。)

陽をふちどりに ヤマトシジミ

1114yamatosijimi前のベニシジミと同じような逆光アングルがヤマトシジミでも撮れました。

いかがでしょう。

翅の一部が欠けています。センダングサの花の上ですね。

何か事件があると、取ってつけたように「命の大事さを教える」なんていいますが、口先で「いのちは大事です」なんて言って、何が伝わるというのでしょう?

昆虫と付き合って、冬の迫る日々、残り少ない温もり、命の瀬戸際を懸命に生き抜く姿・・・そして空っ風に吹かれる死骸・・・

自ずと命の深さ重さにうたれます。

生と死は一体のものだと、心に直接的に刻みこむ力があるのは、虫たちの生きる姿だと、私は思います。

ベニシジミ

1113benisijimi1かっこいいでしょ。

凛としている、というのか

一切の媚なし、というのか

気品がある、というのか

人間界のぐっちゃグッチャ、にいい加減嫌気のさしているかかしさんには、「よいものをみた」という快さが湧き起こりました。

翅を軽く開いて陽ざしを背中から受けているところです。太陽光も御馳走のうち。

写真としては逆光気味ですので、翅の縁が輝いて、何とも言えず美しい。
1113benisijimi2
秋の陽ざしに輝くベニシジミ。

凛として 陽をふちどりに ベニシジミ:崩彦

ササグモ

1111sasagumoこれはササグモの成虫です。

堂々としています。

1115sasagumo こちらは、多分、きょうだい。(兄弟姉妹ふくめて、というつもりで平仮名で書いておきました)。

フウセンカズラの実に乗っているところを発見。
奥の方のにピントが合っています。
1115sasagumo2
こちらが手前の方の個体。
大人と比べると、足の長さなど、迫力が違うのが分かって頂けるでしょうか。

静かに構える「迫力」というのは、どこから湧いてくるのでしょうね。
逆に言うと、哺乳類に限らず、幼いものがみんなかわいく見えるというのは、どういう認識作用なんでしょうね?

越冬の仕方が分かりません。無事に、冬を越しえて命が続きますように、としか言いようがありません。

キンカン

1111kinkanキンカンです。

金柑でしたね。(かゆみ止めは金冠でしたよね。)

昨シーズンは、ずいぶん鳥につつかれてしまって、あまり食べられませんでした。
私はほとんど生食です。何せ完全無農薬ですから(アゲハさんのために)、もいで、ポンと口に放りこんで、皮を食べてしまいます。酸っぱいもの大好きですので、実も口の中でしぼって酸味を楽しみます。

今シーズンは食べられるかなぁ。

3,4個を楊枝でつついて穴開けて、砂糖を好みにかけまして、電子レンジで1~2分、チン。
おいしいですよ。(少しお湯を足してもいい。)


2008年11月19日 (水)

ヤツデ

1110yatudeかわいいつぼみの写真でも見て、気持を鎮めてください。

ヤツデのつぼみです。

上の丸いところはよく見かける部分ですが、下にこんな風に次のつぼみがあるんですね。

何となく擬人化したい姿です。

どう見立てますか?

オナガウジ

1107onagauji1あ~あ、再会してしまいました。

オナガウジ。
ここは、大田区の白山神社の用水の溜まり水。

ハナアブの仲間の幼虫です。この幼虫を見ただけでは、私には種の特定はできません。でも、花アブの幼虫、通称オナガウジです。

幼虫の体から長い呼吸管が伸びています。写真右上で呼吸管の先端が水面に接していて、小さくくぼんでいるのが分かります。
呼吸管の先端から白い糸のようなものが2本体の中の方へ伸びています。これが気管なのではないでしょうか。
体内の構造も見えてはいますが、どれが何、とは分かりません。
体の先端部、呼吸管とは反対側に「2本のつのみたいなもの」が見えてますが、これは突起ではなく、体内の神経かな、眼の部分じゃないかと思います。

1107onagauji2
写真右方で水面のくぼみの反射が見えますね。
体内の白いのは気管系かなぁ。で、色のついているのが消化器系かなぁ。
とも思います。
呼吸管の中で、白い糸=(多分)気管が、らせん状になっているのが分かりますね。実はこの呼吸管は、長さが自在に変えられるのです。
1107onagauji3
上の2枚の写真は幼虫が水面直下にいて動いているところなのですが、別の場所ではこんな具合。

下の方に水の中に沈んだ植物の茎か何かがあって、そこに幼虫がつかまっていて、呼吸管を水面に伸ばしている様子です。

ずいぶん長く伸ばしてますでしょ。可変長呼吸管というわけです。しかも3匹並んで。水面がくぼんでいるのがはっきり分かります。
1107onagauji4
呼吸管の部分のアップ。
この画面を見ながら想像するに・・・
Pipe
模式的に描くと、こんな風になっていて伸び縮みできるのではないか、と思いました。

水の中の腐敗した動植物を食べるそうです。
静止した水の、汚さの指標になるということです。オナガウジがいれば汚れた水だということです。

これで、2回目なんですがね、オナガウジを見るのは。あんまり再会しなくていいです、差別してゴメンネ。

クロヒラタアブ

1107kurohirataabuベゴニアの花の前でアブがホバリングしていました。
1107kurohirataabu2
花に顔を突っ込んだ瞬間の写真です。
頭隠して尻隠さず状態。

この2枚でおしまい。すぐに飛び去っていきました。

部屋に戻って、パソコン画面で見ると、どうも、今まで見たことのあるアブではないようです。

すこしぶれているのですが、おそらくクロヒラタアブでしょう。
そうと知っていたら、もうちょっとしつこく撮っていたのになぁ、と、昆虫の写真はいつも「後悔先に立たず」の繰り返しです。

また会えるといいね。


ハキダメギク

1107hakidamegiku1前回、11月7日にハキダメギクの花を載せました。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-966c.html

あの時は、花を撮影したら、花の柄に毛が生えていることに気づいたのでした。
今回は、最初から「毛」の方に注意を払っています。

萼にも腺毛がありますね。

花柄の部分を大きくして見てみましょう。
1107hakidamegiku2
毛の先端に液滴がついているのが腺毛です。
何か液体を分泌しているのでしょう。
粘りっ気はないのかな?と軽く指先で触れてみましたが、くっついてくるということはありませんでした。粘液ではないようです。

この液体を分泌することの意味は何なのでしょうね?

よく見ると、先端に液滴をつけた腺毛のほかに、ただ先端が細くなっているだけの毛もあります。
ここでは、腺毛の方は柄に対して直角に立っているのに対して、ただの毛は花の方へなびいているようです。

花からもっと遠いところを撮ってみました。
1107hakidamegiku3
ここでは、ただの毛は腺毛より長く伸びて、立っています。

さぁ、わかりません。この2種類の毛の役割はどのようなものなのでしょうね。

元祖・本家

2008.11.17付 朝日歌壇より
佃煮の元祖と本家隣り合う醤油の匂いに江戸の香を嗅ぐ:(京都市)松本明

歌の感想というのではなくって・・・。

元祖と本家の張り合い、というのは有名ですが、佃煮もそうだったんですかぁ、初めて知りました。

がん‐そ【元祖】①一家系の最初の人。②ある物事を初めてしだした人。創始者。
ほん‐け【本家】①おおもとになる家筋。いえもと。宗家。②分家から見てその分れ出たもとの家。③荘園の名義上の支配者の称。領家の上位にある最高の領主であるが、荘園にはかならず本家があるとも限らない。本所(ホンジヨ)ともいう。
[広辞苑第五版]

赤福の元祖と本家、というのは有名で知っていました。
八つ橋とか湯豆腐とかでも、そういうのがあるそうですね。

私の曽祖父は「本家の庄右衛門」さんだったそうで、私はその人の、次男の次男の次男ですからして、ブンケブンケどんどん、ブンケどんどん、というわけです。
元祖も本家も関係ないなぁ。

運動会

2008.11.17付 朝日歌壇より
運動会決行するから集まれと知らせる花火がドカンと響く:(牛久市)齊藤吉民

思い出してみると、小学校の頃、運動会の朝、ドカンと音とわずかな煙だけの花火が上がりましたねぇ。

今はあれはきっと「うるさい」とか文句が出てしまうんでしょうね、都会の休日では。

小学校は地域のものでしたから、小学生のいない家でも、ああ今日は運動会か、とわかって、のぞきに行ったりしましたが。

今はうっかり覗きに行くと「不審者侵入」などと言われそうですね、やなご時勢だ。

東京では、小学校が地域のものではなくなって、選択出来たりするところもあるんですよ。なんだか、やっぱり変だと思うんだけれど。地域の子どもを地域の人の目が見守る、地域の人が育てる、という意識は大事なんじゃないかと思うんですけどね。

余談:私が小学校低学年の頃、地元の神社の秋祭りの日は学校がそれに合わせて、お休みになりました。
高学年になってからかな、神社の方が秋祭りを土日に移してしまいました。
つまんなくなったなぁ、と不満だったものです。

子育て

2008.11.17付 朝日歌壇より
疲れ顔見せ四人子(よたりご)と写る我そをしあわせと今気づく愚か:(川崎市)釜田瑤子

いいえぇ、その時はやっぱり疲れているんです。だから、いいんです。今気づくことができて、今が幸せ、それでいいんですよ。

子の日々の成長とともに、現役の親は日々変わっていくのです。親子関係、広くは人間関係は、「一方的」ということはありえませんのでね。その変化を経験し、刻み込んで一人前の親になっていくのです。子を産んだから親、なのではないのです。子と一緒に成長して人は親になるのです。

喜びも、そして疲れも、写真には記録されてしまうのです。

その点、ジジババというものは、孫の成長によって変化せざるを得ない側面はあっても、すでにある程度、子による成長を経験してしまっていますから、その分が「ゆとり」。
楽しめるわけですね。

◆朝日新聞の「ひととき」という投稿欄にこんな話がありました。

ふさぎこむ息子を前に(2008年11月13日付朝日新聞東京本社朝刊から)
 「ただいま」という声が暗い。16年も一緒に暮らすと、何かあったとわかります。高校1年の長男です。
 顔色をうかがい、ちょっと身構える。「はあ」と言ったきり、無言で夕食を食べ始めた。おそるおそる「何かあった」と聞く。しばし沈黙。そして「だめだ、おれ」。とても内容を聞ける雰囲気ではない。
 サッカー部の練習がきついのは聞いている。1年生で、気をつかうことも多いらしい。だが、部活のこととも限るまい。いろんな思いがめぐったが、努めて明るく言ってみた。
 「何があったか知らないが、こういう時の対処は3パターンあります。もっとダメなところを指摘して徹底的に打ちのめす。明るく前向きにプラス思考で励ます。一切そのことに触れずに知らん顔をしている。さあ、どれを選ぶ」
 少し間をおいて返ってきた言葉は「どーでもいい」だった。では、仕方がない。「じゃあ、八つ当たりしていいよ。それが親のつとめと思っているからね」と言ったら、初めてニヤッと笑った。
 それから何も言わなかったが、その笑い顔だけで十分だった。問題の解決にはならないと思うけど。次の日も学校へ行く、また違う問題が起こる。落ち込んだり笑ったり、あきらめたり忘れたり。いろいろあるね、生きてると。
 (長野県松本市 会社員 45歳)

子どもが小学校に上がると、子育てが終わった、と考える方もいらっしゃるかと思いますが、人格形成のほぼ最終段階といえる、高校時代が終わるまで、が親としての「子育て」の守備範囲でしょう。そこをすぎたら、もうどうとでもなれ~、でいいですよ。

八つ当たり受けてやるよ、というのはえらいなぁ、なかなかそこまでは言えないものなぁ。
頭が下がります。

落ち込んだり笑ったり、あきらめたり忘れたり。いろいろあるね、生きてると。

全くです。

ねこまたぎ

2008.11.17付 朝日歌壇より
みちのくの浜通りとう地に生れて猫より上手く魚を挵(せせ)る:(下野市)若島安子

以前にも「ねこまたぎ」論議はやりましたね。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-776a.html にあります。

私の場合、母が海辺の生まれですので、魚は徹底的に得意なのでした。

我が家の猫は、魚は好きですが煮物より焼き魚が好きです。スーパーで買ってきたタイの頭の煮付けと私が格闘していても、あんまり興奮しません。困った猫だ。

アジやサンマを焼くと大騒ぎです。

ラン太くんは「おしょうばん」というすごい技を身に付けていますから、私を食卓に座らせて、自分はその横にきちんと控えて、「準備完了!」と叫びます。

くっく

2008.11.17付 朝日歌壇より
玄関に初めての靴並びたり一人立っちの一歩はじまる:(奈良市)織田真記
 佐佐木幸綱 評:歩きはじめた幼児の靴。記念写真のような、うれしい一首。

かわいいですよねぇ。昔、友人たちへの出産祝いに、妻がフェルトを煮て、パステルカラーに染色し、靴の形に縫って、一足箱に入れてプレゼント、なんてよくしたものです。

とにかくかわいい。

寝返りが打てた、はいはいができた、座れた、つかまり立ちができた・・・視界が変化するたびに、赤ちゃん自身もう嬉しくってね、革命的に認識レベルも変化していきますよね。

ちょっと立って尻もちついていたのが、ある日、2,3歩、歩いてしまう。あれは本当に「革命」ですよ。翌日からはもう、いくらでも歩けたりして。あの成長の速さはとてつもないですね。どうやって全身の運動を統合するんだろう?プログラムで動くロボットにはまねのできないことです。

◆ところで、生まれたての赤ちゃんの足の裏をつっつくと、「足を握る」反射を示すのはご存じでしょうか。サルとしての枝を足で握る動作の名残のようです。
 生まれたての赤ちゃんの体を縦にして、両脚を床に接触させると、歩行反射がおこって、歩くような動作をします。しばらくするとこの反射は消えて、だいぶ後になってまた復活します。
 
 ベビーマッサージとか何とか、特別なことではなく、赤ちゃんを突っついたり、なでたり、くすぐったりしましょ。おむつ替えながら、お腹をくりくりしてあげたり。
 言葉が分からないからといって無言で接してはいけません。たくさん声をかけてあげましょう。言葉に包まれて、赤ちゃんはくつろぎ、人間関係の第一歩を獲得していくのです。

 誕生後しばらくは「目が見えない」ということになっていますが、実は見えてはいるのです。見たものに、見たことに、反応を示してくれていないだけなんです。うまく視覚が統合されていないのかも知れませんね。

