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2008年10月

2008年10月31日 (金)

モンキチョウ(♀)

1023monkityou_fカマキリの餌取りのために、捕虫網を持って(いい年こいて)、フラフラしていたら、モンシロチョウとは違う飛び方の白い蝶を見かけました。

飛び方が力強いんですね。手には捕虫網、チャンス、と捕まえて、透明プラスチックケースに入れて観察。
ひどく激しく暴れて、壁にぶつかります。かわいそうなので1枚撮っただけで逃がしてしまいました。

さて、これは何だ?
白いチョウだからモンシロチョウ、ではありません。
スジグロシロチョウ?でもありません。

困ったなぁ。

いろいろ調べているうちに、これはモンキチョウのメスだということが分かりました。
モンキチョウのメスには黄色いタイプと白いタイプがあるのだそうです。
知りませんでした。モンキチョウは黄色いものだと信じておりました。こんな白いタイプもいるんですねぇ。
勉強させてもらいました。

ツマグロヒョウモン

1022tumagurohyoumon1ツマグロヒョウモンの雌雄です。

交尾姿勢ではないので、メスが交尾拒否しているのかな?と思いました。

この時には何も気づいていなかったのですが、しばらくして、メスだけ飛んできました。
1022tumagurohyoumon2 見ると、左後翅がありません。
バランスが悪いんでしょうね、体がよじれています。
そうかあ、もう、交尾して産卵という状態ではないんだなぁ、と思いました。

1022tumagurohyoumon3 その後も、オスが接近してきて交尾を求めましたが、私が見ている間については、不成立でした。

どんな事故があったのか、羽根を1枚失いながら脱出してきたメスだったのでしょう。
でも、生きられる限りは生きる。切ないですね。

イチモンジセセリ

1022itimonjiseseri1イチモンジセセリの正面ショット。
翅の具合が面白いでしょ。

ところで、この写真はフラッシュなしでの撮影です。そうすると、きちっとこの形で写ってくれるのですが・・・
1022itimonjiseseri2
ちょっと明るく撮りたいと思って、フラッシュをたくとこうなっちゃうんです。
あれ?と思って、フラッシュをたかずに撮ると上のようになるんです。

2,3回繰り返して、再現されました。
な~るほど。
フラッシュ光に反応して、パッと羽をたたむんですね。でも、驚いて飛び去るほどでもない。

アシナガキンバエの場合は、フラッシュ光に反応して飛び去るので、フラッシュ撮影はまず無理でしたが、イチモンジセセリはフレンドリーですね。

肉眼では見られないのですが、フラッシュ光に反応して羽をたたんだり開いたりする姿を想像すると、笑みが浮かんでしまいます。

アルファルファタコゾウムシ

1022arufarufatakozoumusi1うっかり床に手をついたら、手のひらの下に何やら固いものが・・・。
見るとゾウムシです。
つぶれなくってよかったねぇ。

前にもご紹介したことがあるのかな?
アルファルファタコゾウムシです。
1022arufarufatakozoumusi2
どうにも人間臭い顔つきで。
鼻の長いおじさんに擬人化してしまいます。
芥川龍之介の「鼻」などを思い出してしまいます。

ところで、この命名、「タコ」ですって。正直といえば正直ですが、名前なんだからなぁ、もうちょっとカッコいいのにしてあげられなかったかなぁ。

アラメヒゲブトハムシダマシ

1022aramehigebutohamusidamasi こちらは再会。

アラメヒゲブトハムシダマシ。

複眼も含めて背面が全面的にざらざらな感じ。これが「あらめ」なんですね。

ところで「~~ダマシ」という名前はよくありますが、考えてみるとちょっぴり違和感があります。

甲虫目>カブトムシ亜目>ゴミムシダマシ科>アラメヒゲブトハムシダマシ

「ハムシダマシ」といったって、ハムシさんをだましてハムシになりすましているわけでもなし。

ゴミムシダマシの仲間だといって、ゴミムシをだましているわけでもなし。

だまされているのは「ヒト」ですよね。「ゴミムシに似てる!」と思ったらゴミムシじゃなくて、「ハムシかなぁ」と思ってもハムシじゃない。

「ヒトダマシ」ですよねぇ。

セグロアシナガバチ

1021seguroasinagabati ランタナの花に来たハチ。

いつものフタモンアシナガバチのつもりでパチリ。

ところがよく見ると腹の模様が違いますね。

頭もなんだか違うみたい。調べてみたら、セグロアシナガバチのようです。

そうと知っていたら、もっといろんなアングルから撮っておくのだったと、からいたのでした。写真って、いつも一期一会なんだよなぁ、と改めて肝に銘じました。

コハナバチ

1021kohanabati1 1021kohanabati2 これコハナバチというのだと思います。

一回しかお目にかかっていません。

何となく親しみの湧く顔つきに見えます。

どこがどうなると「子ども顔」になるのでしょうか?

頭が大きい、手足が短い・・・いろいろあるのでしょうが、うまく言い表せません。絵を描く人なんかは、うまく描き分けますよねぇ。あれを言葉で表現してもらえたら助かるのですが・・・。

金色に輝く、かわいいハチでした。

2008年10月30日 (木)

なんだろう?

1021hamusi 1021hamusi2 1021hamusi3 ぶれたり、ぼけたりした写真しかお目にかけられなくてゴメンナサイ。

すぐ飛び去っていきました。

指の先端にとまらせてこの大きさですから、体長は5,6mmあるかないかです。

腹部が翅よりはみ出しています。

ハムシではなかろうか、と思うのですが、確定できません。

カミナリハムシ、クワハムシが似ていますが、なんだか「これだ!」にはなりません。

ご教示ください。

アキアカネ

1021akiakane 鮮烈な赤のアキアカネです。

日向ぼっこ中。

真後ろからのショットは今までもあるのですが、少し下から仰ぐようなアングルになりました。頭部を見やすいよう大きくしてお目にかけます。

1021akiakane2 胸部の翅の付け根はすごくパワフルな感じですね。

頭部の「大きな複眼」って中は「充実して(詰まって)」いると思っていたのですが、なんだか、お椀みたいな感じになっています。

これは知らなかったな。不思議なものを見せてもらいました。

◆昔話:トンボ取りの秘技

 昔、母の実家の秋田県での話。秋になると、もう空が黒くなるほどアカトンボが飛びまわるのです。そこで、利き手の人差し指と親指を、ものをつまめるような準備の形に開いて立てるのです。すると「先端が好き」なトンボは人差し指の先っちょにとまります。すぐ捕まえたいのをしばらく我慢して、トンボが落ち着いたら、なるべく人差し指は動かさないようにしながら、親指をキュッと動かして、トンボの脚をつまんでしまうのですね。

慣れると、これ、結構高い確率でトンボを捕まえられます。少なくともトンボが目を回すようになんて指を回すよりは、ずっと優れた方法です。

チャンスがあったら思い出してお試しあれ。

オオカマキリ産卵

1020ookamakiri1 10月20日、午前7:14撮影。

オオカマキリが産卵していました。まだ卵塊は真っ白。きれいですねぇ。驚かせて産卵をやめてしまったりしないよう、1枚きり。

1020ookamakiri2 8:44です。

卵塊が少し色づき始めましたが、仕上げが済んでいないのでしょうか、腹を卵塊につけたままです。

1020ookamakiri3 12:25。

オオカマキリは卵塊から離れていました。

きれいに仕上がった美しい卵塊です。ごくろうさま。

1020ookamakiri4 産卵を終えたメス。

立派です。

この頃、実は、私、鬼です。

オオカマキリのために捕虫網を持ってハエやアブを追いかけまわして捕まえてきます。観察者じゃありません。虫捕り屋です。虫が撮れる間は虫を与えましょう。虫の姿が消えてなお餌が必要なら、その時はその時で、肉を与えたり別な飼育方法もあります。今はまだ、生きた虫を与えられる時期。鬼の眼差しで頑張ります。

ナナホシテントウ

1020nanahositentou 久しぶりな気分です。

正統派「ナナホシテントウ」にお目にかかりました。

セイタカアワダチソウ周りでは、アブラムシもいっぱいいますから、ナナホシテントウも出番なのですね。

これも、成虫で越冬します。何匹か集まって越冬していることが多いですね。

もう越冬準備中かな?

