ミノムシ(Part2)
10月18日(土)、散歩中、六郷用水跡のそばで、車の通る道路をミノムシが歩いていました。
危ないじゃないか、車に轢かれちゃうぞ、とつまみあげて家へ連れて帰りました。
おそらく珍妙な格好だったと思います。歩くお地蔵さん、でしょうか。左手の手のひらを上向きにしてミノムシを乗せ、右手にはステッキをついて。時々立ち止まって何やら手のひらに向って声を発し、何かをつまむ様子。「あやしい」。
くすぐったいぞ、じっとしてろよ、などと言っていたのです。
上の写真は、幼虫が蓑から身を乗り出して、なんとかならないか、と辺りを探っているところです。
こんな模様があったんですねぇ。これは初めてです。ミノムシで遊んだこともあるのですが、虫の模様なんて意識したことはありませんでした。
この写真でも見えるんですが、頭部をもっと大きくしてみますね。
人間は、「目と口」のパターンに強く反応するのです。チンパンジーなんかもそうかな。社会性の基本のところにあるパターン認識なのではないでしょうか。
ランダムな図柄の中でも、目や口の配置になったパターンを見てしまうのが、ヒトの習性です。で、「心霊~~」とかいって騒いでますが、要するにサルとしてのヒトにとっては顔を認識することが重要だったということでしょう。
左の写真で上にあるのが、Part1でお見せした中身のない蓑です。
下が、幼虫のいる蓑です。並べるためにいじったものですから、引っ込んでしまっています。
ひとしきり写真を撮った後で、逃がしてやりました。
無事、成長してほしいですね。
寄生バエに寄生するハチがいるのだそうです。そういう入り組んだ関係の中で、ミノムシが復活してきたのかもしれません。
ミノムシが普通に見かける虫に戻ってくれることを祈っています。
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コメント
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そういえば、最近、みかけなくなっていました。
なるほど、寄生されて数が減っていたのですね。
みの虫には、ふたつ思い出があります。
そのひとつは、中学生の美術で。
先生が、元理科の先生だったからか、宿題が「みのむしを見つけて、その蓑を剥ぎ、色紙などを細かく切った箱に入れること」
そうすれば、蓑虫がきれいな蓑を作る、ということでした。
ところが、私が捕獲したみのむしは、どで~~んと箱に転がったまま、新しい蓑を作りませんでした。
多分、♀だった思われる大きな黒い蓑虫。
気持ち悪い、と思ったのが最後。記憶はそこでなくなっています。
それから数年。
♀は蛾にならず、蓑の中に卵を産んで、自分は寒風吹く外へ出てゆく、と知って、「あぁ」と、胸が痛んだのを鮮明に覚えています。
追伸 かまきりのキリちゃんは、保護しようと思った日に、いなくなりました。
ローズゼラニュウムに、小さい卵を残して。
投稿: みみこ | 2008年10月24日 (金) 03時15分
受精卵だといいですね。今、我が家の飼育ケースの中には、3つの卵塊があります。受精卵かどうかは分かりません。春を待ちましょう。
飼育下にある2匹のカマキリは、なんとか命を全うしてもらため、がんばります。あと1か月支えてあげられるかどうか。
秋深く 命の際にあって 悠然 カマキリの眼に 魅入られる
投稿: かかし | 2008年10月24日 (金) 12時40分
かかし先生の深さには、いつも驚かされます。
理系なのに、文学にも深い造詣が。
みっつらん(卵) かかし庵にて春を待つ
投稿: みみこ | 2008年10月25日 (土) 03時22分
たいしたことではないのです。
私たちの世代には「教養主義」みたいなのが残っていました。
今の若い世代は「必要なことしかやらない」という風潮ですが、私たちの世代には「無駄なことをいっぱい詰め込めばつめこむほど、人間が深くなる」ような思い込みがあったということです。
ちなみに私の最終学歴は「科学史・科学哲学」という、風変わりな分野でした。
投稿: かかし | 2008年10月27日 (月) 13時58分