 でもね、生後1カ月くらいまでの赤ちゃんがいる方は試してみて欲しいのですが。
 赤ちゃんを抱いて顔を向き合わせ、べ~っと舌を出して見せてあげてください。すると、かなり確実に、赤ちゃんもその動作を真似て舌を出しますよ。
 つまり、見えてはいるのですね。どういう反射なのか、よく分かりませんが、とにかくかわいいから試してみてください。

 このことを「日経サイエンス」で読んで知って、わが子に試した時は、もう1カ月を過ぎていたのですが、面白かったですよ~。

2008年11月18日 (火)

秋の七草

2008.11.17付 朝日俳壇より
秋の七草ぜんぶは知らずよか娘:(取手市)増山山肌
 金子兜太 評:こころよい愛嬌。

ダメ。わたし「よか翁」だ。秋の七草全部は知らなかった。(知ってはいたけれど、全部言えなかった)。

春の七草:芹(セリ)・薺(ナズナ)・御形(ゴギヨウ)・ハコベ゙・仏座(ホトケノザ)・菘(スズナ)・蘿蔔(スズシロ)
秋の七種:萩・尾花・葛(クズ)・撫子(ナデシコ)・女郎花(オミナエシ)・藤袴・朝顔(朝顔は今のキキョウをいうか)。
広辞苑第五版から。

春の七草は歌にして覚えていましたが、秋の七草は列挙できませんでした。

年甲斐もない。

石たたき

2008.11.17付 朝日俳壇より
尾の先に生きる悦び石たたき:(刈谷市)山本泰弘

多分、セキレイだろうな、と見当はついたのですが、広辞苑を調べてみました。
   (たえず尾を上下に動かす習性から) セキレイの別称。<季語:秋>
だそうです。
ネットで検索したら「ニワタタキ」ともいうとありました。

ひょっこひょっこヒョッコヒョッコ、せわしなく尾を上下させるんですよね。あれを「生きる悦び」と表現なさったのはすごい結びつきですね。
楽しそう、リズムを取っている、という感じはしましたが。

この場合は、季語としての秋を意識して、「秋の日溜りのぬくもりのなか、生きることが楽しいな、とうたっているようだ」ととれますね。

数珠さんご

2008.11.17付 朝日歌壇より
七階に鳥の運びし種萌えてほろほろ零(こぼ)る数珠さんごの実:(春日市)月川勝代

植物に弱い私は、「さんご」ときいて、ナス科のフユサンゴ(タマサンゴ)のことを思い浮かべていました。

調べてみたら、「ヤマゴボウ科ジュズサンゴ属の常緑多年草」なのですね。「ジュズサンゴ」とカタカナで検索してみてください。たくさんヒットします。

マンションの七階まで鳥がやってくるのですね。意外と、七階でも、ハエやカも来るでしょうし、トンボも来たりするのではないでしょうか。
鳥の腸内を通過した種は発芽しやすくなっているとも聞きます。鳥が連れてくる植物たちで植物園をつくったらきっと面白いですね。

おとな

2008.11.17付 朝日歌壇より
おとなにはなりたくなかったおさなき日おとなになれずおとなになっている:(城陽市)山仲勉
 高野公彦 評:なりたくなかったのに大人になってしまった。しかも内面は大人になれず、外面だけ大人になった、という嘆き。

おとなになるということがどういうことなのか、60歳の私にもいまだに分からずにいます。
外面はじいさんなのですが、将来が全く見えはしない。

朝日俳壇より
先々の事まで読めずそぞろ寒:(香川県)湯川雅
 稲畑汀子 評:先々のことを考えている作者の心の動きを季題が語っている。

若者は、大人はずるいと思う。自分の将来なんて見えやしない、と思う。大人は訳知り顔で説教するけれど、「青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」だと思う。

60歳になって、迷いっ放し、迷いは深まるといった方がいい。人生の決着をどうつけたらいいのか。老人も道に迷うばかりなのです。

ここで「そぞろ寒」という季語はどうでもいいのです。夏のさなかも、道に迷う「心」は、ひとり寒いのです。

確実に読める先々のことはただ一つ。「もうすぐ死ぬ」ということだけです。その「もうすぐ」が問題なんだよなぁ。

津軽弁

2008.11.17付 朝日歌壇より
一本釣りマグロ談義にかたづのむ竜飛の漁師のなまる濁声:(相模原市)松並善光

個人的な感想を一言だけ。地元の漁師さんが、標準語をまるっきり意識せずに、むき出しの津軽弁でしゃべったら、私にはもう、ほぼ100%理解不能です。

両親や親戚の秋田弁にはそれなりについていける私ですが、五能線の中で地元の人同士が交わす津軽弁の会話は、まるっきり分かりませんでした。

東京もんの私に「あんちゃ・・・」と呼びかる時は、津軽のばあちゃんも、少し津軽弁を緩めてくれますので、何とかついてはいけましたが。

遠い日

2008.11.17付 朝日歌壇より

遠き日に湖底となりし水車小屋恋を語りし人の顕ちくる:(沼田市)笛木力三郎

 「顕ちくる」というのをどう読んだらよいのか分かりません。私の想像力では「たちくる」なのかなぁ、と思っています。「立ち現われてくる」ということでしょうか。
 視覚的な記憶がまざまざとよみがえってくるのだと思います。同時に、触れる体、香る髪、おそらくそういう記憶がどっとあふれてくるのでしょう。
 切ないな。記憶をよみがえらせる源がすでになく、おそらくは甦る記憶の中の人ももういない。哀しいな。

信濃路の花野に君と追いし日よしおからとんぼむぎわらとんぼ:(東京都)長田裕子
 永田和宏 評:亡き人を想う歌だろうか。下の句の対句的リフレインがかなしみを湛えている。

 「君」というのが誰なのか、考えています。永田さんのいうように、「亡き人」というのが自然でしょうね。二人で走った花野。ああ疲れた、といって座り込んで肩を寄せ合った記憶。

 もし、「君」が「我が子」だったら。「とんぼ」がそんな考えを私にもたらすのです。息子とトンボを追って走った花野。この場合は亡くなったと考えるのは悲しすぎる。
 一人花野に来て、トンボを見て、息子と過ごしたあの時間を想う。そんな気もするんですけれどね。

遠い日の至福の時 濃密に凝縮された時間 あざやかな記憶のかなしさ



職人の技

2008.11.17付 朝日歌壇より
天麩羅のあつきころもにつつまれる一膳飯屋の海老のかそけさ:(掛川市)村松建彦

いかにして、小さなエビにあの大きなかさばるころもをつけるか。職人の「こだわりの技」ですよね。家庭料理では絶対できないものです。

「かそけし」というのは漢字で書くと「幽し」です。広辞苑によると「かすかなさまである」となっていました。
「かそけき海老」
天ぷらそばの海老もね。

俳句に対して、川柳というジャンルがありますが、その境目ははっきりしない。互いにオーバーラップしています。
歌では川柳に対応するものがあるのかなぁ?ないですよね。

いわば、上の歌は「川柳歌」ですね。そういうジャンルがあってもいいな。

人生の機微をついて、思わずニヤッとさせるような歌、楽しいですよね。

2008.11.17付 朝日歌壇より
お隣の車の屋根の野良猫の「文句あるか」に「いえいえそんな」:(神戸市)田崎澄子
 佐佐木幸綱 評:猫と目を合わせた瞬間の心の波紋。ユーモラスな直接話法がたのしい。

直接話法、というと何やら立派ですが、猫と一緒にいると、つい互いの行動に「セリフ」をつけてしまうものです。我が家では家猫2匹、庭猫1匹、夫婦で猫たちにセリフをつけて遊んでいます。

「犬のフンは飼い主が始末しましょう」というポスターの下でえらそうな顔した猫。
「さがりおろう、このポスターが目に入らぬか」、「はは~、かしこまりました」
といいたくなります。

庭猫の前でハエ取りをしていて逃げられて、「ハンへたくそネ」と言われてしまったり。「ハエを飼うだけじゃなくってさぁ、ハエをつかまえておいてよ」と話しかけたり。

アハハ、なのでした。

◆朝日俳壇より
夫(つま)あるも猫に慕はれ秋晴るる:(寝屋川市)古林知子

 猫に慕われ 思われ思い 私ゃ 刺身の「つま」でよい:都々逸風に。崩彦
 こういうの「しんねこ」っていうのかなぁ?

猫籠に憩ふ燈火に親しめり:(天童市)高橋ゆり子
 大串章 評:灯火の下でいっしんに本を読んでいる。その足元の籠の中に猫がやすんでいる。「猫」と「籠」の間に切れがある。

猫はみずからよく眠り 本は私の睡眠薬 良夜かな:崩彦

頬袋

2008.11.17付 朝日歌壇より
両頬に胡桃を入れて走る栗鼠ロスの栗鼠らは冬眠せざりき:(舞鶴市)吉富憲治

ハムスターもやりますが、頬袋に詰め込んで、両頬をぷっとふくらませた顔は、ただひたすらにかわいい。かわいさに降参します。

人間がやると、下手すると呼吸困難になりますからやめましょう。
吉富さんはアメリカに長くおられたはず。日本のリスは冬眠準備に忙しい。その違いに、びっくりするとともに、笑っておられるのではないでしょうか。かわいいもの。

いったいどれだけ詰め込めるの?大丈夫?と思わずききたくなりますよね。


牝鹿

2008.11.17付 朝日歌壇より
ゴム毬のように弾んで牝鹿消ゆ牧場の草をたらふく食べて:(稚内市)藤林正則
 馬場あき子 評:牧場荒らしの可憐な鹿はやはり許してしまいそうだ。

 男性の行動は道具による自我の拡大とか、想像力というのが大きいのですが、女性の場合は、ナルシシズムが大きいのかな。バイクを降りて、ヘルメットを取り、まとめてあった髪をふわっと振りほどく時、自分を「若くてしなやかな牝鹿」とおもう女性が多い、という話を以前聞いたことがあります。

 上の歌の作者は男性ですが、歌われているのはやはり、しなやかで弾むような牝鹿。

生命感あふれる牝鹿は、やはり評者のいうように「許してしまいそう」ですね、同じ哺乳類の動物として。

山羊の赤ん坊が羊の背中に乗って遊んでるとか、犬が猫の赤ちゃんを育てるとか、なんとなく、哺乳類というものは、種をまたいで幼いものを守りたくなってしまうのかな、などと考えたりもします。

ヒトは社会的な動物でもありますから、子育てに社会が関わっていくのは当たり前ですが、哺乳類の動物として、やはり母子関係が基本にあると思っています。

もうすぐお母さんになる女性が、なりたてのお母さんが、すこやかに、しなやかに、安心して出産・育児に取り組めますように。(じいちゃんの願い。)

2008年11月17日 (月)

ギンメッキゴミグモの食事

1107ginmekkigomigumo小さなギンメッキゴミグモです。

体に見合った小さな昆虫が網にかかったらしく、ぐるぐるに巻いて抱えていました。

このゴミグモが網を張った位置は比較的安定したいい位置のようで、ずっとここにいます。
1110ginmekkigomigumo
ゴミグモですので、網にゴミをくっつけて自分自身をカモフラージュしているようです。
かくれ帯みたいでもあります。

越冬はどうするんでしょう?よく知らないのですが、成虫で越冬するのかな?

今日は11月17日。気象予報では、今週半ばには最低気温が5℃というような日が来るようです。

動けるうちになんとかしなくちゃね。

ベゴニア 雄花雌花

1107begonia1ベゴニアはずいぶん昔から親しんできた花なのに、何ともお恥ずかしいことに、雌花雄花が違うんですね。
今頃気づきました。
これ、雄花でしょう。
で、こちらが雌花。
1107begonia2
いかにも花粉を受け取る側ですよね。

念のため、赤い花のベゴニアも撮影してみました。

1107begonia3 1107begonia4
やっぱり、左が雄花、右が雌花ですね。

トホ。無知だった。

(再度)アブの仲間かなぁ

1107abu_11月3日付で、アブの仲間かなぁ、と書いたあれです。

11月7日にも見かけました。

決着がついていないので、もう一回。
よくわかりません。

1106kiku1「キク科」というのはずいぶん扱ってきましたが、菊そのものはまだだったでしょうか。

近くのお家で、線路際を利用して菊を栽培しておられます。

雨の日は袋をかけたりして、丹念に育てておられます。

頭の重そうな、立派な花が咲きました。

1106kiku2 こんなです。

見事ですね。

またいたずらごころを起こして
1106kiku3
花の中心をアップ。

こんなに渦を巻いているとは知りませんでした。
吸いこまれそうです。

ウラギンシジミ

1104uraginsijimi_fウラギンシジミといいます。

メスです。

この翅の裏は名前の通り銀色なのですが、今回は写せませんでした。

ずいぶん翅がボロボロになってしまいました。秋ですものね。ごくろうさま。ゆっくりひなたぼっこしてください。


テントウムシ

1104tentouこのごろよく見かけます。

アブラムシは見えないのに、なぜか見かけます。

多分ナミテントウで間違いないと思います。

1106namitentou こちらは確実にナミテントウです。
アブラムシを食べてくれるので益虫ということになっています。

1106namitentou2 ナミテントウの斑紋はやたらとバリエーションが豊富で、本当にこれ、同じナミテントウ?といいたくなります。

迷ったら、

http://nemutou.fc2web.com/namitento/namitento.html

ここに典型的なパターンがありますから、ご覧ください。
1106nijuyahositentou
こちらは久しぶりに見たニジュウヤホシテントウです。

こちらは植物食で、ナス科の植物の葉を食べますね、トマトとか。
で、害虫ということになっています。

害虫といい益虫といい、ヒトの身勝手に過ぎません。経済活動としては駆除したりする必要もあるでしょうが、一般の私たちはそんなことを言う必要は全くありません。
かわいいじゃないですか、ねぇ。

ヒトって 身勝手なサル みんな一生懸命 生きているだけなのに 「分け」たがる

ウジ

◆これ絶対不評だと思います。苦手なかたはパスしてください。

◆ショウジョウバエ
1104syoujoubae1 カタツムリを飼育していたら、餌にショウジョウバエが産卵して繁殖してしまいました。

出会ってしまったものは仕方ない、観察してしまおう、というのが私のスタンス。
これ、いわゆる蛆です。ショウジョウバエのウジですから、小さなものです。2mm程度でした。

よく見ると、頭から2本の白い線が体内を走っています。これ、よく分からないのですが神経系じゃなかろうか?