前のキタテハもそうですが、越冬中体が凍ってしまわないように、体液を濃くするとか、何か対策をするのでしょうね。小さな体では外気温と全く同じ温度になってしまうはずですから。

ナガメ

1020nagame これ「ナガメ」という名のカメムシです。

別に「長め」でもないし、「眺め」でもないのです。

「菜亀」らしいです。「の花につくカメムシ」という意味だそうです。

春にアブラナ科の花でよく見かけるそうですが、今は何についているのか。すぐ飛び去ってしまいました。

キタテハ

1020kitateha セイタカアワダチソウの「テーブル」にキタテハも来てましたよ~。

このごろは、セイタカアワダチソウのそばに立って、何が来るのか待ち受ける、という写真の撮り方が増えました。

キタテハの翅の形はもともとがこういう形なので、ボロボロになったわけではありません。

今の時期のキタテハは秋型といって、成虫のままで越冬するのかもしれません。冬の最中の、すごく日差しの暖かい日にたまにでてくることがありますね、あれです。

無事でね。

フタモンアシナガバチ

1020hutamonasinagabati1 フタモンアシナガバチの飛行中の姿が撮れました。

蚊、ハエ、アブなど、プ~ン、ブ~ンと羽音が聞こえますね。羽ばたきによって空気が圧縮膨張させられるわけですが、それが可聴音の領域の振動数になると聞き取れるわけです。蚊の羽音は高いですからそれだけ羽ばたきの回数が多いのです。ハチが耳元にやってくると力強いブ~ンという音が聞こえますから、羽ばたき回数は少ないけれど音量が大きいのですね。

セイタカアワダチソウで虫たちを撮っていると、頭の周りが羽音だらけになりますが、和音にはなりませんねぇ。

1020hutamonasinagabati2 みごとなスタイルが撮れました。

イヌタデの実が黒く稔っているのが見えます。

興奮させなければ怖いことはなにもありません。

1020hutamonasinagabati3 こちらは、フウセンカズラの花を抱え込んで蜜を吸っているのでしょう。

胸ががっしり大きいですね。

また、羽ばたきの話になりますが、翅は「胸という箱」にくっついています。

胸の中の筋肉の収縮回数(1秒あたりの)と、箱としての胸の固有の振動数、翅の長さ重さによる翅の振動数、こういうものが一致すると、共鳴して、筋肉はあまり力を大きく出さなくても、バネのような使い方でよくなります。エネルギーのロス分だけ補充すれば羽ばたきが続けられることになり、人間が想像するよりはずっと小さなエネルギー出力で飛び続けることができます。

虫の羽音を聞いたら、翅の振動数のことなど思い出してください。

2008年10月29日 (水)

ホシホウジャク

1020hosihoujaku1 ホシホウジャクがホトトギスの花で蜜を吸っていました。

翅が透明で赤や黄色が目立つオオスカシバより一回り大きめです。

1020hosihoujaku2 この2枚を見比べていただくと、翅の裏表の色に違いが分かります。

左は翅を打ち下ろしたときですね。表側の地味な感じが分かります。

右は翅を上にあげたときですので。裏のきれいな色が見えています。

ホバリングしていると目立ちますが、木の幹などにとまっていると地味でみつけにくいそうです。

オオスカシバはホバリングしながらもあちこち素早く移動するので、なかなか写真を撮るのが難しいのですが、ホシホウジャクは悠然と蜜を吸っているので、フラッシュをたきながら、こういうホバリングがきれいに写せました。

1020hosihoujaku3 ホバリング中なのにこんな鮮明な写真が撮れました。

触覚の間にある丸い点は単眼ではないでしょうか。

幼虫の食草はヘクソカズラだそうですので、我が家の付近で成長・羽化したものかなぁ、とも思います。オオスカシバと同じくスズメガ科ですから、幼虫は多分共通の特徴である「しっぽ」がちょんと出た幼虫なのだろうと思いますが、まだ見たことはありません。

ホウジャクというのは漢字では「蜂雀」と書くのだそうです。

蜂のような小さな鳥のような、ということでしょうね。口吻を伸ばして蜜を吸う姿を見て、ハチドリと間違う方もいる、というのも、むべなるかな、です。

日本にはハチドリはいませんので、ホシホウジャクやオオスカシバを見間違えたのでしょう。

ヒメナガカメムシ

1020himenagakamemusi いろいろとハチやアブの写真を撮っていたら、左手の甲がむずがゆい。

なんだ?蚊か?とみたらヒメナガカメムシ。せっかく自分からやってきたので記念写真。

この写真の右下部分に静脈が走っています。そして、皮膚のしわがくっきり写っています。ということで、ご自分の手の甲と見比べてください。

ヒメナガカメムシの大きさの見当がつくでしょう。見慣れればヒメナガカメムシとすぐ分かるようになりますが、なれないと、小さなハエのような感じで見過ごすと思います。

ぜひ目を凝らして探してみてください。

ヒメハラナガツチバチ

1020himeharanagatutibati1 1020himeharanagatutibati2 ヒメハラナガツチバチでしょう。

以前にご紹介したキンケハラナガツチバチはもっと毛むくじゃらでした。

キンケハラナガツチバチはすごく大きいです。3cm近くあったような。

ヒメハラナガツチバチは少し小型で2cmくらいの感じですね。大きさと毛むくじゃらの具合で判断しています。

それでも、セイタカアワダチソウにくる虫たちの中ではかなり大型です。

ベニシジミなど

1020benisijimi_etc 右上にベニシジミ。

右下に小さくヒメナガカメムシ。よく見ると、2匹で交尾中のようです。ヒメナガカメムシは本当によく交尾中の姿を見かけます。

左端で動いてぶれているのは多分ミツバチ。

にぎやかですねぇ。

アシブトハナアブ

1020asibutohanaabu ミツバチと見間違えそうです。

ミツバチはコロンとしているし、たいてい花粉団子をつけています。

こちらは、腹がぺたっとしています。

それと、もちろん「顔」が違うんですけどね。ハエ・アブとハチの顔は全然違うんで、顔が見えればもっとちゃんと分かります。

ヤマトシジミ

1018yamatosijimi ヤマトシジミの交尾です。

左の茶色っぽくくすんだ感じの方がメスだと思います。

こんなところへ、別のオスがやってきて、交尾に干渉することもあるようですが、このときはそういうことはありませんでした。

ヤマトシジミの幼虫の食草はカタバミです。我が家にもいっぱいカタバミはあるのですが、実のところ、ヤマトシジミの幼虫や蛹を見たことがありません。

私はしゃがむという動作ができないひとだからなぁ。地面に近い出来事は苦手です。

ツマグロヒョウモンの幼虫

1018tumagurohyoumon1 ツマグロヒョウモンの終齢幼虫です。

派手派手しいですが、毒はありません。毛でも棘でもありません。怖がる必要は全くありません。

腹に何か綿毛のついた種がひっかかっているのがご愛敬。

1018tumagurohyoumon2 ここが頭の方です。

ほんとにトゲトゲな感じですね。すごい見かけ。

この幼虫、普段の飼育ケースに入れてスミレの葉を与えて飼育していたのですが、蛹になるときの腹端の固定に失敗してしまいました。

ぶら下がり型の蛹になるのです。アゲハやアオスジアゲハなどが蛹になるときに固定に失敗したときには、三角錐のケースに立ててやればいいのですが、ぶら下がり型の蛹の場合はどうしようか、これからよく考えて、なんとか来年の羽化は成功させてやりたいと思っています。

