蟷螂
2008.10.27付 朝日歌壇より
みづからの風葬望みゐるごとく蟷螂網戸を摑み離さず:(愛知県)林成一郎
別にカマキリに限ったことではないのです。ヒト以外の動物や植物や生物のすべてが、自らに生きる力のある限りを生きて、生きることには執着せず、生きる力の尽きるとき、形こそ失え、再び悠久の生命の流れに還ってゆくのです。
ヒトも、生きる力の続く限りにおいて生きればいい。生に執着するも苦、死に執着するのもまた苦です。限りが来た時には、淡々と生命の流れに還ればいい。
風葬もよし、鳥葬もよし、土葬もよし、正直のところ火葬が一番エネルギーを食ってつまんないですね。墓に閉じ込められたくなんかありません。風になるんじゃなくて、命の流れに還るんです。
私はよく命を「渦」にたとえます。渦というものは、エネルギーの供給を得てやっと存在しうるものです。流入し流出する流れによって存在しうるものです。渦は一つ一つ数えられる個体性を持ちながら、渦を産む流れの中にしか存在し得ません。
食べて排泄する、という行為は、物質・原子の流入と流出であり、エネルギーの流入と流出です。ひとりひとり、個体性を持ちますが、38億年の命の流れに中にしか存在し得ません。
私たちは、命という大河に生じた渦です。生まれ、消えます。
では、生きている間は、ちゃんと生きることにいたしましょう。
アブやハチやチョウが蜜を吸います
オオカマキリはそれを捕えて命を保ちます
そしてまもなく秋の終りの頃、オオカマキリは土に還り、命の流れに還ります。
そのようにして、次の世代の植物や動物やすべての命につながっていきます
午後の陽射しが、その流れを祝福しています。
ヒトもお天道さまに祝福されて生きたいですね。
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