しかしまあ、こういう小さいものを研究材料にして遺伝学をやるというのは、眼がよくないといけませんねぇ。近眼で乱視でそこへ老眼が加わった私の眼だと、思わず、すごく接近してしまいます。楽しくはないなぁ。

1104syoujoubae2 こちらはもう蛹になったものですね。

蛹の殻が輪に割れて成虫が出てくるのが「ハエ」の基本形。
蛹のからの背中が縦に割れて成虫が出てくるのが「アブ」の基本形です。

私自身はそこまで観察したことはないのですが・・・。
チョウはずいぶん見たけれど、ハエは積極的に飼育しているわけではないし。

◆(多分)センチニクバエ

1104uji ハネカクシの写真をお目に掛けました。あれは、猫缶にやってくるハエをカマキリのエサにしていて、たまたま見つけたものでした。

ここにご紹介するのは、チビドウガネハネカクシを撮影した時に、一緒に写っていたものです。

大型のハエの幼虫ですから、大型のウジです。1cmくらいもありますね。

昔、日本のトイレが汲み取り式だった時代には、いくらでもお目にかかったものですが、最近は見なくなりました。きっと知らない方も多いでしょう。(ちなみに、私が育った家庭では、トイレのことは「ご不浄」と言っておりました。これも死語でしょうね。)

◆マゴットセラピー

 ハエのウジはやはり相当に不潔なところで成長します。不潔ということはウジにとっても危険な状況ではあるわけです。ヒトの免疫とは違いますが、ウジも身を守るために、殺菌作用のある液を出したり、消化管内でも殺菌しているわけです。この性質を利用したのが「マゴットセラピー」という治療法です。

人が学ぶ 昆虫の知恵」 普後 一 著、東京農工大学出版会、2008.5.7 初版発行

この本から引用します。

 マゴットセラピーとは、ハエの幼虫(マゴット)を用いて傷の治療を行うもので、最近注目されている治療法の一つです、戦争による傷病兵の中で、傷口にウジが湧いた者の方が、治癒回復時間が短くなるといった報告が相次ぎ、この治療法は、世界大戦期までの欧米で広く普及していました。
 しかしその後は、抗生物質の普及や外科手術の発達によって衰退を辿りますが、1980~90年代になると抗生物質の多用による薬剤耐性菌:MRSAの出現や難治性創傷の増加とともに、再び脚光を浴びるようになりました。2007年現在、世界35か国で難治性創傷の治療に取り入れられ、わが国でも2004年に初めて治療が行われています。
 治療に使われるハエは、クロバエ科に属するキンバエの一種で、全世界の温暖な地域に生息しています。中でもヒロズキンバエは、マゴットセラピーに適した安全な種として、世界的に最も多く使用されています。
 傷口に移植された幼虫(ウジ)は、まず自分が持つタンパク質分解酵素を分泌して壊死状態の組織を溶かし、次にそれを吸い上げることで壊死組織を除去します。このタンパク質分解酵素は、健全な組織を融解することはないため、壊死組織だけが選択的に取り除かれます。また幼虫の分泌液の中には、様々な抗菌作用を示す物質が含まれていて、この物質がMRSAなどの薬剤耐性菌を含む病原菌に対する殺菌作用をもちます。
 さらに幼虫は、様々な病原菌を含んだ創融解液を吸い上げて、消化管内で殺菌します。こうした一連の過程で、壊死組織が取り除かれて殺菌されるだけではなく、肉芽組織も非常に速く再生されます。
 マゴットセラピーは、治療侵襲が少ない、麻酔を必要としない、従来の治療(抗生物質、外科治療法)に比較して安価、治療法に長い歴史と十分な実績報告があり、その効果は証明されている、といった長所があります。
 ただその反面、治療部位周囲の皮膚痛や刺激があり、腸管や血管壁が壊死に陥っている場合、腸管穿孔や出血をきたす可能性があります。また一部の細菌には効果がなく、人体にマゴットが寄生することに対する嫌悪感などの欠点もありますが、これらは確実な治療体制を取っている病院では慎重に対処されます。なおこの治療法には、健康保険が適用されません。

「身近なムシのびっくり新常識100」森 昭彦 著、サイエンス・アイ新書、ソフトバンククリエイティブ、2008.5.24 という本によりますと

 正式な記録はナポレオンの従軍外科医ラヴレイによる1799年のもので、戦場に長く放置され、傷口にウジがわいた兵士の方が、ただちに応急処置を受けた兵士よりも快復の可能性がずっと高いことを観察した。

とありました。

また、去年の朝日新聞の記事にこんなのもありました。ご紹介します。

「ウジ虫で治療」都ベンチャー大賞:文京の医療関係会社に(2007/10/26)
 新技術や商品開発に取り組むベンチャー企業を表彰する「都ベンチャー技術大賞」の表彰式が25日、江東区の東京ビッグサイトであった。ウジ虫を使い、壊死した部分を治療するバイオセラピーメディカル社(文京区)が大賞を受賞した。
 8回目の今回は115社の応募があった。大賞を受賞した企業は賞金300万円がもらえるほか、販路の開拓や低利融資など都の支援を受けられる。
 バイオ社は、ウジ虫が腐った組織だけを溶かして吸収する性質を利用した糖尿病による足の壊死などの治療法「マゴットセラピー」を広めるため、飼育したウジ虫を販売するだけでなく、病院と連携して、診療料金の設定からウジ虫の保存、処分法、患者の副作用対策までをシステム化した。
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[探究人]日本医大病院再生医療科部長・准教授:宮本正章さん(48)(2007/12/24)
 糖尿病や動脈硬化で血管が詰まって、組織が腐る壊疽。それをハエのウジ(マゴット)を使い、切らずに治すマゴットセラピーに取り組む。昨年起業した大学発ベンチャーは10月、東京都のベンチャー技術大賞に選ばれた。
 無菌培養したウジを傷の周辺に置くと、2~3日のうちにウジが壊死した組織を溶かして食べる。ウジの分泌液には、殺菌効果や組織の再生を促す作用があることが知られている。
 欧米から導入を考えたのは数年前。ウジを輸入したのでは高くつく。国内で生産しようと海外の文献を調べたが、ウジの種類までは書かれていなかった。
 ハエは日本だけで3千種とも言われる。まず手に入れたのは、トイレにもいるセンチニクバエ。だが卵に消毒液をかけると、生まれたウジが小さかったり、元気がなかった。濃度を変えても失敗続きだった。
 実はウジには卵胎生と卵生の2種類があり、センチニクバエは卵胎生。卵生のヒロズキンバエを試したらうまくいった。
 5月、全国に先駆けて新設された再生医療科の初代部長に就任した。マゴットセラピーだけでなく、自分の骨髄幹細胞を使った再生医療などにも取り組んでいる。「臨床では症状悪化の原因も複合的。治すために、いろいろな方法、新しい方法にも挑戦していきたい」

というわけなんです。ハエのウジもまんざらではない。

日本では戦争関連の手記などで「傷口にウジが湧いた」というとただひたすらに悲惨な情景の描写でしかないようですが、実は生存率を上げていたのかも知れませんね。

金星と木星

1114venusjupiter11月14日(金)の夕方5時過ぎ、コンパクトデジカメでの撮影です。

ちょっと道に出たら、西の空に、輝く星が二つ。惑星です。

ご覧のように、我が家は天体観測には最悪の環境。電車が走っていますし、そのむこうは川崎の工業地帯。東にはマンション・・・。

手ぶれが起きています。恥ずかしい。

下のテレビアンテナのそばで光っているのが金星、宵の明星、一番星です。
写真左上で輝いているのは木星。このあと2,3時間くらいで沈むでしょう。

デジカメの感度ってすごいものですね。三脚でも使えばきれいな写真が撮れますよ。チャレンジしてみてください。

2008年11月14日 (金)

チビドウガネハネカクシ

1105tibidouganehanekakusi1実は、アカバハネカクシの話には続きがあります。

ハエがやってくる猫缶はステンレス食器に入っているのですが、アカバハネカクシをケースに入れて、ハエを待っていましたら、小さな昆虫が食器の中を走っています。1cmちょい、という小さな昆虫です。

このような虫です。ステンレスが光ってしまっていい写真が撮れませんでした。

1105tibidouganehanekakusi2
実はこの時点では、捕獲した虫(まだ何であるかは分かっていない時点ですが)の幼虫だろうと思っていました。
何せ、不完全変態昆虫だと考えていましたから、同じ形で小さいだけだと思っていたのです。そのせいもあって、深追いせずに2,3枚スナップして、ハエの捕獲に専念したわけです。

さて、大型の虫が甲虫の仲間のハネカクシであると分かった時点で、とんでもない間違いに気づいたわけです。

甲虫であるなら、その幼虫は「いもむし形」をしているはずです。このちいさな昆虫がアカバハネカクシの幼虫であるわけはないのです。

参った。もっと気合いを入れてちゃんとした写真を撮っておくべきだった、と後悔しましたが、もう食器の中にこの昆虫は現われませんでした。

調べてみると、チビドウガネハネカクシが一番似ている気がします。

というわけで、2種類のハネカクシに出会ってしまいました。
チャコちゃんのおかげです。ありがとう。

アカバハネカクシ

1105akabahanekakusi1秋も深まってきている今、天気さえ良ければ毎日、カマキリのためにハエ取りに励んでいるということはお話ししましたが、その副産物。

庭猫チャコちゃんも協力(?)してくれていて、餌を食べ残して、いろいろな虫を飼育してくれています。(各種のハエ、ナメクジなど)。

ハエを待って、チャコちゃんの餌入れのそばで待機していたところ、見慣れぬ虫が走ってきました。ハエの方が本命ですので、とりあえず捕獲して透明ケースにいれておき、後でじっくり撮影したのがこれ。

見たことない。

正直なところ、不完全変態昆虫の終齢幼虫だと思いました。次の脱皮で長い翅になるのだろう、と。
1105akabahanekakusi2
しばらく、いろんなアングルから写真を撮っていて、とんでもなくビックリしました。

飛ぶんです、この虫。

どこに翅があるか?
翅を隠しているわけですよ。

この写真をご覧ください。
1105akabahanekakusi3
小さなケースの中ですから飛んでいるところの写真は撮れませんでした。

ブ~ンと飛んで、降りた直後の画像です。
えっ、今、飛んだよねぇ、今、翅が見えたよねぇ、と初めは半信半疑。何回も撮影して、やっとこの姿が撮れたのでした。

薄くて長い翅がありますね。
まいったなぁ。これ成虫なんだぁ。
で、また、この翅、シュルシュルっと胸の赤い短い硬い翅の下に吸いこまれて行ってしまうのです。これが「変」というか「おかしい」というか。すばやい技なので見定めたわけではないのですが、後ろ脚をちょっと上げて、翅をしごくようにすると、見事に畳みこまれて行くようです。薄くて柔らかい翅を、どうやってきちっと畳むのか、謎です。

となると、これは話に聞く「ハネカクシ」なのかな、と調べてみました。

アカバハネカクシで多分大丈夫でしょう。

甲虫目 > ハネカクシ科 > ハネカクシ亜科 > アカバハネカクシ です。

甲虫です。成虫も幼虫も、生き物の死骸や糞を食べるのだそうです。猫缶の残りに来るわけだ。

「虫ナビ」によりますと

アカバハネカクシ
学名:Platydracus paganus
和名:アカバハネカクシ
体長:約16mm
分布:北海道~九州
出現期:4~10月
エサ:生き物の死骸や糞(幼虫も同様)
コメント:前翅の赤いハネカクシ。
 頭部および前胸部は暗い銅色で、ザラザラしている。腹部各節の中央部に白い毛が生えており、逆三角形に見える。
ハネカクシの仲間は甲虫類の中でもっとも種類が多く、1,500種以上と言われており、まだ大半に名前が付いていない。ハネカクシは翅が異常に短く、腹部がむき出しになっているが、これは落ち葉や砂利などを移動する際自由に体を曲げることができると都合がよいからと言われている。

そんなに種類が多いのですか。知りませんでした。「科」レベルで全く知らないというのは、ちょっと恥ずかしかったですね。

おそまつ記でした。

http://blog.zaq.ne.jp/insect/article/136/

↑ここに、翅の畳みかたについて詳しい解説があります。関心がおありでしたらどうぞご覧ください。

シロオビノメイガ

1104siroobinomeiga1いつも遠くからしか撮れなかったシロオビノメイガです。

今回は1m弱のところに落ち着いてくれたので、しっかり撮れました。

翅の白帯が名前の由来です。
腹部にも白帯がありますね。
翅の縁にも、白の模様があるんですね。
1104siroobinomeiga2
腹側からの撮影もできました。
翅の表の模様がそのまま裏にも「しみとおって」ある、みたいな感じですね。

幼虫の食草は、ホウレンソウ、フダンソウ、ホウキグサ、アカザなどだそうです。

いづめ

1104sazankaサザンカのつぼみです。

「いづめ」ってご存知ですか?

(飯詰でしょうか)

東北のものなのでしょうか。母に聞いたところによると、農作業で忙しい時に小さな赤ん坊を背負って作業するわけにもいかないので、藁で編んだかごのようなものに、寒くないように布団を入れて、真ん中に赤ちゃんを置いて、畦にいてもらうのだそうです。

田んぼから声をかけたりしながら仕事して、自分の胸が張ってくると、それは赤ちゃんがお腹が空いたときと同期しているので、仕事を中断しておっぱい飲ませたりするのだそうです。
時計がなくても、赤ちゃんとお母さんは同期するのですって。

そんないづめに入った赤ちゃんの人形があります。

サザンカのつぼみを見て、いづめ子人形が心に浮かびました。

(玉雛のほうがポピュラーだったかな。)

ないしょ

1104kodakarasou1何をかくしているの?

ないしょ。

見せてよ。

1104kodakarasou2 はい、どうぞ。



◆コダカラソウです。
 素敵なものが見えたでしょ?

 よき日々を。

これは何?

1104kai1この貝、何という貝ですか?

六郷用水跡の水路にいます。

ごく浅い水路で、流れはあります。

通りかかった女性二人連れが、「カタツムリが水の中に落っこちた」と言っていましたが、それはない。

1104kai2 あまりクリアな画像ではないのですが、貝殻に結構特徴的な模様がありますね。

カワニナではありませんね。もっと尖っているはずだ。

タニシ?こんな色や模様でしたか?

モノアラガイにしてはデカ過ぎるんです。
そう2cm近くあるのですから。

参ったぞ。何という貝なんだろう?

イヌタデ

1113inutade1小さな腰掛に座ってイノコヅチの写真を撮っていたら、すぐ脇のイヌタデ=アカマンマに目が行きました。

アレ?黒いぞ?