虫たちの食卓

1018table1 もう細かいこといいません。

右にオオハナアブ、左に(ハナ)アブの仲間、までは一目で見えます。セイタカアワダチソウの蜜を吸いに来ています。セイタカアワダチソウが今大賑わいのレストラン。テーブルは満席。

左端をよく見ていただくと、多分ササグモでしょう。こちらは、花に来る虫を捕まえようという目的でテーブルについています。

1018table2 右端にオオハナアブ。左端にハチですね(ヒメハラナガツチバチか?)。ミツバチではないですけれど。

中央の上にいるのは実はヒメナガカメムシというカメムシの仲間。

1018table3 ここでもオオハナアブの上のほうに、ササグモ。

このほかにも、たくさんの昆虫たちが集まってきて、蜜を吸っています。

残り少ない暖かい日差しを惜しむかのように「今」激しく生きています。

このセイタカアワダチソウの群生の中に、2匹のカマキリがいるはずなのです。私たちの飼育力の範囲を超えますので、捕まえはしません。

カマキリにとってもたくさんの虫の集まるこの場所は大事な食事のテーブル。他の場所に移すこともなりません。

こんな風に虫たちに入れ込んでしまうと、鳥の声にドキッとするんですよ。木の実でも食べていておくれ、虫には手を出さないでおくれ、という気分になるのです。

虫は嫌いだけど、鳥は好き、という愛鳥家も多いのですが、生態系の上位にいる鳥が生きるためにはたくさんの昆虫も必要です。愛鳥家はすべからく昆虫の増えることを願うべきではないでしょうか。

GFP

2008.10.27付 朝日俳壇より

クラゲからノーベル賞の良夜かな:(飯塚市)釋 蜩硯
 金子兜太 評:前書きを付けて、いつまでも楽しませて欲しい。

芸術作品は、作品だけで鑑賞されるべきです。前書きがあってそれを評に持ち出すのなら、読者にもその前書きを提示したうえで評をつけるべきです。はぐらかされた感じがします。

上の句に関して、前書きにはおそらく「オワンクラゲの発光たんぱく質からノーベル賞受賞。・・・」というような前書きがあって、金子氏はそこから理解なさったのでしょう。でも、新聞紙上を大いににぎわせたノーベル賞受賞騒ぎでしたから、前書きなしでも、出来事の筋書き自体は理解できる方の方が多いのではないでしょうか?

もし、これが俳句ではなく、短歌の形式で作られていたら、選者の永田氏が選んでいたかもしれません。永田氏は物理学科を出てから生物・医学の方へ進まれて現在京都大学再生医学研究所の教授をなさっている方ですから、研究所では毎日のように、このノーベル賞の対象になった「緑色蛍光タンパク質=GFP」を利用しているはずです。GFPの詳細まで知ったうえでの「評」を読みたかったな、という思いがします。

◆2008.7.28付 朝日歌壇にこんな歌がありました。

三ケ月でヒトの体のタンパク質入れ替わるとう生の不思議:(名古屋市)諏訪兼位
 高野公彦 評:注に「永田先生の『タンパク質の一生』を読んで」とある。

永田和宏 著、「タンパク質の一生 生命活動の舞台裏」

                岩波新書(新赤版)1139、2008年6月20日 第1刷発行

この本の150ページに「およそ三カ月で体内のタンパク質はほぼすべて入れ替わるということになる。つまり、タンパク質に関して言えば、私たちは三カ月で別人になってしまうということなのである」という記述がありまして、それを踏まえた歌です。

この本は、高度で先端的な内容が、平易で分かりやすい文章で書かれています。高校の生物をちょっと超えるくらいの知識で読みこなせます。好奇心旺盛な方なら、一挙に読み通してしまわれるでしょう。

ところで、この歌の作者の諏訪兼位さんという方は、高名な地質学者でいらっしゃいまして、実は歌人でもあって、朝日歌壇に二百を超える歌が採られたという方なのです。

岩波からこんな本も出しておられます。

諏訪兼位 著、「科学を短歌によむ」

            岩波科学ライブラリー136、2007年10月5日、第1刷発行

この本では、たくさんの歌人の歌が紹介されています。永田さんの歌も四首ほど取り上げられています。

というわけで、朝日歌壇上に、いろいろな経緯の人間関係が投影されているのです。

最後に、上の諏訪さんの著書に紹介されている永田さんの歌を一首。

肉体の死にやや遅れ億の死の進みつつあり Tubercule bacillus(ツベルクル・バチルス)

結核で亡くなった母親を詠んだ連作中の一首です。

結核で人が死んだあと、少しおくれて体内に寄生していた何億というおびただしい数の結核菌が、つぎつぎに死んでゆく、と詠んでいる。死を、医学的なものの見方から、冷静にみつめている。

と、諏訪さんは書いておられます。

いかがでしたでしょうか。理系と分類される方々の歌の世界も豊穣なものです。

(except me)

2008年10月28日 (火)

孤独のメダカ

2008.10.27付 朝日歌壇より

ひとすじの雲従えて機は西へ青空泳ぐ孤独のメダカ:(平塚市)徳光礼子

1022hikoukigumo 雲しか残っていない写真で物足りませんが、ご勘弁を。

飛行機雲をつくった飛行機をメダカにしましたか、なんだかすごいイメージだなぁ。

メダカとは・・・すごいイメージ構成力です。他の魚ではだめかもしれない。せいぜい、上から見たタナゴの鋭いイメージくらいが匹敵するかなぁ。でもタナゴは横から見ると小判形だし。

昆虫ならトンボでしょうが、面白味が減りますね。

鳥なら鋭いツバメか、あるいは優美なアホウドリ。でももともと空を飛ぶものだしなぁ。

ここにメダカを据えたこと、これで世界が見事に構築された。詩というもののすごさでしょう。

蜻蛉

2008.10.27付 朝日歌壇より

仏足跡に秋の夕陽のこぼれ居て蜻蛉がひとつ来て平びをり:(伊那市)小林勝幸

新しい動詞を知りました。「平ぶ」というのが実は読めませんでした。「たいらぶ」かなぁ。歌の調子が合わないなぁ。そうか「ひらぶ」か。で、広辞苑を引いてみたら

ひら・ぶ【平ぶ】[自四]ひらたくなる。ひらむ。発心集「うやまひ拝みて―・びゐぬ」
         [他下二]ひらたくする。ひらむ。[広辞苑第五版]

自動詞の方ですね。

仏さまの足跡だから歌になります。仏さまはきっと、トンボにも仏性があるとおっしゃるでしょう。ヒトに限定せず、生きとし生けるものすべてが仏さまの眼の中にありますから。他の宗教だと、ヒトと他の動植物を分けてしまいますから、あまりこういう歌にはならないでしょうね。

仏さまとトンボと夕陽、美しいものがそろいました。

虫好きの私は、こんな光景をイメージするとうれしくなります。

1020akiakane  これは仏足跡ではありませんで、線路の柵のてっぺんなのですが、背中をお日さまに向けて、日向ぼっこするアキアカネです。

「平ぶ」というのは、単に平面的になるのではなく、トンボの場合、翅を下げて、ゆるやかな屋根型になることですね。

この姿勢は、トンボが完全にくつろいでいる、やすらかでおだやかな心理状態にあるということを示すサインです。

こんな姿を見かけたら、一緒にくつろいでください。一緒に日差しを浴びて、秋のおだやかなぬくもりを楽しんでください。

仲直り

2008.10.27付 朝日歌壇より

ジャムのびん開けてほしくて仲直り(ほんとはあたしおこってるのよ):(交野市)角浦万巳

これは面白いなぁ。新しい形式ですね。カッコの前の部分だけで俳句として独立させたって非常に面白い。そこへ、内心の動きをカッコつきで、しかもひらがなだけで、表現した。これ最高。新しいことが起こりそうな予感をさせる歌ですね。

