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2008年10月14日 (火)

一病息災

2008.10.13付 朝日俳壇より

一病を持ちて爽やかなりし人:(今治市)横田青天子
 大串章 評:一病を持ちながら、湿っぽいところは少しもなかった。「爽やかなりし人」に低頭あるのみ。

この句の鑑賞は、おそらく大串さんの評にあるようなものになるのでしょう。

障害者である私の眼からみると、少々異議があります。それはちょっと特殊なことかもしれません。でも、まぁ、聞いてやってください。

一病を持っていたら、湿っぽくなければなりませんか?一病を持つことと、爽やかであることは両立しがたいことですか?

健常者というものは障害者から見るとずいぶん「傲慢」なものです。障害者というものは、健常者が作った「障害」に引っかかりやすい人のことです。私たちが「どっこいしょ」と越えなければならない「障害」を、無意識にまたぎ越して行ってしまいます。どちらが「障害」を持っているのですか?あなた方が障害をつくるから、私たちは「どっこいしょ」なんですよ。

いわゆる「健常者」こそが「真の意味での障害者なのだ」と私は少々過激に表現します。

同じようなことです。無病息災な人は「傲慢」です。病というものをよく知っているはずの医者だって自分が大病して初めて患者の気持ちがわかった、などというくらいのものです。

一病があるからこそ、健康というものがよくわかり、病というものがよくわかる。

一病があるからこそ、妙な健康神話から自由になって爽やかでありうる。

一病があるのに、ではなく一病があるからこそ、なのではないでしょうか?

病気を抱えるということは決してネガティブな価値ではありません。病気を持つということはポジティブな価値なのであって、病気をすることによって心豊かな人生が送れるようになるのです。健康な人はかわいそうだ、健康に引きずられて、心貧しい人生になりがちだ、と私は思います。

健康な人は元気がいいから「競いたがる」。勝った負けたと、心に苦しみを生じる。一病持ちも、障害者も「競う」という価値から自然と身を引き離していられる。なんでわざわざオリンピックだ、パラリンピックだと騒ぐのやら。

一病抱えて、障害抱えて、豊かな人生を楽しみませんか。

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