ここまで見たことがなかったのです。

これ、実ですね。

1113inutade2 上から見ると三角に見える「果実」です。

包んでいるのは「萼」です。

ちょっとしごいて、掌に取ってみました。

1113inutade3 つやつやしたゴマ粒程度の小さな実です。

ちゃんと見ないと、何にも見えないんですね。

アカマンマから黒ゴマが取れました。(ゴマ塩かけた赤飯が懐かしくなってきたぞ。)

イノコヅチ

1104inokoduti11月4日のイノコヅチです。

ひっつきむしの姿ですね。

さぁ、ひっかかってやるぞ!という雰囲気。

ただまだ青い。

1113inokoduti 11月13日。

熟してきました。
こうなってくると、茎とのつながりも弱くなってきて、ちょっとした接触で服にくっついてきます。

ここは庭の隅。あまり遠くへ行くことは期待できませんね。庭猫チャコちゃんの体にくっついてばらまいてもらいましょうか。

2008年11月13日 (木)

ブチヒゲヘリカメムシ

1104butihigeherikamemusiブチヒゲヘリカメムシです。

翅が透明なのですが、光ってしまってなかなかその下の腹の模様が映りません。
今回、すこしボケ気味ではあるのですが、腹部背面の模様が透けた写真が撮れましたのでお目に掛けます。

さして大きなカメムシではありません。7~8mmといったところでしょう。
気づけば、見えるようになります。頭の隅っこに引っ掛けておいてください。

ベニシジミ

1104benisijimiこれ、ベニシジミが飛び立つ瞬間です。

ネコジャラシにとまった風情がいいなぁ、とシャッターを切ったら飛び去ったのです。

肢がのびはじめています。もうすぐ、はなれて、ヒラヒラ、なのです。

ねこじゃらし チョウのおもみに じゃらされて : 崩彦

 

コバノセンダングサ(Part2)

1110kobanosendangusa1これがコバノセンダングサの花です。

キク科です。

花がおわるとこんな風になります。
1110kobanosendangusa2
もう若いトゲが見えます。

熟してくると

1110kobanosendangusa3 開いてきて

1110kobanosendangusa4 こうなります。

拡大して見ると

1110kobanosendangusa5 「返し」がついてますね。
「返り」という方がいいのかな、要するに釣針が抜けないようにつけた「逆鉤」です。

「花からたねへ」という本を見たらこうありました。

 センダングサ、アメリカセンダングサは、がく片にある逆さ向きのとげで動物にくっ付く。このとげはかなり鋭いもので、がく片の表皮が変化したものと思われる。この逆刺の性能は大変によく、人の衣服に軽く触れただけでひっかかる。そして植物体とは軽く結びついているので、簡単に衣服に乗り移る。この植物体との結びつきは適度で、風では簡単に落ちない。

とありました。

「ひっつきむし」にもいろいろありますね。
このごろ「オナモミ」をあまり見かけません。


コバノセンダングサ(Part1)

1103kobanosendangusa1多分、コバノセンダングサでいいと思うんですけれど。

センダングサという名の草は、アメリカセンダングサ、コセンダングサ、シロノセンダングサ、センダングサ、コバノセンダングサと、いろいろあるようです。
1103kobanosendangusa2
果実なんでしょうか、これを見て、おや、なじみがない、と撮影したのでした。

色は別として、なんだか凍りついた線香花火みたいな実です。
これが線路際に目立ってきて、あまり今まで見なかった草だなぁ、と意識し始めたのです。
先端がとげに分かれていて、しかも「返し」がついていますから、どう見ても動物にくっついて運んでもらうタイプの実ですね。

「雑草図鑑」を見ましたら、大正年間に渡来した帰化植物だそうです。和名は「小葉の栴檀草」の意味だそうです。

セスジユスリカ

1103sesujiyusurika1壁にとまっていました。

セスジユスリカです。

脚の長さがすごいですね。

これをフルに入れるために、体の模様が少し小さくなりました。
足の部分をカットするトリミングをするとこうなります。
1103sesujiyusurika3
「セスジ」の由来、腹部の縞模様、複眼の形など、くっきり見えると思います。

少し斜めのアングルからのショットもありまして、

1103sesujiyusurika2
触覚がすごいでしょ。

これ「耳」です。

というか、触覚の付け根にジョンストン器官という聴覚器があるのです。

ところで、ユスリカ類の幼虫はアカムシといって、ヘモグロビンをもつ赤い幼虫で、金魚など飼う方はご存じでしょう。
私も金魚など飼う時に、ミジンコ、アカムシ、イトミミズなど与えましたので、知っているつもりだったのですが・・・
1107akamusi
これ、用水桶の水面にいたのですが・・・

アカムシが蛹になったのですよねぇ。

自信がない。

改めて考えてみると、ちゃんと蛹を見たことがない。普通の蚊の蛹は「オニボウフラ」といって、よく知っているのですが。

間違ってたらごめんなさい。多分大丈夫でしょう。

てふてふ

「みみこ」さんから頂いたコメントの中に安西冬衛の詩が引用されていました。「春」という題の一行詩です。

てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた

昭和4年の「軍艦茉莉」におさめられています。

私がこの詩と出会ったのは、確か高校生の頃だったと思います。学校帰り、いつも寄っていた古本屋で買ったアンソロジーで出会って、強烈なショックを受けたのでした。

詩を解釈するとかどうとかこうとかいう問題じゃなくて、一目で視野に入ってしまう詩の「字面」、「てふてふ」「韃靼海峡」それだけでもう、世界ができている。

読めば、イメージと音(おん)が絡み合う。

ことばが世界を構築する、ということはこういうことなのか、と衝撃を受けました。

世界を震撼させるような、たった一つの「ことば」というものがありうる。
世界を構築するような、たった一つの「ことば」というものがありうる。

詩とはそういうものなのだ、と以来、信じて疑わない私です。

「詩に出会いたい」と思っています。

詩と称して、単にぷつぷつ切っただけの散文はいくらでもあります。
切りゃあいいってもんじゃあないでしょう。

◆芸術ってすべてそうなんだと思います。芸術家が作品として世界を構築してみせる。
鑑賞者はその作品から世界を受け取る。

クラシック音楽がほとんどダメな私ですが、なぜか、バッハの曲のパイプオルガン独奏だけは大好きなんです。聞いていると壮大な建築が頭の中に音で組み上がっていく、あれがたまりません。

ジャズメンが何時間もぶっ通しで楽器で会話しながら世界をつくっていく、好きだなぁ。

◆高校時代、絵画展に行って、川の中の岩にとまった鵜、の絵の前で、20~30分もたたずんでいたら、画大生だという人に「気に入ったのか」とたずねられました。「いえ、鵜の目から見える、川や岸辺の景色を想像していました」と答えたら、「そういう見方もあるのか」と言われました。

題ぬきで作品と向き合うべきだ、鑑賞者は作品を通してのみ作者と対決すべきだ、などと大それたことを考え始めたのは高校生の頃でした。

◆こんな記事がありました。

2度の出会いを体験する 米田知子展(朝日新聞 2008年11月12日)
 人は、美術作品を2度体験する。1度目は、作品表現とじかに接する形で、2度目は、タイトルなどの情報を得た上で。
 65年生まれの写真家、米田知子は、この二つの体験の関係を作品化しているといえるだろう。約60点からなる個展に、そう感じた。
 例えば、第1室で出あう1枚は明るい光に満ちた海水浴場と楽しげな人々を映し出す。しかし、特定の人物や出来事に焦点を合わせることはしない。あくまでも観察者的に、水平線は水平なままに、フラットに光景をとらえる。このまなざしが、明るさと同時に、けだるさも生む。
 で、タイトルを見て、「あっ」と声を上げそうになる。「ビーチ ― ノルマンディ上陸作戦の海岸/ソードビーチ・フランス」(02年)とある。第2次世界大戦の、あの激戦地の現代の姿なのだ。
 ・・・

この場合、「タイトル」は別の作品というべきでしょう。二つの作品が交差するところに「新しい世界が生まれる」というべきなのだと思います。

芸術作品を鑑賞するときに、「題・タイトル」とはどのようなものなのかも考えながら味わうと、作者が仕掛けた、また異なる世界を覗き見ることができるかもしれません。

◆いや、余計なことでした。世界を構築する「熱」を自分は持っていない、と自覚したのも高校生の頃でした。古い話だ。

ギフテフ

2008.11.9付 朝日歌壇より
高く照る月の冷たさギフテフも蛹となりて光浴びゐむ:(岐阜市)後藤進

虫好きではありますが、私はまだギフチョウの生きた姿を見たことはないのです。「春の女神」と呼ばれて、早春に羽化し、毎年話題になることは知っています。

ぎふ‐ちょう【岐阜蝶】アゲハチョウ科のチョウ。明治初期に岐阜県で発見。開張5~5.5センチメートル。本州の固有種で、幼虫はカンアオイ類の葉を食う。春に羽化し、「春の女神」と愛称される。ダンダラチョウ。[広辞苑第五版]

「春の女神」ギフチョウが羽化 岐阜市の名和昆虫博物館(朝日新聞2008年03月04日)
 色彩豊かな羽が特徴のギフチョウが2日、岐阜市大宮町の名和昆虫博物館のガラスケース内で2匹羽化し、一般公開されている。
 ギフチョウは、東海3県では岐阜市以北の雑木林などに生息するアゲハチョウ科の一種。黒と黄のまだら模様に赤、青、オレンジ色の斑紋が特徴で、羽を広げると6センチほどになる。
 春先に羽化することから、「春の女神」「春の舞姫」などと呼ばれている。同館では、4月中旬までに100匹以上が羽化し春の訪れを告げる。

今の時期、蛹でいるのだろうな、アゲハチョウの仲間だから、ぶら下がり型の蛹ということはないだろう、木の幹にでもついていて、月光を浴びているのかな、と思いました。

で、ちょっと調べてみて、びっくり。

ウィキペディアの「ギフチョウ」から引用します。

下草の少ない落葉広葉樹林に生息し、成虫は年に1度だけ、3月下旬-6月中旬に発生する。ただし発生時期はその年の残雪の量に左右される。カタクリなどの花を訪れ吸蜜する。
幼虫の食草はウマノスズクサ科カンアオイ属のミヤコアオイやヒメカンアオイなどで、卵もこれらの食草に産みつけられる。真珠のような卵から孵化した幼虫は黒いケムシで、孵化後しばらくは集団生活をして育つ。4回脱皮した終齢幼虫は夏には成熟して地表に降り、落ち葉の下で蛹となる。蛹の期間が非常に長いのが特徴で、そのまま越冬して春まで蛹で過ごす。

福光村昆虫記によると

幼虫期は35~55日で、4回脱皮して終齢幼虫になります。終齢幼虫は落ち葉の裏に移動して、最後にもう一度脱皮して蛹になります。大江高山では5月末から6月にかけて蛹になり、翌年の春までそのままの形で越冬します。蛹の形で10ヶ月も動かないわけですから、アリやクモに襲われ生き残る蛹は少ないそうです。

http://www3.ocn.ne.jp/~gifuchou/no13naiyou.html によると

 長野県北部におけるギフチョウ属は4月下旬~5月上旬に羽化し、産卵された卵は約3週間の卵期、約40日間の幼虫期を経て、6月下旬~7目上旬までに蛹化を終えて蛹の形態のまま越冬する年1化性の蝶である。しかしギフチョウ属蛹の越冬状態は他の蛹で越冬する多くの蛹のそれとは異なり、秋になると成虫分化を始め、その後ゆつくりと形態形成が進んで秋の終りには鱗粉の着色を除いてほぼ形態形成を完了し、そのまま「蛹の殻をかぶった成虫」という状態で越冬を行う。

いや、知りませんでした。ずいぶん蛹の期間が長いのですね。今の時期は落ち葉の下で、蛹の姿で、成虫への形態形成も終わりかかるころでしょうか。

冷たい月光に照らされた落ち葉の下でギフテフの蛹は成虫への変化を進めているのですね。

2008年11月12日 (水)

オシロイバナ

1103osiroibana1オシロイバナです。

去年は「動く遺伝子=トランスポゾン」の話をオシロイバナを使ってずいぶんしました。

このような白と赤の混じった花を見ると、トランスポゾンが活動しているのだなぁ、と改めて不思議な感じにとらわれます。

オシロイバナの場合、花弁のようなのはがくで、がくのようなのは苞です。
1103osiroibana2
オシベの先端を見てください。
こんな粒粒な感じだったんですね。
こちらはちゃんと見ていませんでした。
オシロイバナの結実率はものすごく高いですね。今、実だらけです。

今の女の子たちは、これで「おしろい」なんて遊ぶのかなぁ?
小学生用の化粧品が売られているご時勢だからなぁ。(肌にはよくないのですが・・・)

アシナガバチ2種

1103hutamonasinagabati1こちらはフタモンアシナガバチ

わが家の周辺では一番普通に見かけるアシナガバチです。

1103hutamonasinagabati2 これはメスでしょう。
1107hutamonnasinagabatim
こちらはオスでしょう。
日向ぼっこをしているハチの集団をこの時期よく見かけるのですが、フタモンアシナガバチのオスであることが多いです。顔が黄色いですね。

なんとなく、背中を見れば分かるような気がしていたのですが、
どうやらそうではないらしくて・・・。

1107koasinagabati
これ、背中を見て少し小柄なフタモンアシナガバチかな、と写真を撮ったのですが、しかもそのつもりですから、1枚こっきり。

パソコンで眺めると、どうも腹部が違う。顔もちがいますねぇ。
しまった、もっといろんなアングルを狙うべきだった、と後悔先に立たず。
調べたら、多分、コアシナガバチです。

思い込みで写真を撮ると、大事なものを見逃してしまうようです。一期一会、常に初対面で、常にもう再開はできない、という覚悟で撮影しなければなりませんね。肝に銘じます。

フタモンアシナガバチ

1110hutamonasinagabati1アシナガバチ 寒かろ 飛べないね : 崩彦

11月10日。東京の最低気温が今年初めて10℃を切って、9.7℃。
最高気温も平年より3.5℃低い14.2℃の日でした。

線路際で、じっとしているフタモンアシナガバチを見かけました。
日光浴で体温を上げたいのでしょうが、お日さまもでていません。じっとつかまっているだけでした。
1110hutamonasinagabati2 人間にとっては、寒さでかじかむ、というほどの低温ではないのですが、昆虫にはこたえることでしょう。翅を高速で動かすにも筋肉の温度が低すぎる。

ということで、渥美清さんの句をまねて、ひねってみました。

参考にしたのは「風天 渥美清のうた」から

ゆうべの台風どこに居たちょうちょ

です。

山茶花

2008.11.9付 朝日俳壇より
咲き初めし山茶花の在る庭の隅:(西宮市)竹田賢治
1110sazanka
11月7日が立冬でした。

今日、11月12日。東京の日の出時刻は6:14、日の入り時刻は16:36です。
朝起きるとまだ暗いし、夕方はすぐ暗くなっちゃうし、季節は足早ですねぇ。

来年はありますか?