夫はいつも妻に操縦されているんです。

ハンカチ落とし

2008.10.27付 朝日歌壇より

わが後ろだけにハンカチ落とす子がいてなにゆえか鬼ばかりになる:(沼津市)森田小夜子

これは、なんといいますか、その子は、きっと、小夜子さんのことが気になっていた、好きだった、ということなのではないでしょうか。男の子の心理としては。

その昔、実は私も、男の子だったんですよぉ。ウソじゃなく。

「ハンカチ落とし」の遊び方は下をご覧ください。

http://www.children.ne.jp/play/i-hankachi.html

鯉の大口

2008.10.27付 朝日歌壇より

水紋はまこと静かに広がりてゆらり消え入る鯉の大口:(豊中市)武富純一

大きな鯉が水面に顔を出し、口をパクリとさせて、身をひるがえして水中に戻っていく。平らだった水の表面に、ゆったりとした波が生じ、粘っこいほどのゆるやかさで広がっていく。

メダカが水面をつつくのとは違うんですよね。大きな鯉のゆったりした動きと、水面の波。いかにも「鯉」なんです。

昔、小学生だった頃、あるおじいさんの家によく遊びに行きました。ランチュウやオランダシシガシラなどの品評会で、横綱や大関を獲得したことのある人で、いろんな話を聞くのが好きで通っていました。おじいさんも私をかわいがってくれて、なんでも教えてくれたものです。広大な庭一面に水槽がつくってあって、品評会に出すようなランチュウは、畳一畳くらいの面積の水槽に一匹しか飼わないのです。贅沢な飼い方です。

いろいろ、不思議な水槽もあって、ミジンコをわかせるための水槽にヒルが泳いでいたり、巨大で深い水槽に、大きなウナギと鯉が同居していたり。

餌をやってごらん、ウナギや鯉が吸いついてくるから、と教わってウナギの口に触ったり、鯉の口に指を飲み込まれたりして遊んでいました。おじいさんがいうには、鯉を怒らせないようにしてのどの方に指を入れてご覧、歯があるから、というのです。

言われたとおりに、鯉の口の奥の方を探ると、硬い大きな歯がありました。この歯は、10円玉を折り曲げることができるんだぞ、と聞かされてびっくりしたものです。これは咽頭歯というものです。

ゆらり消え入る鯉の大口」の奥には、実はすごい秘密があるのですよ。

という感想でした。

◆このおじいさんからランチュウやオランダシシガシラを分けてもらって(品評会レベルに達しなやつをね)、アカムシを分けてもらって、ずいぶん長いこと飼ったものです。楽しかったなぁ。

おじいさんは自転車に乗っていて事故に遭い、入院してしばらくして亡くなったのですが、痛かったでしょうに決して唸ったりしなかった、と後から聞きました。他の患者さんたちに迷惑をかけるわけにはいかない、という強い意志のなせるわざでした。子ども心に、すごい人だったんだなぁ、と悲しくって、でも心を揺さぶられました。

わたしもかくありたい。

身体には重さがある

2008.10.27付 朝日歌壇より

身体には重さがあるといふことも思はで街を歩きゐしころ:(東京都)山下征治

まったくですね。若いころは、私のような身体障害者でも、あまり自分の重さなんて意識せずにおられましたものを。

この年になって、街をゆく若い男女を見ると、圧倒的な「軽やかさ」、暴力的とさえ思える「しなやかさ」を身にまとって歩いていますね。

最近の私などは、朝起きると、組み立て式のロボットみたいなもので、きしむ体をあちこちから寄せ集めて、一つの体にまとめ上げ、その上で体がちゃんと立ちあがるかどうか、そっと立ち上がらなければなりません。朝の最初の一歩、というのが、ちゃんと踏み出せるかどうかと軽い不安を感じながらの朝の儀式です。歩きはじめの赤ちゃんじゃあるまいし、全然かわいいはずもない。

まったくもう、しょうがないものです。

蟷螂

2008.10.27付 朝日歌壇より

みづからの風葬望みゐるごとく蟷螂網戸を摑み離さず:(愛知県)林成一郎

別にカマキリに限ったことではないのです。ヒト以外の動物や植物や生物のすべてが、自らに生きる力のある限りを生きて、生きることには執着せず、生きる力の尽きるとき、形こそ失え、再び悠久の生命の流れに還ってゆくのです。

ヒトも、生きる力の続く限りにおいて生きればいい。生に執着するも苦、死に執着するのもまた苦です。限りが来た時には、淡々と生命の流れに還ればいい。

風葬もよし、鳥葬もよし、土葬もよし、正直のところ火葬が一番エネルギーを食ってつまんないですね。墓に閉じ込められたくなんかありません。風になるんじゃなくて、命の流れに還るんです。

私はよく命を「渦」にたとえます。渦というものは、エネルギーの供給を得てやっと存在しうるものです。流入し流出する流れによって存在しうるものです。渦は一つ一つ数えられる個体性を持ちながら、渦を産む流れの中にしか存在し得ません。

食べて排泄する、という行為は、物質・原子の流入と流出であり、エネルギーの流入と流出です。ひとりひとり、個体性を持ちますが、38億年の命の流れに中にしか存在し得ません。

私たちは、命という大河に生じた渦です。生まれ、消えます。

では、生きている間は、ちゃんと生きることにいたしましょう。

1025ookamakiri セイタカアワダチソウが咲き

アブやハチやチョウが蜜を吸います

オオカマキリはそれを捕えて命を保ちます

そしてまもなく秋の終りの頃、オオカマキリは土に還り、命の流れに還ります。

そのようにして、次の世代の植物や動物やすべての命につながっていきます

午後の陽射しが、その流れを祝福しています。

ヒトもお天道さまに祝福されて生きたいですね。

鉦叩

2008.10.27付 朝日歌壇・俳壇より

一秒の時間をこんなに大切に刻んで生きている鉦叩き:(城陽市)山仲勉
鉦叩二匹ずれたり揃ったり:(東京都)石川理恵

鉦叩きの声はちょうど1秒前後位でしょうか。連続して、でもなく、思いだしたように、でもない、絶妙の間合いで鳴きます。「時を刻む」という感じがするのですね。深まる秋に、命の果てを視野に入れつつ、静かに時を刻む。そのような思いを引き起こす声です。

その鉦叩きが二匹います。一匹が単独で鳴くときも、時計の針のように正確な間隔で鳴くわけではありません。二匹いれば、それぞれのメインの間隔と、メインに対するズレが入ってきますから、時々揃うこともあるのでしょう。おそらくずれている時の方が長いけれど。二匹の鉦叩きの鳴き声がそろうというのは私には未経験ですがきっと、あぁ同調した、という結構深い物思いを誘う出来事なのだと思います。命の同調というのは、なんであれ、いつであれ、とても深いものですから。

◆突然、理科教師の顔に戻りまして。

車を運転していて右折待ちかなんかで、自分も前の車もウィンカーを点滅させているとします。それぞれの車のウィンカーは正確な間隔で点滅しているとします。でも、2台の車のウィンカーの点滅間隔はずれているとします。そうすると、このずれがごくわずかである時、ウィンカーが一度同調してから、次に同調するまでの時間が長くかかります。ずれが大きい方と、同調した、ずれた、同調した、がどんどんやってきます。

これは一種の「うなり」であり、時間的なモアレ縞もようでもあるのです。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/118th/sci_118.htm

↑このあたりで「うなり」などで小学生のU君と一緒に遊んだ記録です。お読みください。

やさしい家族

2008.10.27付 朝日俳壇より

吾が禿に家族やさしき秋の鳥:(神戸市)豊原清明
 金子兜太 評:やさしい秋の鳥たちのような家族に囲まれた禿頭の青年と受け取る。使徒のようだ。

私も自分が「とうぶ戦線撤退中」であることを自覚しているものですから思うのですが、青年という感じはしないなぁ。

やっぱり中高年男性で、妻と娘が、軽いからかいを含みながらも、慰めてくれるのではないですか?

