夕立のプール
2008.10.13付 朝日俳壇より
泳ぎをるプールに夕立ち来たりけり:(埼玉県)村山僴
長谷川櫂 評:泳いでいる最中にざっと振り出してプールの面を叩く夕立ち。みんな上がってしまっても一人、悠然と泳いでいる人がいる。
この句を読んだだけでは「一人、悠然と泳いでいる人がいる」という光景は見えてきません。
もし詞書でもあって、「夕立のなか泳ぎ続ける人一人」とかあったのなら、そういうことを書き添えてほしかったと思います。
私の個人的な鑑賞はそうではないのです。私自身はプールで夕立にあったことはありません。海で泳いでいて、夕立にあったことはあります。泳いでいるのですから、全身ずぶぬれであるにもかかわらず、頭上から降り注ぐ雨が「妙に頭を濡らす」という気分にさせられます。
これ以上濡れることはないにもかかわらず、なんだか早く上がらなくっちゃ、という焦りを覚えたことを思い出します。(海岸に脱ぎ捨てた服が濡れてしまうからでもあるのですが。)
そんなことを思いながらこの句を読むと、プールの中で濡れているにもかかわらず、夕立に驚きあわてて上がって雨を避ける人の心理が詠み込まれている、と感じられます。
詞書は付録。詩歌の鑑賞は(芸術作品の鑑賞は)すべからく、作品そのものとの対峙から生まれるべきです。
作品のみを介して、鑑賞者は作者と向き合うべきだと考えています。
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