朝日俳壇より
11/9
来年も生きるを信じ種を採る:(横須賀市)佐藤博一

9/15
生涯の最後の暑さかもしれず:(さいたま市)藤井健治

5/26
わが生の最後の新車夏うぐひす:(仙台市)長沼敏夫

今のっている自動車はもう10年以上になります。この車が人生最後の車、ということはないのではないか。ということは、もし、次に車を買うとしたら、それは確実に私の人生最後の車です。

この年=60歳になると、すこしずつ「我が人生最後の」という形容詞がつき始めます。もちろん来年の夏がくるかどうか、来月があるかどうか、明日があるかどうか、誰にも分らぬことなんですが、これまでは忘れていてもほぼ差し支えなかった。
でも、これからは・・・。

今年採った種をまくチャンスはあるのかな?来年の夏の暑さを経験できるのかな?人生最後の車、人生最後の時計、人生最後の・・・

◆少し感傷的になりましたか?ダメ押しです。

10/27
「百歳まで生きるで、まだまだ死なんよ」と嘘の嫌いな母がついた嘘:(和泉市)星田美紀

9/22
再見を言ふは易けし再見の難きをかみしめ人は手を振る:(加賀市)敷田千枝子

9/15
この暑さ遺言などは書く気なし:(長浜市)川村麗子

2/4
人生は七回裏の守備あたりレジ袋提げコンビニを出ず:(岩手県)上野寛二

1/28
人生にコールド負けがないゆえに生かされて今日喜寿の酒酌む:(大館市)小林治夫

海馬

2008.11.9付 朝日歌壇より
もしかしてどこかでお逢いしたことがあるかと笑ふ父の海馬は:(箕面市)大野美恵子

海馬というのは脳の器官です。記憶や空間学習にかかわります。アルツハイマー病の最初の病変部位でもあります。

こう書けば、どなたにも歌の意味が明瞭になるでしょう。
お父様がいわゆる認知症になり、娘の顔を見て「もしかしてどこかでお逢いしたことがあるでしょうか」と尋ねられた、という歌なのです。

年をとるということは、つらいことですね。できることなら、自分の死の直前までちゃんとした意識で迫り来る死を克明に観察しながら死にたい、と強く願っています。

戸塚洋二さん、筑紫哲也さん、緒方拳さん、渥美清さん・・・

この発言は嫌がられるかもしれませんが、私から見て「よい死に方」をなされました。ご本人がきちっと意識を保ち、周囲が十分に覚悟を決める「時」をもち、きちっと対処されて逝かれました。

戸塚さんの本なども読んでおります。深く心に染み入る次第です。

私のこのブログが「a few more years」と題せる日が来ますように。

2008年11月11日 (火)

他者

2008.11.9付 朝日歌壇より
我の中にあって我ではないことを教えているかのような悪阻(つわり)よ:(調布市)西野千晴
 高野公彦 評:胎児は自分の肉体の一部ではなく、一種の異物であり、他者なのだ、という発見。痛切な歌である。

私は男性ですから、つわりそのものを追体験はできないのですが、生物学にもすこし顔を突っ込んだ人間としては、この逆の面も考えて欲しいな、と思います。

母親にとって、胎児は自分そのものではないと同時に、胎児にとって母親は自分ではない、ということです。

胎盤のところで栄養をもらったり酸素をもらって二酸化炭素を渡したり、尿の成分を母親側に渡して処理してもらったり、しているわけで、決して「血がつながって」はいないということは周知のことだと思います。
それでも、免疫的に母親から攻撃を受けることはあるわけで、そうなってしまったら母親の力は圧倒的に強い。胎児は母親の免疫攻撃から身を守らなければならない。これは免疫の不思議です。

受精卵が子宮に下りて来た時に、肥厚した内粘膜が微小な受精卵を検知できると思いますか?無理でしょ。
受精卵は消化酵素を出して内粘膜に食い込み、ホルモンによって母親側に、自分は着床したぞ、生理になって内粘膜をはがし落してはいけないぞ、と知らせているのですよ。

そういう母親と胎児のせめぎ合いというものがあるのです。

私は受精卵の時から「人」だと思っています。

非暴力

2008.11.9付 朝日歌壇より
生々しき高遠さんの話聞く非暴力こそイラクを救うと:(名古屋市)諏訪兼位

諏訪先生が高遠さんの話を聞きにいってらしたのですね。もちろん、イラクで人質事件に巻き込まれた高遠菜穂子さんでしょう。

すべてのことは個人の活動からしか始まらないのです。人をひとまとめにして扱う「力」に対しては、眉に唾を付けましょう。

ガラスの糸

2008.11.9付 朝日歌壇より
美しきガラスの糸のようだった実験室の思い出はいつも:(鎌倉市)大西久美子

さて、この実験室は何の実験室だろう?と思ってしまうのです。
私は大学も、教員としても化学実験室で長く過ごしてきましたから、つい化学実験室であるように思ってしまうのですがいかがでしょう?

化学では、自分に必要なガラス器具の一部を自分で作るということはよくあることです。
いわゆるガラス細工ですね。ガラス細工をすると、これまた、必ずと言っていいほど、細く引いたガラスの糸ができます。毛細管そのものが必要な時もあるし、何かをつくった最後に、余分な部分が糸を引いたり。
ガラスの糸やガラスの膜は日常の事でした。どれも繊細で美しいものです。そんな自分の記憶に引き寄せて、この歌を化学実験室かな、と思って読んでいるのですが、違うかなぁ。美しく、繊細で、はかない記憶があるのかな、と。

生物系の実験室でもガラスの糸はなじみ深いものなのでしょうか?

向こうの人

2008.11.9付 朝日歌壇より
パソコンの向こうにひとがいるんだとアイスクリーム食べて深呼吸:(小平市)萩原慎一郎
 佐佐木幸綱 評:eメールか。ゲームか。一人の部屋の独り言のような作。

どうも素人は恐れを知らない。佐佐木幸綱さんに楯突こうなんてね。
今私はこうやってブログを書いていますが、この言葉たちは、画面の向こうにいる「人」に向かって発されているものです。

言葉は必ず人に向って発されるべきものだ、と私はかたく考えています。独り言は嫌です。ブログが独り言なら、私には耐えられません。

かつて、教師として教壇に立っていた時もよく生徒に言ったものです。授業はライブだ。僕の言葉はテレビの音声ではない。今、ここから、君たちへ向かって発される生き物だ。しっかり受け止めて欲しい。とね。
今の生徒は、テレビの前で菓子でもかじりながらドラマでも見ているような授業態度なんですよ。教師の言葉が、自分に向けて発されているとは思っていない生徒がひどく多いのです。
それじゃあ、むなしすぎるんです。

言葉は常に人から人へ向かうものであるべきです。今、私は、パソコン画面の向こうにいる人に向かってこの言葉を発しています。

萩原さんも、一息ついて、パソコン画面の向こうの人に語りかける覚悟を定めて、気合いを入れているのではないでしょうか。

2008.11.9付 朝日歌壇より
蟹の鋏骸の断片散りぼいて鷺の足あとひそかなる秋:(御所市)内田正俊
 馬場あき子 評:落葉の秋がきて鷺の棲む木の周辺が見えるようになったのだろう。蟹の鋏やそのたの骸が散らばる中に淑(しと)やかに優雅に歩く鷺の姿が浮かび上がる。

私は鳥には全然知識がない。で、よく分からないのです。木々が裸になって、鷺の食事跡が見えるようになったという解釈をしておられるようなのですが、そうなのかなぁ?

浜辺に食い散らかされた蟹の鋏や脚などが散らばっていて、砂には鷺の細い足跡が残っている。しとやかな鷺の姿を思い浮かばせる細い足跡、散らばる骸、生きることの激しい断面が、秋の寂しさとともにしみいる、というような感じに私は受けとりました。

解剖実習

2008.11.9付 朝日歌壇より
今君がするりと立てたるその指は解剖実習終えて来し指:(東京都)宇佐美祐貴
 永田和宏 評:その指が解剖実習を終えてきた指であることを作者は知っている。恋の歌と取ったが違うかも知れない。

私も、恋の歌かとは思います。ただ、人間が散文的にできてますので、あんまり艶のある解釈ができない。

解剖実習を終えた人の指はホルマリン臭いのではないか、などと思ってしまうのです。

私は人体解剖はしたことがありません。動物学実習で、大きなヒキガエルのホルマリン漬けのを2匹与えられて、徹底的に解剖したことがあるだけです。
ホルマリン漬けのカエルを解剖すると、自分の手がホルマリン漬けになって、ごわごわに固まり、風呂に入っても皮膚表面の触覚は回復しないし、食事もホルマリン臭かったことを覚えています。鼻もバカになっていて、何にも匂いが感じられない、そんな実習をしました。

それを思い浮かべて、ホルマリンの匂いと、献体なさった方への感謝の念と、複雑に絡み合った「恋」の想いなのでは、と取っています。

◆ふと記憶が飛んで。

かつて原爆のフィルムを買い取って、公開する10フィート運動に少しかかわったことがありました。

その成果の映画の上映会に行ったとき、上映が終わって被爆者の方のご挨拶がありました。その時に伺った言葉で忘れられない言葉があります。

 今、ご覧になった映画の中には決して表現されていない事実が、あの広島の現場にはありました。それは、においです。亡くなった方々の遺体が腐っていく、そのにおいです。・・・

匂いというものは、記憶と強く結び付きます。そして、映像や、文章には現われてこないものです。

視覚的な詩はあっても、嗅覚的な詩はむずかしい。匂いのことを書いても、情景を共有しにくい。

そんなことが頭をよぎっていきました。

ゆきむし

2008.11.9 付 朝日歌壇より
あなたには飛ぶべき時がわかるのかゆきむしゆきむし札幌の街:(札幌市)鈴木さよこ
 永田和宏 評:雪虫が飛ぶようになると冬の訪れを実感する。雪虫はまた綿虫とも呼ぶ。第四句のリフレインが結句へつながる呼吸がいい。

ゆきむしというのはアブラムシの仲間の俗称です。虫の(植物も)季節把握は正確です。ヒトは鈍感な方です。冷暖房、衣服などを手に入れましたから。

他の動植物たちは、季節の変化を正確にとらえていなければ、子孫を残していくことができません。

今のこの季節、産卵して死ぬも、自分自身が越冬するにも、「急かれる」季節です。
もう、雪が迫ってきています。

かけっこ

2008.11.09付 朝日歌壇より
初めての競走なりしかけっこは子にも親にもはじまりを告ぐ:(高槻市)有田里絵

もう幼稚園の運動会なのでしょうか。遠い記憶がよみがえります。子どもが育っていく時間を共有すること、こんな幸せがほかにあるでしょうか?日々変化・成長していく濃密な時間、宝物ですね。

実は、有田さんの歌は朝日歌壇にたくさん採られているのです。今も妊娠中でいらっしゃるので、2番目のお子さんが誕生したという歌が載ったらまとめてご紹介しようと思っていましたが、私の気持ちが持ちこたえられなくなってきました。ここで、今年に入ってからの分をご紹介します。

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09/15
マタニティーマークをつけて子を連れて二人に見える三人で行く
 高野公彦 評:「三人」とは作者、子、そして胎内の子。

08/18
パパ今日もおしごとがんばっているよって平仮名だけのメールが届く

  きっと平仮名が読めるようになったんですね。すごい。

07/21
目の前が急にひらけたまた産めるまだ8ミリの命見つめて
 高野公彦 評:注に「二人目を授かりました」とある。再び母となる喜び。

 私が親になる頃はまだ超音波画像で胎児を見るということはありませんでした。変わりましたね。

07/07
月影に舞えるホタルは音のない子守歌なり吾子眠りゆく
 高野公彦 評:「音のない子守歌」とは言い得て妙。

06/08
子の声は丘の上まで呼びに来るママの私が濃くなってゆく

 幼い子はいつも全力。すごい声なんだろうなぁ、かわいいの。

 05/19
マスカラもロングピアスも週末のごほうびにしてママ三年目
 高野公彦:週末のお洒落を楽しみに、ウイークデーは子育てに専念

04/21
桜道猫のいる道子と行けば次の角まで十分かかる
 高野公彦 評:猫の好きな幼子なのだろう。桜道という言葉(新語?)がいい。

 いや、子どもの視線は地面に近い。大人には見えないものが見えます。大人は目的地が大事で、途中は軽視しますが、子どもは、途中もなにもあったものではない、すべてが面白い。これが時間の「濃密さ」を生むんですよね。子どもとの散歩は楽しい。

04/07
大人語を話さず暮れる一日はその日かぎりの小さな絵本
夜更けには眷属神となりたもう片づけられたぬいぐるみたち

 高野公彦 評:眷属神は一族を守る神。昼間は幼子の遊び相手となり、夜は幼子の眠りを見守る優しい神。

 幼子は、墜落睡眠といって、今まで元気に遊んでいたのが、突然眠ってしまう。瞬間に、睡眠に入ってしまいます。今まで遊んでいたぬいぐるみも持ったまま眠ってしまいます。ああいう睡眠は大人にはこないなぁ。

03/17
クレヨンは好きな色から折れてゆく吾子の指より小さきオレンジ

03/03
出張の夫の毛布を半分ずつ吾子と使いて眠りにつきぬ

01/28
帰省して語尾にうつりし方言のなくなる前に日常は来る

◆いかがでしたでしょう?また次の歌を楽しみにしています。

新米・古米・こめつなぎ

2008.11.03付 朝日俳壇より

新米と云ふ話題あり古女房:(さいたま市)薄井逸走
 金子兜太 評:「新米」の語ににじむ諧謔の味。

古米にも新米の日のありしかな:(東京都)土屋雅子
 長谷川櫂 評:新米がもてはやされはじめると、去年の米は古米と呼ばれるようになる。その古米の気持ちを思いやる一句。

2008.11.09付 朝日俳壇より 

新米と言ふ響きさへ馳走なり:(大阪市)高橋爽魚

◆初もの好きですよね、日本人って。初ガツオ、ボージョレヌーヴォー・・・。
で、本当のところ、ほんとうにあなたの舌は「違い」を味わい分けていますか?
と、皮肉なかかしさんは聞きたくなってしまいます。
実際に気分を楽しむのならまだしも、みんなが騒ぐその騒ぎに乗ることを楽しんではいませんか?と。
騒げるネタを、貪り探しているように見受ける今のご時世です。
中身ではなく、騒ぎを騒いで楽しんでいませんか?