まだまだ大丈夫よ・・・自分で思うほどじゃないわよ・・・。

10月25日付 朝日新聞の「男のひといき」という投稿欄にこんな話がありました。社会人の娘さんのシャンプーやリンスを使って楽しんでいるお父さんの投稿です。

「娘のシャンプー 」(前中略)

 そんなある日、会社へ出かけようとしたところで娘に呼び止められた。
 「使ってるでしょ」「何を?」「お風呂で」「あははは、ばれたか」
 しかし、娘は意外なことを言った。
 「ま、しょうがないか、髪のあるうちは。せいぜい頑張ってね」
 私は思わず頭髪に手をやった。そして、思った。あと10年は使い続けてやる、と。

やさしいお嬢さんですよねっ。

◆ところで、金子先生の評の最後、「使徒のようだ」というのが分からなくて・・・。

し‐と【使徒】① (Apostles) イエス=キリストが福音を伝えるために特に選んだ12人の弟子。ペテロ(シモン)・アンデレ・ヤコブ・ヨハネ・フィリポ・バルトロマイ・トマス・マタイ・アルパヨの子ヤコブ・タダイ・熱心党(者)のシモン・イスカリオテのユダ。ユダは後に裏切って除かれ、マッテヤがこれに代った。後にはパウロ・バルナバ・イエスの兄弟ヤコブらも同格者として加えられた。十二使徒。
②転じて、神聖な事業に献身する人をたたえて呼ぶ称。「平和の―」[広辞苑第五版]

②の意味ですかねぇ?しっくりこないんですが。

「天使のようだ」のおつもりでしょうか?

なんだか、すっきりしないままです。

郵便受け

2008.10.27付 朝日俳壇より

どんぐりを郵便受けに置きにけり:(小諸市)小泉博夫

小泉さんは、どなたの家の郵便受けにどんぐりを置いてきたのでしょう?自分の家?ご近所の家?見ず知らずの方の家?

こんなことを考えるのは、実はこんな歌があったからなのです。

2008.10.6付 朝日歌壇より

便り来ぬ郵便受けにひとひらの葉っぱを入れ呉るやさし幼子:(大船渡市)中嶋富子

小泉さんが置いたどんぐりが、中嶋さんの家の郵便受けに、時空移動したんですが、ちょっと間違えて、葉っぱになっちゃったんですね。

ひょっとして、リスが冬支度にどんぐりを置いていったのかな?と郵便受けの持ち主は想像するかもしれませんね。冬の貴重な食糧だから、取らずにおいておかなくちゃ、とか思っていらしたりして・・・。

いろいろ想像しています。

案山子

2008.10.27付 朝日俳壇より

大胆に省略されてゐる案山子:(前橋市)鈴木涼美
 大串章 評:竹を十文字に組み合わせ、帽子を載せただけの案山子もある。この案山子、一体どんな案山子だろう。
Kuebiko

こんな案山子かもしれませんよ~。

「かかしさんの窓」から覗く案山子も、省略形です。半歩くらい人間界からはみ出して、虫さんたちなどと交流している、シンプルな案山子です。

かつて同僚の美術の先生が描いてくれた絵です。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/index.htm 

↑私のHPのこのコーナーで使っている絵でもあります。

この時以来、クラス通信や授業通信に「くえびこ」という題を使っています。

崩彦は俳句ゼミをとっていた時の俳号でもあります。

古事記にでてくる「かかしのかみさま」です。「あしはゆかねども、あめのしたのことことごとくしれるかみなり」というのです。左脚が不自由な私にぴったりでしょ。

崩彦は「崩れる男」ですから、ひょっとして「身体障害者の神格化」だったかもしれません。

そんなこんな、もっとお知りになりたい方は下のぺーじへどうぞ。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/kuebiko.htm
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/profile.htm

2008年10月27日 (月)

オオハナアブ

1018oohanaabu1 オオハナアブです。

マルハナバチと間違える方もいるかもしれませんが、ハエの仲間の顔をしています。

胸の黒いところが「漆黒」というのでしょうか、反射のない真っ黒なのが印象的です。ビロードのような、というのかな。黒い毛が密生していて、入射光が全く返ってこないという黒さです。

1018oohanaabu2 複眼に独特の模様が現れています。

どういう風な構造でこの模様が現れるのか分かりませんが、どの角度から見てもこの模様が見えますから、光線の加減、というのではなく、眼の表面に存在する模様なのでしょう。

1018oohanaabu3 この写真が胸の黒の印象をいちばんよく伝えています。

まったく反射光がないでしょ。入射光が全く返ってこない、というできごとを「黒」といいます。

カッターナイフの替刃を買うことがあったら、包装を開いて、刃が並んでいるところを見てください。斜めの刃の並びに入っていった光が返ってこないので、金属の刃の並びなのに真っ黒に見えますよ。

◆ところで、ハナアブという名前のアブがいくつかいますが、この幼虫がなんというか、すごい恰好なんです。水中で生活します。

”オナガウジ(尾長蛆)”とも呼ばれるのですが、芋虫に尾が生えたような形で、この尾が呼吸管なのです。

中山周平 著「庭・畑の昆虫」(小学館)という”名著”によりますと

幼虫は”オナガウジ”とよばれ、長い呼吸管をもっていて、静止した汚水中に生活する。汚物を食べて成長する。さなぎにも呼吸管があり、このさなぎで越冬することもある。

とのことです。

私はこの姿の幼虫は1回だけ見たことがあります。生物室の前の草むらに、昔の防火用水の水槽が放置されていて水がたまっていました。変なのがいるぞ~、という声が上がり、ビーカーにとらえてみたら、全くあんまり楽しくはない幼虫でした。その時は何の幼虫か分からず、家で上記の本を調べて解決したのでした。

「オナガウジ」でグーグルのイメージ検索をかけると写真が見られますが、あまりお勧めはしません。

もし、静止した汚水で尻尾のあるイモムシを見ることがあったら、ああこれかぁ、と思ってください。(水の汚濁の度合いの指標にもなります。)

エビの複眼は四角い個眼でできている

1026ebihukugan 夕べ、ブラックタイガーを食べました。

エビの複眼が四角い個眼でできていることは、このブログでも去年お話ししました。

今回は、顕微鏡を使わず、マクロレンズの威力で観察してみました。

この写真、トリミングはしてありますが、縮小はされていません。

いかがでしょう、四角い個眼が並んでいるのが見えますね。複眼をつくる個眼は必ず六角形、と決め込まないでくださいね。こんな生物もいるのです。

カニはどうやら六角形の個眼で複眼を構成しているようです。(ワタリガニの複眼を観察したら六角形でした。)

顕微鏡がなくても、倍率が少し高めの虫眼鏡があれば複眼の形は観察できるようです。ぜひ試みてください。虫眼鏡で拡大しても、かなり面白い世界が広がってきますよ。

◆過去のエビの複眼関係です。ぜひご覧ください。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/freestdy/mcrScp.htm
イセエビの複眼を「スンプ法」で観察したものです。私が小学生の時に作った標本が復活したものです。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/101st/sci_101.htm
アメリカザリガニの複眼

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/frends/frnds_14.htm
アマエビの複眼

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/frends/frnds_15.htm
ブラックタイガー、乾燥サクラエビの複眼

去年のこのブログに記事は↓これです。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_6610.html
2007年9月24日 (月) ザリガニの複眼は「四角い!」

不明(昆虫)

1018humei 10月18日、こんな昆虫をみかけました。

蚊のようでもありますが、なんだか胸の形が違いますね。体長は5~6mmくらいです。

肉眼では詳細は分からず、たった1枚のこの写真を眺めて悩みました。触覚は「棍棒状」にみえます。

10月23日、別の場所で、また同じ種の昆虫を見かけました。今回は何枚か写真が撮れましたのでお目にかけます。(あまり鮮明ではなくてスミマセン)。

1023humei1 イヌホウズキの茎の上です。

触覚が羽状ですね。腹端を上に曲げています。

この触覚はユスリカなんかとよく似ています。でも色が違いますね。

1023humei2 複眼の形まで写りましたが、決定的な特徴は分かりません。

1023humei3 翅は一対、平均棍のようなものまで写りました。

ハエ・カ目です。

1023humei4 一番前の脚がやたらと長いようです。

さて、これは一体誰なんだろう?

小さなガガンボの仲間ではないかと思っているのですが、決定的なところが分かりません。

どうか教えてください。

ハモリダニ(ではないかなぁ)

1018dani 赤いダニが葉の表面を走っていました。体長は1mmくらいでしょうか。ただ直線的に走って視界から消えるのではなく、一枚の葉の上をグルグル回るように走っていましたので、葉の表面にピントを合わせて何回かシャッターを切るうちに、姿をとらえることができました。

赤いダニなので、タカラダニかな?と最初は思ったのですが、私の知るタカラダニはもっと鮮明な赤ですし、もっと小さい。走り方も違ってまっすぐに行ってしまい、なかなか接写ができる対象ではない。と、そんなわけで、タカラダニではなさそうだ、というところまでは現場で考えました。

検索してみたら、多分ハモリダニ(葉守ダニ)だろうと思われます。

ハダニなどを捕食する「益ダニ」だそうです。

ダニというとひたすら嫌われてしまいがちですが、いろいろいます。落ち葉などが分解されていく過程の比較的初めの方に位置してもいます。

ダニやカビや嫌われがちですが生態系を支える大事な生物です。

(落ち葉浴とかいって、積み上げた枯れ葉を浴びたり潜ったりして遊ぶのがはやるようですが、悪いことだとは思いませんが、ダニや小昆虫もいっぱい入っているのになぁ、知らぬが仏ということかなぁ、もしお母さんたちがそのことに気づいたらどうなっちゃうんだろうなぁ・・・などと意地悪なことを考えるかかしさんです。善玉・悪玉に分けてものを考える二分法をそろそろやめませんね。ダニも、カビも、みんな自分の生き方をしているだけなんですが。落ち葉は善玉、体にも悪いわけがない、と決め込まない方がいいですよ。)

2008年10月24日 (金)

ベニシジミ&ヤマトシジミ

1018beniyamato セイタカアワダチソウの花は貴重な蜜源。

ベニシジミとヤマトシジミがたまたま同席していました。

(はっきりしませんが、写真下、中央より少し左に、黒い影が写っていて、多分アブだと思います)

ベニシジミのアップが撮れました。

1018benisijimi1 見ていると、くるりと回ってこちらを向きました。

1018benisijimi2 口を伸ばして蜜を吸っている様子が見えます。

前翅と後翅の位置関係がちょっと見づらいかもしれません。

この位置関係にあるときに、視点を下げることに成功しました、ご覧ください。

1018benisijimi3 おもしろいショットになったでしょ~。

何だかお猪口のような、翅をたたんだ正面ショットとも一味違うものになりました。

やっぱり、花の蜜って、おいしそうですねぇ。

モンシロチョウ

1020monsirotyou 20日の撮影です。

背中から日差しを浴びて日光浴しているモンシロチョウです。

ごく普通の情景なので、普段なら撮影しないところなのですが・・・。

2日前に、拾ってきたモンシロチョウの蛹が無事羽化して成虫になり、放してやった後ですので、「星の王子様効果」とでもいいましょうか、手元から旅立っていったあのモンシロチョウかな?と、いつもより近しく思えるのです。

ぜひ、チョウを飼育して羽化させて、放してやってみてください、それ以降、たくさんのチョウと出会って、みんななんだかとっても近しく感じられるようになりますよ。見え方が変わってしまうんですね。

一匹の蝶は個体であるとともに、種でもあるのです。そういう出会いの過程を経験することから、だんだん虫が好きになってきます。

蛹(Part2)

1018monsiro1 翌18日。

羽化しました。

モンシロチョウです。

ずいぶん黄色がかったものなんですね。なんだか飛んでいるモンシロチョウのイメージからすると、もっと真っ白なんだと思っていましたのに。

1018monsiro2 活発なチョウですから、正面顔ショットはこんな時にしか撮れません。

ご機嫌いかがですか?

羽化したての気分はどんなものなのでしょう?這い歩く時代から、空を飛ぶ時代へ、この劇的な変化を昆虫はどう受け止めているのでしょうね?

ところで、歩き回るチョウを追いながら、2、3枚このショットを撮っているうちに・・・

1018monsiro3 「おじゃま虫」出現!

ボクも撮って!

ごく小さな「イモムシ」です。

何の幼虫かは全く分かりません。

実は撮影時には気づいていませんでした。チョウを外へ逃がして、葉っぱと抜けがらを庭の隅へ置き、ティッシュも丸めて捨てたあとなんです、パソコンで写真を整理していて気づいたのです。

葉っぱについていたのでしょうか。ティッシュはこの後お目にかけるように蛹便を撮影しましたが、その時は何もいませんでしたから、多分、家の外へ放してやったことになったのだと思います。どうなったか?分かりません。

さて、羽化したチョウは、パタパタ飛びたそうな状態になるまで休ませておいてから外へ放してやりました。

◆後のこと。

1018monsiro4 これが抜けがら。

1018monsiro5 こちらはティッシュについていた「蛹便」です。

羽化後、翅を展開するために、翅脈を通じて体液を翅に圧送します。

翅の展開が済んだあと、不要になった体液は捨てます。

これが「蛹便」というものです。

モンシロチョウではほぼ無色ということですね。

アゲハやアオスジアゲハの蛹便は、緑色です。

ルリタテハやツマグロヒョウモンは、真っ赤な蛹便をします。ちょっとショッキング。血を流したのかと思いますよ。私のブログやホームページでも何回かご紹介していますので参考にご覧になってください↓

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_758b.html

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/frends/frnds_36.htm

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/frends/frnds_13.htm

蛹(Part1)

1017sanagi1 1017sanagi2 大田区の白山神社の片隅で何かの蛹を見つけました。葉っぱにくっついていますが、葉っぱ自体が枝から切り離されて、掃除されて、ゴミとして積もっていました。

垂直な場所がそばにないし、もし羽化する前にゴミとしてまとめて捨てられてしまってはかわいそうなので、家に持ち帰りました。

もう中が透けています。羽化間近、という証拠です。

模様からしてモンシロチョウかな?という感じはします。

プラスチックケースにティッシュペーパーを入れて、足場をよくし、垂直な部分もできるようにしておきました。

続きは、Part2へ。

まゆ

1016mayu1 10月16日。

ルコウソウの葉の間に、何かがぷらぷらしています。

よくみると、糸にぶら下がったものです。

これは何かのまゆだよなぁ、とは思いました。

1017mayu2 翌17日、同じところへ行ったらまだありましたので、糸を切って持ち帰りました。

中にいる誰かが糸を吐いて作ったものだということがよくわかります。

1017mayu3 1017mayu4 見比べてください。

中にいるもの、が動いていますね。

私の知識ではこれが何のまゆなのか分かりませんので、このまま外気温とさして変わらない場所に置いておくことにします。季節外れに羽化させてしまってはかわいそうですから。

中から出てくるのは一体誰なんでしょう?