◆アサヒ・コムのマンガ・コラムに「ゆるゆるフェミニン」という戸田聖子さんの連載コラムがあります。
その11月6日付のコラムが面白かったですよ。

「米びつに虫が…あなたならどうする?」というのです。

ご実家から新米をいただいてきた聖子さん。一週間後にその新米に、「虫」がわいてしまったのです。
ノシメマダラメイガという蛾の幼虫ですね。
これを、手でより分けて
「なんと! 8キロの米の中に五十匹以上いました!多分全て駆除したハズ・・・」
エライ!ですねぇ。

昔の私ならすぐに米を捨てていると思います。
本当に虫が苦手なんです!女子なら分かってくれるはず!!
けれども女子というより主婦・お母さんになって
しまったという事ですかね……なんだか切ないですが、
地球にやさしい人間になれたような気がします。^_^

◆私は子どものころ、この蛾の幼虫とりをずいぶんやりました。こういう仕事は子ども向き。いっぱい取りましたよ。曖昧な記憶ですが「コメツナギ」とかいってましたね。幼虫が糸を出して、米をつないでしまうからです。
 で、そうやって虫を取ったお米をちゃんと食べる、ごく当たり前の日常生活でした。

多少食味が変わっていたかもしれませんが、構った事ではありません。おいしかったです。

ゆで栗をむくと、中によく虫がいて、虫だけよけて、その栗の実も食べました。

梨をむくと、虫の食べた穴があったりして、実を削り食べながら、穴を追跡し、ついに虫を発見すると、それだけをどけて、みんな食べてしまうーーごく当たり前のことで。

◆私はもうかなり長いこと、玄米を食べておりますが、たまにコクゾウムシが発生してしまうことがあります。消毒剤がない証拠、健康米だなぁ。
 一応、成虫になったものは取り除いて、残りを炊いて食べてしまいます。卵やフンもきっと食べているのでしょう。
 妻の論理では、米の中の卵から生まれて、米の実だけを食べて成長してきたのだから、汚くもなんともない。米が姿を変えただけのものだ、ということになります。

 私も賛成。で、健康トラブルなんかひとつもありません。

米に虫がわいたら、まぁ、一応取り除けるものは取り除いて、ちゃんと食べましょうね。健康には一切問題はありませんから。

◇アゲハやアオスジアゲハなど飼育していると、いっぱいウンチをします。みかんの葉っぱが姿を変えただけ、クスノキの葉っぱが姿を変えただけ、全然不潔でもなんともない、というのが我が家の論理なのでした。

11月11日11時11分11秒

1111111111ただこれだけです。

これがデジタル時計のぞろ目としては一番長いでしょう。

でもちょっと緊張しましたね。次のチャンスは一年後ですから。

2、3年前に一回、こういう写真を撮ろうとしたことがあります。その時のカメラは、ディマージュZ3だったのかな。

カメラを構えていて、11秒になった瞬間にシャッターボタンを押しました。でも写っていたのは12秒だったのです。がっかりしましたっけ。

いろいろな機能のデジカメがありますが、結構シャッターボタンを押してから実際にシャッターが切れるまでの時間ギャップの大きいものが多いですね。カメラがいろいろお膳立てをしてくれる。

今、入門機とはいえ一眼レフを使っていて一番気分がいいのは、とにかくシャッターを押した瞬間に切れる、ということです。ちゃんと写っているかどうかはユーザーの責任なのでして、とにかくどういう写り方をしようとかまわないから、「今が欲しい」という時に応えてくれるのがいい。

ユーザーがシャッターボタンさえ押せば、笑顔に焦点が合ってきれいな写真が撮れます、というのも高機能ではあるのですが、一眼レフのように、その気になればカメラの持つ機能をどのように使ってもいいと、機能をユーザーに解放しているというのも高機能です。

どちらかというと、機能の解放の方が好きです。

パソコンも、高機能なソフトを使って楽しむのもいいのですが、実はその気になると、簡単な機能のプログラムを書いて、自分のやりたいことをやらせることができます。大したプログラムが書けるわけではないけれど、楽しいものですよ。
お試しあれ。

2008年11月10日 (月)

不明です

1103humeihae1WANTED!
1103humeihae2 これハエの仲間じゃないかと思うんですけどねぇ。

アブの可能性ももちろんあります。

小さいんです。3mmくらいかな。

で、この特徴的な腹部!
これだけ特徴的なのに、調べても該当者がいない。なんでだろう?

ハエ目であることだけは確かですっ。それしか言えないのは悲しい。

1103haneniji ところで、この写真を見てください。

翅が一枚の部分でも「虹状の色」が薄く見えますが、両方の翅が重なった部分できれいな虹のような色が見えています。

なぜなんだろう?

翅が薄くて、シャボン玉のように裏表での反射光が干渉して虹色を出すことはよくあることです。
ここでは、そういうのではなく、2枚が重なったところに虹色が出ている。
となると、光の干渉というのは少し違うかな、とも思えます。

透明な翅が偏光板の性質を持っていて、そのために偏光面の変化を色で示しているということかもしれません。

偏光板を通してセロテープなんかを見ると虹色が見えるのですが、それと同じなのかな?

偏光サングラスがあったら、ガラス板にセロテープを張って眺めてみるとか、自動車の強化ガラスをみると、虹色が見えますよ。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/13th/sci_13.htm

↑ここで、その実験をしています。カラー写真もありますのでどうぞ。

ミツバチが空の偏光を見て太陽の方向を知ることができる、ということのシミュレーション実験もしました。こちらでどうぞ。↓

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/102nd/sci_102.htm

アロエ

1103aloe1アロエの花芽が伸びて、つぼみが膨らんできました。

アロエの花そのものについては、去年もブログに載せました。
アロエの花、というものをちゃんと認識したのは去年が初めてでしたので。

ああ、ことしも花の季節が来たんだな、と、まぁ、思ったわけです。

花そのものへの集中的な関心は薄らいでいたせいでしょう、ふと、妙なことに気づきました。
1103aloe2
花芽のでてくるところに注目してください。

なんだか、変な感じはしませんか?

1103aloe3 赤い矢印で「花芽」と書き込んでおきました。

アロエは沢山の葉が根本のところで重なるように出てきますよね。

その葉の間から、しかも結構下の方から、脇へニューっと伸び出しているのです。

花芽って、なんとなく真ん中辺からまっすぐ伸び出す、というような感じがしませんか?

気づいてみたら、なんだか妙な気分になりました。

ちなみにアロエは、「ユリ目アロエ科アロエ属アロエ」だそうです。

アカバナジョチュウギクで見かけた虫たち

1106himeharanagatutibati_rよそのお家の前なので、あんまり長時間カメラ構えて動かずにいるのは申し訳ない。なんかあったのかなぁ、と気を使わせてはいけませんので。

その短い時間の間でも、虫たちに出会えました。

これはヒメハラナガツチバチ。毛が特徴。

1106hutamonasinagabati_r
こちらは、フタモンアシナガバチ。
後ろ脚の置き場がなかったらしくて、はね上げているのがご愛敬。

1106tumagurokinbaef_r こちらはツマグロキンバエ。

あの独特の複眼の縞模様がくっきり。

折りたたみ式の口もはっきり分かります。

天気さえ良ければ、日光浴をして体温を上げた虫たちが活動できるのですが、曇ってしまうと、寒くなりました。

アカバナジョチュウギク

1103akabanajotyugikuご近所で咲いているきれいな赤い花。

アカバナジョチュウギクでしょうか。(赤花除虫菊)
除虫菊ですので、花にピレトリン(pyrethrin)を含んでいるそうです。
1106akabanajotyugiku
たしかにキク科ですね。
とてもきれいですし、今の季節の虫たちの御馳走テーブルでもあるようです。

◆ところで、「ピレスロイド(pyrethroid)」ということばを聞いたことがあるのではないでしょうか。ピレトリンの仲間(ピレトリン誘導体)という意味です。

ピレトリン自信は「菊酸」という「-COOH」を含む物質と、「-OH」を含む物質の「エステル」という形の化合物です。
合成ピレスロイドでは、菊酸を含まない物質になっているようです。

神経細胞に作用する「神経毒」ですが、昆虫には強く作用しますが、私たち哺乳類や、鳥類では体重もありますし、作用が穏やかなので、あまり毒性を意識せずに使えます。

ただし、やっぱり毒なんですから、いくら天然成分だといっても過剰な使用はよくありません。
天然・自然は善、人工・合成は悪というような二分法に出会ったら、それだけでもう、疑ってかかった方がいいです。

物質に善も悪もありません。使い方の問題ですので。

アブ(だと思うんですけれど・・)

1103abu_n1_2
いろんな昆虫がセイタカアワダチソウにつめかけていて、なにがなんだか分からなくなってきました。
1103abu_n2_2
胸部背面なんかはハエっぽいのですが、腹部がなんだか平らでしょ。これってアブっぽいですよね。

困った。
同定できませんでした。

 

ナガコガネグモ

1102nagakoganegumo1庭の手入れをしていた妻が連れてきました。

ナガコガネグモです。

1102nagakoganegumo2 腹部を見てください。張りが全くなくなって、しぼんでしまっています。
多分産卵して、お腹の中が空っぽなのでしょう。もう、あまり元気もありませんでした。
頭胸部背面の毛のふさふさした感じなどは普段見るチャンスがあまりありませんから、見てあげてください。少しでも「クモ恐怖症(アラクノフォビア)」の方が減るとうれしいと思います。そのためにはやっぱり、「見ること」から始めるのがいいでしょう。

1102nagakoganegumo3
正面から写してみました。
獲物をとらえるのに眼を使うハエトリグモと違って、体の大きなナガコガネグモですが、眼は小さいですね。

写真を撮った後、落葉の積もった場所へ放してやりました。なんとなくその方があったかそうな気がして。もう、最後が近いのですから。

◆「クモ学」小野展嗣 著、東海大学出版会 という本によりますと、

 ・・・
 ジョロウグモやナガコガネグモは一匹の雌が数百から千個以上の卵を産むが親は産み放しで死んでしまうので、卵や幼虫たちは自分たちだけで生きていかなければならない。しかし、寒い冬に耐えるように卵嚢内の卵は特殊な粘液や真綿のような糸にくるまれている。
 ・・・
ジョロウグモのように産み放しのクモはむしろ少数派で、多くのクモの母親は何らかの形で卵嚢や出嚢した子グモたちを保護する。コモリグモ科のクモの多くは、その名のように子守りをする。ウヅキコモリグモの卵嚢はもなかのような形をしていて、雌はそれを糸疣につけてもち歩く。やがて時期がくると、出嚢した子グモたちは母親の背中(腹部の背面)に乗ってしばらくの期間すごしてから分散する。
 ・・・
タナグモ科やヒメグモ科では、さらに進んで、親子が同居する間に母親が食べたものを吐き戻して子グモに口移しに給餌する種があることが知られている。この消化済みの液体をスパイダーズミルクと呼んでいる。愛情のこもったクモの乳だ。
 ・・・

いわれてみればそうですね。昆虫は親と子が顔を合わせることはまずない。それに比べると、クモは親が卵や子の面倒を見ますね。

昆虫では、嫌われ者のゴキブリは、卵鞘を腹部の先端に付けて歩くのがいますね。卵の保護です。それを財布に見た立てて「コガネムシ」と呼ばれたりもします。(コガネムシは金持ちだ♪のコガネムシはゴキブリのことです。)
カメムシ目のコオイムシも背中に産卵しますね。

クモはホント、卵や子を保護します。
実はムカデも卵を保護します。

昆虫に比べてクモは進化の度合いが低いような言い方をされたりもしますが、「進化」はより良くなることではありません。いろいろ多様な生き方を作りだしていくことです。
クモは子の保護において、より手厚い方向へ向かったということですね。

(魚より原始的とされる鮫が、体内で子を育てるための一種の「子宮」をつくりだした、というのもすごいことでしょ。)

◆上に引用した「クモ学」は、学術的にも高度な著書なのですが、一方で著者のエッセイでもあって、ちらっとこんな風刺も書きこまれていました。

ハエやカやゴキブリなどの主婦の友をはじめ・・・これらは皆節足動物である。誰でもきっと彼らと関わらない日はないだろう。

2008年11月 7日 (金)

コカマキリ

1102kokamakiriこれはコカマキリ(小カマキリ)です。

体長がまず小さい。カマの内側に模様がある。そういうところで確認できます。

このコカマキリはもう羽もボロボロのメスでした。産卵は済ませたのではないでしょうか。腹があまり膨らんでいません。仕事を終えて、あとしばらくの命を、あたたかく過ごせたらいいですね。

タンポポ

1031tanpopoこの写真を見て、一瞬で何が写っているかお分かりになったでしょうか?

タンポポの姿としては、ちょっと見慣れないものではありませんでしたか?

ゴルフボールみたいですね。でも、これもタンポポの姿のある断面です。

◆たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ  坪内稔典

面白い句です。タンポポは季語としては「春」です。
上の句は、春ですか?ここではタンポポは季語ではありませんね。春の風景である必然性は全くない。

夏の燃え上がる暑い日かもしれません。
今のような、もう立冬を過ぎた季節でもいいです。

でも、いわゆる「俳味」はたっぷりですね。

しかめっつらした有季定型に縛られずに、楽しめたらいいですね。

わたくし、まじめくさった、しかめっつらをみると、警戒したくなるたちです。

キンバエ

1031kinbaeキンバエだと思うんですけれど・・・。

色で言ってしまえばこれは「ドウ(銅)バエ」ですねえ。

キンバエの体色は普通は「金緑色」ですね。個体差が多いそうです。「青緑色」「銅赤色」もある、と虫ナビというサイトに書いてありました。

このごろは、キンバエやニクバエをカマキリの餌として採集しています。

虫捕り網をもった爺さんがうろついているというのは「不審」だろうなぁ。

ハエの逃走能力は非常に優れていて、網に入って、網をひねって折り逃げられないようにしても、チョウなら逃げませんが、ハエは歩いて出てくる。網をかぶせても、歩いて出てくる。
興奮させて飛びあがらせた方が確実に捕獲しやすい。それでも、注意深くカマキリの飼育ケースに移さないとすき間からすぐ逃げる。

チっ、またハエにバカにされたぁ、とぼやきながら、何とかカマキリの餌取りに励むかかしじじいです。

この間は、庭猫のチャコちゃんにまで、なにやってんだかねぇ、という顔で観察されてしまいました。

チャコちゃんの餌にたかってるハエを採ってるのっ!と説明しながらハエトリは続きます。ハエトリグモならぬ「ハエトリ爺」でした。

ヒメナガカメムシの交尾

1031himenagakamemusi小さなカメムシで、知らなければハエだと思われてしまうだろう、ということはすでに書きました。

このヒメナガカメムシ、交尾中を見かけることが非常に多いのも面白いことです。
ただ、上から、虫の背面側から交尾中のペアを見ることが圧倒的です。

初めて、横からピントを合わせている間逃げられずに撮影できました。

交尾しながら口吻を花にさして液を吸っているようですね。

ここでも、右の大きいのがメスだと思います。何せ、卵を産むということは精子をつくるよりずっと大変な大仕事ですから。

ハキダメギク

1031hakidamegikuハキダメギクです。

「掃き溜め菊」ですね。かわいそうな名前をもらいました。とっても可憐な花ですのに。

対称年間に渡来した帰化植物だそうです。牧野富太郎が最初にハキダメギクと呼んだということです。

花の柄の「毛」をご覧ください。先端が尖っていなくて丸く膨らんだ毛です。花の柄の全体を覆っているようです。「腺毛」というのだそうですが、「腺」ということは何かを分泌するのでしょうか?毛の先端の丸いのはその分泌物の液滴でしょうか?
わかりません。


ツマグロキンバエ メス

1030tumagurokinbae4ツマグロキンバエのメスです。

複眼の間が離れているので。

口を見てください。ゾウの鼻みたいな感じです。あれほどしなやかではありませんで、折りたたみ式ですが、自在に伸ばして蜜を吸います。(舐めるというべきか)。

ポピュラーなハエなんだということが分かってきました。

ミノムシ

1030minomusiブロック塀にまたミノムシが着いていました。

またいた、ということはこのあたりで生息しているんだなぁ、と喜びました。

写真は撮りましたが、この時は、触りもせずに、また中身はないんだろうな、と思っていました。

10月30日のことです。

ところが11月1日、見たら状態が違っています。
1101minomusi
たれっとぶら下がっていたのが、今回は斜めに立っています。

わっ、生きてるんだぁ、と感激。

写真を撮って、そっと触ってみたら、中に虫がいます。

そのまま放置したら、翌日にはどこかへ歩いて行ってしまいました。でも、うれしい。
身近な昆虫としてもうちょっと増えてほしいものです。

また会おうね。

キタヒメヒラタアブの交尾

1030kitahimehirataabu_kobiアブの交尾を見るのは初めてです。

フウセンカズラの花の上ですから、小さなアブだということが分かります。

右の大きな方がメスだろうと思うのですが、確定できません。

成虫の季節はもうすぐおしまい。越冬は卵かな?幼虫かな?
世代がつながりますように。

2008年11月 6日 (木)

ツマグロキンバエのオス

1031tumagurokinbae1
ツマグロキンバエが口を伸ばしているところです。
これ、肉眼でも結構はっきり分かります。

なんだか刺すアブの口みたいですが、刺しはしません。

ところで、顔をアップしたら
1031tumagurokinbae2
伸ばした口の先端に、円盤状というのかなぁ、丸い「舐める」部分が見えます。ご確認ください。
複眼の縞模様が凄いですね。
1031tumagurokinbae3
六角形の個眼で形成されていることがはっきり写ったショットです。

小さなハエですのでここまで移せるとは思っていませんでした。

蜜をなめることに一生懸命になっていたせいか、ハエとしては写真を撮られることに全く無頓着だったのです。(ハエは、シャッター音やフラッシュに反応して飛び去ったりすることが多いのですけれど。)
おかげで真っ正面ショットも取れました。
1031tumagurokinbae4

すごい顔つきになりました。

個眼が六角形だと、フラッシュの反射光も六角っぽくなりますので、その効果が入っています。

そして、虹色の縞模様。
どういう構造で、この色と縞ができるのか、知りたいですねぇ。
複眼の表面を覆う膜かなんかがあって、そこから発生するのでしょうか?

お気づきのことと思いますが、複眼が中央でくっついています、離れていません。
ですから、ここに写った個体は、ツマグロキンバエのオスです。

最後に、横ショット。1031tumagurokinbae5

花もフウセンカズラに変わっています。

毛の生え方、腹部の模様などがくっきりと写りました。
写真の中に矢印で指示しているのは平均棍です。

この秋初めて顔見知りになりました。

ツマグロキンバエのメス

1029tumagurokinbae1初めて見たハエです。

セイタカアワダチソウを見ていたら、見慣れないはえ?アブ?がいたので、何枚か撮影しました。アブのような気もしたのですが、折りたたみ式の口の様子はどうもハエ。でも、背中に毛が見えなくて、プチプチ模様があって、なんだかハエとしても妙だなぁ、と思いました。
1029tumagurokinbae2
複眼が離れていて、その間にプチプチ模様の帯状の部分が入り込んでいたりして、不思議な眼です。独特の虹色のついた縞模様もあります。

ああでもないこうでもない、と調べているうちに、ツマグロキンバエがヒットしました。

ツマグロという名でやっと気づいたのですが、最初の写真も2枚目も、翅の先端部分に黒い模様があることがちゃんと写っていました。後から気づいたことです。

1029tumagurokinbae3
顔の部分のアップです。
縞模様が独特な雰囲気をかもし出していますね。

胸部が「金色」に輝いています。キンバエなんですねぇ。

口を伸ばして蜜を吸っているのが分かると思います。

このように、複眼の間が離れているのはメスだ、という記載がありました。

ということで、これはツマグロキンバエのメス、です。

気づいてみれば結構あちこちで見かけます。花を凝視してみてください。

ミツバチ

1029mitubatiやっぱり、花粉団子をつけた姿の方がミツバチらしくていいですね。

花粉をこうやって団子にすると、オレンジに近い黄色。カドミウムイエローとでもいうのかな。(化学的には硫化カドミウムの色)。カナリアイエローというのはどんな色だっただろう。
ハエと違って、花がもともと専門ですから、口も花の奥の蜜を吸いやすい「吸う口」です。

刺激して興奮させれば刺す能力があるという点では、花に来ている他のアブなどより注意が必要ですが、大丈夫、普通は刺しはしません。顔の前とか耳のそばを飛んだ時に怖がって振りはらったりするとかえって興奮させてしまいます。
静かに見守ってやってください。

アメリカミズアブ

1029americamizuabu車のガラスに止まっていたので、一枚だけ撮ってサヨウナラ。車を出す必要があったもので。

後で調べたら、アメリカミズアブというアブでした。幼虫はウジのタイプです。

複眼を見てください。不思議な模様があります。これ、アメリカミズアブの同定に使えそうですよ。他のアブではこんな模様は見当たらないようです。
複眼の表面にどうやって模様が出るのかはよく分かりませんが、実に特徴的な模様です。

脚の模様も特徴的ですね。

翅の下に平均棍が見えています。
いろいろと面白い特徴が写っていました。

ツマグロヒョウモンの交尾

1028tumaguro1線路際をぶらぶらしていたら、交尾中のツマグロヒョウモンのそばを気づかずに歩いてしまったらしく、そのまま飛んで、木の高いところに移ってしまいました。

ズームレンズではないので、ちょっと描写が甘くなっています。
右がメス、左がオスです。

1028tumaguro2
メスの側からのショット。

これ以上のすき間は見つけられませんでした。陽ざしに輝く緑の葉、青い空、
きれいでしょ。ぬくもりが伝わってくるようです。
1028tumaguro3
こちらは、オスの側からのショット。

オスの翅がV字型になっている真ん中に、メスのたたんだ羽根が立っていて、ちょっと不思議な見え方だったので、何とかカメラを高くあげてトライした結果です。
ずいぶん寒くなってきましたが、産卵、孵化、蛹化と、ちゃんとたどり着けるでしょうか。
急がなくっちゃね。これこそ「生き急ぐ」ということなのでしょう。


ハチとハエ

1028mitubatiふわふわのミツバチ。

まだ花粉団子をつくっていないようでした。
花はセイタカアワダチソウです。

1028sentinikubae1
こっちは、多分ちょっと嫌われ者のセンチニクバエ。

背中の縞模様が正中線上に一本、それをはさんで対称的です。(このあいだのヤドリバエ?と違うところ。)
1028sentinikubae2
口を伸ばしかかったところなのですが、分かるでしょうか。
折りたたみ式なんです。
その先端は「舐める口」。
細い花の蜜をなめるにはちょっと太いんじゃないかな、とも思いますが、頑張っています。腐りかかった肉だけではないんですね。花の蜜も舐めます。紀節のせいかな。

ホソハリカメムシ

1028hosoharikamemusi1_2
ホソハリカメムシです。何度か登場しています。
今回、登場願ったわけは・・・

1028hosoharikamemusi2_2 日差しの加減で、翅が、とくに後ろの部分が、みごとな金色に輝いていたからなんです。

写真ではちょっとそのみごとさが再現しきれませんでした。

きれいだなぁ、と思わずみとれてしまいました。

金色に輝くカメムシは初めてでした。まるで「黄金虫」でしたよ。

ネコジャラシ

1015nekojarasiなんとなく、ボンヤリと写真を眺めてください。

絵のような感じにみえないでしょうか?

ベランダのプランターに生えたネコジャラシを、ガラス越しに撮影しただけなのですけれど・・・。
ガラスにくっついているネコジャラシだけがぼやけて見えて、それ以外は見えなくなってしまいました。

ちょっと気に入ったショットです。

1103nekojarasi こちらは、そのまんまのショット。

ずいぶん熟しましたね。

まるでブラシのようです。

化学をやってますと、試験管を洗わなければなりませんが、あの時に使うブラシを、通称「ケムシ」といいます。

このネコジャラシも「ケムシ」ちゃんです。

ところで、このもじゃもじゃ部分をつまみとって、掌の中でゆるく握ったり緩めたりすると、毛並みのせいで、一方向へ進む、という遊びはやったことがありますか?

面白いので、まだでしたらお試しください。

髪の毛にも、うろこがあって前後の方向性があります。抜けた髪の毛を手のひらに置いて、もう一方の手の指先で、髪の毛を前後方向にこすってみてください。髪の毛は一方向にしか進まないはずです。

対称的な動きから、一方向の動きが生み出されるというのはとても面白い現象なので、いろいろ探してみてください。

2008年11月 5日 (水)

●●ハラナガツチバチ

1028himehara 1028kinke 左がヒメハラナガツチバチで、右がキンケハラナガツチバチだと思うのですが。

私は大きさと、毛むくじゃらの具合でしか見ていませんが、あってるかな?

写真撮っていると、やたらと接近してしまって、ものすごい羽音をよく聞かされます。まぁ、興奮させているわけでもなし。初めてだときっと緊張しますよ~。大きくなハチ、ものすごい羽音、でも、怖がることはありません。「私は木です」ってじっとしていればいいのです。しばらくこちらを眺めてから去っていきますから。

ハナアブ(の仲間かなぁ)

1028hanaabu ルコウソウにきていたアブ。

ハナアブの仲間でしょうか。

こういろいろと次々と登場されては、私ごときにはもうフォローしきれません。

ごめんなさい。かわいいなぁ、と呟くのみです。

それにしても、ルコウソウ、ずいぶん長く咲きますねぇ。

メスジロハエトリ

1027mesujirohaetori 1104mesujirohaetorim メスジロハエトリの雌雄です。

ハエトリグモは視覚に頼って活動するのでしょうね、眼がとてもくっきり特徴的です。

クモは4対の単眼があるので、横からのショットでも正面からのショットでも、こちらを見ているような感じにさせられます。

眼が合った、という気分にさせてくれる楽しい連中です。

1104nekohaetori こちらは、ネコハエトリの正面ショット。

完全にこちらを凝視しているという感じになりますね。

好きだなぁ。

キンバエ

1027kinbae 秋も深まってきてやはり餌が不足しているんでしょうか。

腐敗物のところなどでよく見かけるキンバエがセイタカアワダチソウの花で蜜をなめていました。

花の奥に差し込むストローのような口ではないはずなので、きっと大変でしょうね。

ちょっと、びっくりしてワンショット、ぶれていてスミマセン。

フタモンアシナガバチ

1027hutamonasinagabati 今の季節、日の当たる場所で日光浴しているアシナガバチを見かけたら、フタモンアシナガバチのオスである確率が高いです。

むやみと怖がる必要はありません。オスは交尾しか仕事がないので、あとは死を待つだけでしょう。

そんな気持ちで見てやってください。

ヤドリバエ(の一種でしょうか?)

1025yadoribae ふと脇を見るとハエ。

小柄なセンチニクバエだな、と思って、でも何となく写してあげよう、と写真を撮ったのです。

パソコンで写真を眺めていると、なんだかヘン。

胸部背面の模様がセンチニクバエとは違うみたいなんです。センチニクバエの縞模様の一本は背中の正中線上にあるんですね。

これは、正中線上には線がなくて、正中線をはさんで縞がありますね。

いろいろ検索して調べたら、模様のよく似たのがいました。

トガリハリバエというのがパターンとしては似ていましたが、縞が細い感じでした。このハエ幼虫はイチモンジセセリなどのチョウの幼虫に寄生するのだそうです。

別のサイトでは、撮ってもよく似たのがありました。でもそこには「ヤドリバエの一種」としか書いてないのです。

というわけで、同定はできませんでした。ハエはいろいろたくさん種類があるからなぁ。わかりましたら教えてください。

鏡に映る時計

2008.11.3付 朝日歌壇より

鏡には時計が映らないことをわかつてはゐたはずなのですが:(花巻市)多田愛弓

私が実作者になれないことの理由がはっきりします。
鏡に時計が映る、ということを幾何光学的現象として真っ先に捉え、時計の針の回転が逆に見えるだけ、と「レポート」のような記述しか浮かんでこないからです。

時計の針の回転が逆回転にみえる、ということから、時間を巻き戻したい、できることなら過去のあの時へかえりたい、というところへは私自身は踏み込まない精神構造なんですね。

でも、理解はできます。ですから、ここに選んだのですし、ここに歌われていることの向こうに、きっと切ないことがあるんだな、と読み込むこともできます。

私の頭の中は散文なんですよね。

◆鏡に映ると、左右が反転するといいます。そうでしょうか?
頭は上に映り、胸は下に映り、右手は右側に映り、左手は左側に映っています。なんにも反転していないのではないでしょうか。鏡の向こうに入り込んだ自分がいてこっちを向いていると考えるから、左右が反転していると感じられるだけですね。前後は反転してるんじゃないですか?