サザンカ

1016sazanka サザンカが咲きはじめています。

季語なら冬です。

焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き♪ というのも冬です。

でも、咲き始めました。

俳句という短い詩にとって、明示しなくても季語によって季節が伝わるということは、とても便利な道具ではあります。

でも、道具です。

詩をつくる人が季語に該当する言葉を使ったからといって、季語の季節に縛られる必要ないのではないでしょうか?

作者は、自らの心の姿を作品に込めます。そのときに、必ず道具としての季語を使わなければならない、というのはおかしな話です。自由に言葉を選んでいい。創作者は自由に世界を構築していい。

鑑賞者は、作品を構成する言葉たちが自らの心い引き起こすものを味わえばいい。その言葉が季語であるかどうかにとらわれることはない。

そう思うのです。

実作者でもない私が何を言おうと、たんなるたわごとです。無視してください。

私は鑑賞者にすぎません。

ねこじゃらし

1015tumaguronekojarasi あまり変わり映えのない写真です。何を撮ったのでしょう?

虫好きだから、ツマグロヒョウモン?

猫好きだだから、ネコジャラシ?

いえ、下のような歌や句が頭の隅にあって、ふと撮る気になったのです。、

2008/09/22 朝日歌壇より
現し身をつるみて重き糸とんぼ重きを乗せて水草撓む:(広島県)宮本悠三

2008/10/06 朝日俳壇より
心すぐ揺らいでしまふねこじやらし:(町田市)大野由香

観察者として写真を撮るときの一つのコツに、視線を固定しておいて「動き」だけを感知する、というやり方があります。草むらをぼんやり視線を動かさずに眺めていて、何かが動いたときに、視線をそちらへ向けるわけです。

細い草に、ハチやアブがとまると、必ずたわみます。宮本さんの歌では水草がイトトンボの重みでたわんだ、とあります。小さく、細く、重さなどないかのようなイトトンボですが、水草はその重みによってたわみます。それが物質であること、生きている生物であることの証です。生きることの重みであるかもせれません。

さて、私の写真には、実は「微笑」が入っています。ネコジャラシにツマグロヒョウモンがとまったためにたわんだのですが、ツマグロヒョウモンは大きなチョウです。ネコジャラシは大きくたわんで、地面についてしまいそう。

君は、ちょっと重いねぇ。君の体重計としてはネコジャラシはちょっと細すぎるかもしれない。そんなつぶやきが私の中にあったのです。

ネコジャラシはバネです。昆虫たちが載ると、「重さ」に比例してたわみます。今度、ネコジャラシを見たら、昆虫たちの体重計として見てみてください。ちょっとした感興があると思いますよ。

となると、大野さん、心は敏感な「はかり」なんですね。何に揺らぐのか、揺らすものが大きいのか、受ける心が揺らぎやすくなっているのか。

心の揺らぎを測ってみましょう。

◆ところで、こんな句もありました。

2008/09/29 朝日俳壇より
子蟷螂怒りたるまま草に揺れ:(山形県)菅野哲治
 大串章 評:前肢をかざして子蟷螂が草の上で揺れている。一体何を怒っているのか。

草が揺れているのです。さて、9月29日の俳壇で「子蟷螂」というのは、よくわからないなぁ、という気分です。「蟷螂」自体は秋の季語なんですけれど・・・。季語の季節性によりかかってはいけないというのが、俳句ゼミをとっていたころから、先生と議論していたポイントなんですが。

「子蟷螂」はいくらなんでも、5月くらいのものです。

カマキリに感情移入しやすい私から見ると、怒っているわけじゃないのではないかと感じてしまいます。もちろん句の作者がそうみなしたのですから、そう見えたのですが。

不完全変態昆虫ですから、小さいながらも成虫と同じ形でカマを構えて、風に揺れる草の上に立って悠然とあたりを圧しているのだ、と私などは思ってしまうんですよ。

2008年10月23日 (木)

ネコハエトリ

1015nekohaetori1 1015nekohaetori2 おなじみになりました。

ハエトリグモ科>ネコハエトリ属>ネコハエトリ です。

ハエトリグモの中でも、私にとって一番フレンドリーなやつです。

座敷鷹のメスですね。なんとなくあったかそうで、この雰囲気好きだなぁ。

◆クモの中で「ネコ」というのは、ネコハグモと、このネコハエトリの他にもう一種います。

ネコグモ科>ネコグモ属>ネコグモ というのです。まだ見たことがありません。猫と生活しているものとしては、ぜひ一度見てみたいものです。毛のないクモです。徘徊型のクモで一年中見られるそうです。

「日本のクモ」によりますと、「冬季はミノ虫の蓑の中、枝に付いた枯れ葉の中などからも見つかる」とあります。温かい布団にくるまっちゃうんですねぇ。

ぜひ見たい。

ネコハグモ

1015nekohagumo これ、ネコハグモです。

ハグモ科>ハグモ属>ネコハグモです。

これまでずっと、巣の中でしか見たことがありませんでした。

1015nekohagumo_su こんな巣です。

くぼんだ所に「天幕網」と呼ばれるテント状の網を張ってその中にいるのが普通です。

どういうわけかこの日、巣から出て目の前に姿を現しました。警戒するでもなく、写真を撮らせてくれました。

充分に成長して、生殖のために巣を出たのでしょうか。

今年初めてネコハグモというものを認識したのですが、その時は2mmくらいで模様もよくわからないほどでした。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_6adc.html

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_8e68.html

立派になりましたねぇ。まるで私に記念写真を撮ってくれと言わんばかりでしたので、今年のネコハグモの締めくくりに登場してもらいました。

ムラサキシキブ

1015murasakisikibu たまには植物もいれないと、虫だけではつまらないという方もおいででしょう。

ムラサキシキブの実が色濃くなりました。

いつも実が紫になってから気づくことが多いのですが、今年は花もちゃんと見たし、( http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_d51d.html )、種をまだ見てないかな。

今日10月23日は、二十四節気の「霜降」です。東京は3時ころから雨です。

霜はまだまだ先のことですが、この雨をもたらしている雲が去ると、冷たい空気が入り込んでくるでしょう。一雨ごとに季節が進みます。また一歩、秋は深まります。東京では最高気温の平年値がまもなく20℃を切ります。暖房を用意しなければなりません。

ミノムシ(Part2)

1018minomusi1 10月18日(土)、散歩中、六郷用水跡のそばで、車の通る道路をミノムシが歩いていました。

危ないじゃないか、車に轢かれちゃうぞ、とつまみあげて家へ連れて帰りました。

おそらく珍妙な格好だったと思います。歩くお地蔵さん、でしょうか。左手の手のひらを上向きにしてミノムシを乗せ、右手にはステッキをついて。時々立ち止まって何やら手のひらに向って声を発し、何かをつまむ様子。「あやしい」。

くすぐったいぞ、じっとしてろよ、などと言っていたのです。

上の写真は、幼虫が蓑から身を乗り出して、なんとかならないか、と辺りを探っているところです。

1018minomusi2 手のひらの上で接写。

こんな模様があったんですねぇ。これは初めてです。ミノムシで遊んだこともあるのですが、虫の模様なんて意識したことはありませんでした。

この写真でも見えるんですが、頭部をもっと大きくしてみますね。

1018minomusi3 「人面模様」がありますよ。

人間は、「目と口」のパターンに強く反応するのです。チンパンジーなんかもそうかな。社会性の基本のところにあるパターン認識なのではないでしょうか。

ランダムな図柄の中でも、目や口の配置になったパターンを見てしまうのが、ヒトの習性です。で、「心霊~~」とかいって騒いでますが、要するにサルとしてのヒトにとっては顔を認識することが重要だったということでしょう。