三面鏡とかで、2枚の鏡が直角になるようにして、そこに自分を映してみてください。いわゆる「左右反転」のない自分が向こう側にいます。これ、変な気分ですよ~。(三枚の鏡を互いに直角に置くと、入射した光が、光源の向きに帰ってきます。月面にアポロが置いてきた鏡の原理はこれ。自転車の反射板の原理もこれ。交通標識なんかで、ヘッドライトの光を受けると運転者に光って見える塗料の原理もこれ。)

さて、完全な左右両手があったとします。右手を鏡に映すと「左手」になります。
右手用の手袋を鏡に映して、鏡の中からそのまま取り出せれば「左手用」になります。

こういう、右手と左手の関係、鏡像と重ね合わせることができる関係、こういうのを「手のひら関係」=「chirarity(カイラリティ、キラリティ)」といいます。

野依さんがノーベル賞を受賞した時に話題になったのが、分子のキラリティでした。

今年のノーベル物理学賞で話題になった、「CP対称性の破れ」という言葉がありますが、PはParityのことです。これが、上でちょっと触れた鏡像関係の話なんですね。

(ひょっとして、冒頭に掲げた歌は、時間対称性(T対称性)の話だったのかな?)

曼珠沙華

1103higanbanaleaf 2008.11.3付 朝日歌壇より

はなやかに咲けどさびしき曼珠沙華花は葉を見ず葉は花知らず:(ひたちなか市)篠原克彦

この写真がヒガンバナ(曼珠沙華)の葉です。葉だけしかないので、あのヒガンバナと結びつきにくいかもしれません。

花が終わってから、葉を茂らせ、光合成をおこなって栄養をつくり、球根(鱗茎)にたくわえて、次の開花期に備えます。でも、花を咲かせても、実はならないのですから、なんだか悲しいですね。

◆ネット上で調べると、いくつかのサイトでこんな記述がありました。

・ヒガンバナは花と葉が別々の時期に出るので、「葉見ず花見ず」などともよばれます

・「ヒガンバナの花は葉を見ず、葉は花を知りません」『ほんとの植物観察』(P49~50)(地人書館)室井綽・清水美重子=筆者代表

・「彼岸花 葉は花を見ず、花は葉を見ず・・・」といった詩があるように

・「彼岸花 葉は花を見ず、花は葉を見ず・・・・」 このような詩があったと思うのですが、下の方を思い出せません

・ヒガンバナは韓国名で「相思華」というそうです。「葉は花を見ず、花は葉を見ず」「葉は花を思い、花は葉を思う」胸がキュンとなる植物ですね。

詩歌としては先人の足跡が多すぎるかな、という気もしました。

2008年11月 4日 (火)

地球の終り

2008.11.3付 朝日歌壇より

人類(ひと)なくて地球始まりまた終わるそうだとすればなぜか淋しい:(東久留米市)田村精進

宇宙が始まって137億年、太陽系ができて50億年、生命が始まって38億年・・・、ホモ・サピエンス登場から20万年・・・・・・今。

人類にに22世紀はありますか?それが危うい気がしています。

今から1000年、人類はもつでしょうか?

せいぜい、どう頑張っても、千の桁の年数で人類は終焉を迎えるでしょうね。少なくとも現在の生活形態、社会形態を保って存続することはできないでしょうね。

恐竜にもゴキブリにもかなうはずがないんです。

今から50億年もすると、太陽が膨らんで赤色巨星になりますが、そのとき地球は太陽に飲み込まれて蒸発して宇宙空間に吹き飛ばされていくのか、それを免れて、冷たい岩の塊のまま宇宙の終りまで漂うのか。論争中です。どうやら吹き飛ばされるらしいのですが。

私は、地球が吹き飛んで宇宙に拡散していく、その時の原子たちの旅立ちに、今自分の体を構成している原子たちも参加して一緒に宇宙へ、次の星づくりへ向かいたいなぁ、と思うものです。そういうことにロマンや喜びを感じるたちです。

漂う権利

2008.11.3付 朝日歌壇より

前通るたびに目の合う男いて喫煙コーナーに漂う権利:(豊中市)武富純一

「鯉の大口」という記事で武富さんの歌を紹介したら、コメントを頂いてしまいました。「言葉」のプロでいらっしゃいます。

最近は、嫌煙権がかまびすしい。私自身は禁煙してもう20年にもなりましょうか、喫煙はしませんが、世の中全体の「非寛容」な雰囲気が窮屈でなりません。

どうせ、人間なんて大差ないんだし、人間ののすることはもっと、ゆるやか、適当、「いいかげん」が良い加減なのではないだろうか?と思うたちです。

「人間みんな糞っ垂れ」という真実を悟ったのは、30代の頃でしたでしょうか。食べてウンチして生きていくことにおいて、すべての人間は変わりはなのです。

人と人の間=「人間(じんかん)」を、ギシギシときしませながら生きていくよりは、ゆるいほうが生きやすくていいじゃないですか。

と、老案山子は思うわけです。

◆ちなみに、私の禁煙は。自分がものすごい意地っ張りだということを自分自身に対して適用して実行しました。

10個買いしていたたばこを5,6個残した状態で、封を切った箱のなかに10何本かを残した状態で、吸いがら山盛りの灰皿をすぐ脇に置いて、ライターも置いて、時々、一本引っ張り出しては鼻にくっつけて匂いをかいで「これ吸うとうまいんだよなぁ」「おまえやめたんじゃないの?軟弱者め」とつぶやきながら、やめたのでした。

煙草を吸わないと、禁断症状で自動車の運転時などに離人症的な状態になります。信号が赤に変わったことはもちろんわかるけれど、それがどうした?私と一体どういう関係があるの?という気分になって、出来事すべてがガラス板の向こう側でのことに思えてきてしまいます。

そこで、5月の連休、4,5日車を運転しなくていい日に、エイヤッと禁煙して、ひたすらじっと意地を張って、耐えていました。コーヒーなんかはたばこを吸いたくなる、とかいうから、かえって積極的に飲みました。飴なんか舐めませんでした。

意地っ張りですねぇ。

以降、週、月、年、一切関係なく、吸いたいとは思わなくなったのです。

酒をやめたときも同じやり方で。意地でやめてしまった。

身軽になりましたよ。

案山子(かかし)

2008.11.3付 朝日歌壇より

猫車案山子を乗せてゆつくりと木犀匂ふ径をもどり来:(神戸市)内藤三男
 永田和宏 評:猫車は一輪車。用済みの案山子を乗せて、もう秋も終りに近い。

一枚の田んぼに案山子十五人衣装を凝らし傘さすも居る:(高槻市)山口佐智子

稲架ごとにもたれて雨に打たれ居る案山子に男女老若のあり:(千曲市)佐藤基夫

今回は、3つの歌が選ばれていました。

この時期、もうかかしさんも用が済んで、解体されて、土に還る頃。

私も、人生の秋が深まっていく感がひしひしと身に迫っております。だ~れか、私を猫車にのっけて、還るべきところへ運んでくれないかなぁ、楽でいいんだけどなぁ。

老男案山子は稲架ならぬ椅子の背に凭れて、「秋」の夕陽を眺めています。

老爺心:「稲架」は「はさ」と読むんでしょうね。

はさ【稲架】(新潟・富山・福井・岐阜などで) 稲掛。稲架(トウカ)。はざ。<季語:秋>[広辞苑第五版]

ノーベル賞

2008.11.3付 朝日歌壇より

◆高野公彦 選

秀才で温和な人と天才肌でやんちゃな人とがノーベル賞受く:(名古屋市)諏訪兼位
85万匹100トンのクラゲ調べぬき蛍光の本を突き止めし学者(ひと):(三木市)清美佐保

 高野公彦 評:小林誠氏・益川敏英氏の受賞をことほぐ歌。作者諏訪氏は名大理学部に在職中、同じ学部の院生だった二人の顔をよく覚えているそうだ。

◆永田和宏 選

秀才で温和な人と天才肌でやんちゃな人とがノーベル賞受く:(名古屋市)諏訪兼位
初めての海外旅行がノーベル賞受賞の旅とう学者に乾杯:(長崎市)青木英夫

 永田和宏 評:諏訪氏は名古屋大学でノーベル賞両氏と同じ学部であったと詞書にある。青木氏の乾杯も含め、日本中が素朴な喜びを噛みしめた筈。

前回、諏訪兼位さんの書籍に永田さんの歌が紹介されている話をしましたが、今回は、その人たちがここで交差しています。ひとのつながりが見えて面白いですね。

●個人的な話をフト。

・ノーベル化学賞の受賞者のニュースが速報で入ってきたとき、アナウンサーが「しもむら おさむ」さん、といったのですが、ぼんやりとニュースを聞いていた、私の難聴気味の耳には「しまむら おさむ」と聞こえてしまいました。えっ、しまむら先生かな?と一瞬ビックリしましたが、間違いでした。

私は島村修先生の有機化学反応論の教室の最後から2期目の卒業生です。

・化学に多少のなじみのある私としては、天然物有機の中西香爾さんの業績は相当に耳になじんでいます。中西さんもノーベル賞を受賞してもいい方です。

新聞記事を読んでいたら、下村脩さんと中西香爾さんはともに平田義正さんの門下生になるということでした。

すごいんだなぁ、下村さんと中西さんかぁ、と教育者・平田さんの偉大さにうたれた次第です。

私?どんな人脈ができたのか、私自身は一切知りません。基本的に一切の「同窓会的なるもの」を切り捨てて生きてきたものですから。何が、誰が、一体どうなったかなんて一切知りません。身軽でいいですよ、こういう生き方も。

2008年11月 3日 (月)

シャコバサボテン

1025syakobasaboten シャコバサボテンのつぼみが大きくなってきました。

素敵な花が咲きます。楽しみですね。

http://www.hana300.com/syakob.html によりますと

・サボテン科。                                     
・学名  Zygocactus truncatus(蝦蛄葉サボテン)      
      (Schlumbergera属 との説もあり)             
          Zygocactus : ジゴカクタス属               
          truncatus  : 切られた形の                
  Zygocactus(ジゴカクタス)は、ギリシャ語の「zygos(対をなす)+ cactus(サボテン)」が語源。ふしぶしに、対になった刺状突起があることから。

とありました。また、サボテンについては広辞苑第五版から引用します。

サボ‐てん【仙人掌】(石鹸セツケンの意のポルトガル語sabaoと「手」との合成語の転) サボテン科の常緑多年草。南北アメリカ大陸の乾燥地帯、海岸から高山にまで分布し、種類が多い。普通の樹木に似たコノハサボテン、柱状のハシラサボテン、扁円板状のウチワサボテン、また球形・紐状など外形は変化に富む。表面に葉の変形したとげや毛がある。花は黄色・赤色または白色。観賞用に栽培。シャボテン。覇王樹ハオウジユ。いろへろ。さんほてい。<季語:夏>

我が家は「ほったらかし」が原則なんですが、それでも、冬でも特に枯れることもなく花を咲かせてくれます。

セスジスズメ蛹化

1025sesujisuzume1
セスジスズメの蛹です。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-6b9c.html
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-b1e0.htmlここで幼虫をご紹介しました。

1025sesujisuzume2 この状態で越冬するのでしょう。
へたに暖かい部屋に置くと冬の最中に羽化したりしてまずいので、ケースを外に出しました。越冬蛹は寒い方がいいのです。

セスジスズメの成虫ってどんなのかな?とお思いでしたら、私のホームページ「案山子庵雑記」のなかと、このブログの中にあります。ご覧ください。

スマートなカッコいい蛾です。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/60th/sci_60.htm
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_9381.html

ナミハナアブ(かなぁ?)

1025namihanaabu違うような気もするし・・・。

ナミハナアブかどうか、分かりません。

頭の先っちょの触覚が、アブだっ、と主張しています。

花はフウセンカズラですから、大きさも分かります。1cm足らず、6mmくらいでしょうか。

かわいい姿です。これ以外のアングルは撮れませんでした。残念です。

フタホシヒラタアブ&キタヒメヒラタアブ

1025hutahosihirataabu1セイタカアワダチソウは大にぎわいでして、見れば見る程に、いろんな昆虫たちがいます。

これは、見たことがあるようなないような、と思って写真を撮ったら、初見でした。
フタホシヒラタアブです。
1025hutahosihirataabu2
腹側から撮るチャンスがありました。
ハチやハエに比べて、腹が平ですね。

写真の中に書き込んでおきましたが、平均棍がきれいに写りました。

1025kitahimehirataabu こちらは、キタヒメヒラタアブです。

まるで絵のように典型的に写ってくれましたので、大いに満足です。

ほんとに命の瀬戸際になってきました。
もう11月ですもの。

ビワのつぼみ

1025biwa1ビワのつぼみです。

細かい毛でおおわれています。





http://www.hana300.com/biwa00.html によりますと・薔薇(ばら)科。                         


・学名  Eriobotrya japonica                
          Eriobotrya : ビワ属               
          japonica   : 日本の               
  Eriobotrya は、ギリシャ語の「erion(軟毛、羊毛)+ botrys(葡萄)」 
  が語源。表面が白い軟毛で覆われた実が、ぶどうのような房になることから。

果実の特徴的な毛からきた名前のようです。つぼみも「erion」ですね。

1025biwa2
つぼみの写真を撮っていましたら、ふと先客に気づいてしまいました。
カメムシがいます。
何カメムシか確かめようと、手の上に落とそうとしたら、一挙に地面まで逃げ落ちてしまいましたので、よくわかりません。
目ざといものですねぇ。

できればちゃんと花を咲かせて実のなるところまで行かせたいので、目についた虫さんは「追放」です。


(もう一回)ミズアブの仲間かなぁ

10月31日にも白山神社へ行くチャンスがありまして、あの用水をのぞいてみました。
「あの」アブのような昆虫が2匹いました。
1031humei_abu1
水面にくぼみをつくっているのが見えますね。(反射光で)。
小さいんです、5mmくらいでしょうか。
もう一匹は水に沈んだ枯れ葉のところにいました。
1031humei_ab2
背中の模様など、このくらいに写すのがやっとでした。
いかがでしょう?これで種の同定の手がかりにならないでしょうか?
ご存じの方は教えてください。

ミズアブの仲間かなぁ?

1017mizuabu_1大田区の白山神社の用水の水面にいました。
1017mizuabu_2 アブでしょうか?
たまたま水面に落ちたという感じでは全くありません。
何匹もいましたし、自在に行きたい方へ行く、という行動の自由があります。

水面に小さなくぼみをつくって、表面張力で体を支えています。
水の中に、独特の「ウジ」がいないかと、一生懸命見ましたが、それも見えません。

これはなんというのか?ぜひ教えてください。

1017mizuabu_3 写真を撮っている時は全く気づかなかったのですが、整理のために見ていたら、こんな昆虫の死骸も浮いていました。

なんだかカゲロウかなんかみたいなんですが、これもよくわかりません。

シロハラコカゲロウというのが似ていますが、なにせここはよどんだ静水、こんなところにいるものなのかどうか、知らないのです。

参りました。これもぜひご教示ください。

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