1018minomusi5 左の写真で上にあるのが、Part1でお見せした中身のない蓑です。

下が、幼虫のいる蓑です。並べるためにいじったものですから、引っ込んでしまっています。

ひとしきり写真を撮った後で、逃がしてやりました。

1018minomusi6 木の幹に完全にまぎれました。

無事、成長してほしいですね。

寄生バエに寄生するハチがいるのだそうです。そういう入り組んだ関係の中で、ミノムシが復活してきたのかもしれません。

ミノムシが普通に見かける虫に戻ってくれることを祈っています。

ミノムシ(Part1)

1015minomusi 10月15日でした。我が家の塀の外の面に、ミノムシの蓑がくっついていました。中身は空っぽです。

それにしても、何年ぶりのことでしょう、ミノムシを見るのは。

20数年前にここへ来た当時は、いっぱいいたのです。ミノムシを裸にして、紙の切れ端や糸を与えると、それを使って蓑をつくる、といった遊びもできました。

私自身が子どものころは「ミノムシのハンドバッグ」というものがあって、母親も、あれはいいものよ、といっておりました。蓑を切り開き、内側の糸を張り巡らせた「布」をつなぎあわせて作ったものです。

それが、寄生バエのせいでしょうか、身の回りから消えてしまって、絶滅状態になってしまっていたのです。

それが、こうやって蓑だけですが、お目にかかれて、とてもうれしくなりました。復活してくれるといいですね。

◆ところで、このミノムシの生活史というのが実に風変わりなものなのです。

そのことを知ったのは、福音館の「かがくのとも」によってでした。「かがくのとも」という雑誌は子ども向けとはいうものの、非常に高度な内容を、決してごまかすことなく正面からとらえて、しかも噛み砕いて、核心部分をきちっと学ばせてくれる、最高の絵本でした。単なる知識絵本なんかではないのです。まさしく「かがくするほん」でした。

オスもメスも成虫には口がなく、食事をしません。オスには翅があってメスのところに飛んできて交尾をして死にます。メスは、翅も脚もなく、交尾後は腹の中の卵を腹の外へ産卵して腹は縮み、卵の塊に栓をするようにしてかぶさったまま、やがて死にます。

人間的な「おとな・こども」という概念は昆虫には適用できませんね。セミでも、幼虫時代の方が圧倒的に長くて、短い成虫期は、交尾・産卵という繁殖のために費やされるわけです。人間は大人を主として、子ども時代は未熟で大人になるための準備期間と考えていますが、そのような見方では昆虫は理解できないのかもしれません。

ミノムシも、食事をし、糞をし、歩き回り・・・というのが幼虫時代、蛹から羽化すると、幼虫時代に蓄えた栄養を使って、生殖を行うだけなんです。

ひどく考え込まされる生き方ですね。これを知った時は、ちょっとしたショックを受けたものです。生きるということの意味を考えてしまいます。

一匹の同一個体ではあるのだけれど、蛹という状態をはさんで、無性期と有性期が交代する、という一種の「世代交代」のようなもの、と考えることもできるのかなぁ、などと思ったり。

ウィキペディアから引用します。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8E%E3%83%A0%E3%82%B7

生活環
オオミノガ (Eumeta japonica) は、蓑の内部で終令幼虫(8令)のまま越冬するため、枯れ枝の間で蓑が目立つ。4月から6月にかけて蛹化し、6月から8月にかけて羽化する。ガの形になるのは雄に限られる。この時、雄は口が退化しており、花の蜜など吸う事が出来ない。ガの体長は30~40mm。雌は無翅、無脚であり、形は小さい頭に、小さな胸と体の大半以上を腹部が占める形になる(また、雄同様口が退化する)。よってガにはならず、蓑内部の蛹の殻の中に留まる。雄は雌のフェロモンに引かれて夕方頃飛行し、蓑内の雌と交尾する。この時、雄は小さな腹部を限界近くまで伸ばし蛹の殻と雌の体の間に入れ、蛹の殻の最も奥に位置する雌の交尾孔を雄の交尾器で挟んで挿入器を挿入して交尾する。交尾後、雄は死ぬ。その後、雌は自分が潜んでいた蓑の中の蛹の殻の中に1,000個以上の卵を産卵し、卵塊の表面を腹部の先に生えていた淡褐色の微細な毛で栓をするように覆う。雌は普通は卵が孵化するまで蛹の殻の中に留まっていて、孵化する頃にミノの下の穴から出て地上に落下して死ぬ。20日前後で孵化した幼虫は蓑の下の穴から外に出て、そこから糸を垂らし、多くは風に乗って分散する。葉や小枝などに到着した1齢幼虫はただちに小さいミノを造り、それから摂食する。6月から10月にかけて7回脱皮を繰り返し、成長するにつれてミノを拡大・改変して小枝や葉片をつけて大きくし、終令幼虫に達する。秋にミノの前端を細く頸って、小枝などに環状になるように絹糸をはいてこれに結わえ付けて越冬にはいる。越冬後は普通は餌を食べずにそのまま蛹化する。

◆ところで、ウィキペディアには、こんな記述もありました。

ミノムシは秋に蓑を作るため、俳句では秋の季語となった。ミノムシ自体は発声器官を持たないのだが、季語では「蓑虫鳴く」と扱われている。一説によれば、これは秋の深い頃まで枝先で鳴くカネタタキの鳴き声であるという。

ミノムシが登場する作品
枕草子 - 「蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐しき心あらんとて、…八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあわれなり」
松尾芭蕉 - みのむしの音をききにこよ草の庵

ミミズも鳴かないし、ミノムシも鳴かないのですが・・・。

蚯蚓鳴く:秋の夜、土中で「じいい」と鳴く声を、ミミズの鳴き声としたもの。実は螻蛄ケラの声。<季語:秋>[広辞苑第五版]

みの‐むし【蓑虫】ミノガ科のガの幼虫。樹木の枝や葉を糸で綴ってその中に潜み、蓑を負うような形をしている。袋の中で蛹化し、次いで成虫(ミノガ)となる。雌は成虫も無翅で幼虫と同様袋の中にすむ。袋は丈夫で、財布などの材料とした。鬼の捨子。鬼の子。<季語:秋> 。枕草子43「―いとあはれなり…八月ばかりになれば、ちちよ、ちちよ、とはかなげに鳴く」[広辞苑第五版]

俳句の世界ではカメも鳴くしなぁ。

亀鳴く:(藤原為家「川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなる」からか) 春の夕べ、どこかで亀が鳴いている。<季語:春>[広辞苑第五版]

こういう季語が、私を俳句から遠ざけるんですよね。もう、そんな季語やめたらぁ?

◆英語でミノムシのことを「Bagworm」というのだそうです。「バッグ虫」ですね。

アブラムシとアリ

1015aburamusi1 1015aburamusi2 あぶら‐むし【油虫】カメムシ目アブラムシ科の昆虫の総称。一般に小形で、農作物などの汁液を吸収して発育を害し、種類によりウイルスを媒介。夏、単為生殖で増殖し、秋に雌雄を生じ、多数の卵を産む。多くは腹端から蜜を分泌するので、蟻が好んで保護する。アリマキ。[広辞苑第五版]

このあたりは、よく知られたことだと思います。

高校の生物でも、環境条件の良い時には、効率のよい「単為生殖」で増殖し、厳しくなるときには「有性生殖」で遺伝的多様性を増やす。

というような話を「世代交代」というところで話します。有性生殖というのは雌雄が出会わなければ成立しないので、効率は悪いし、リスクも大きいのです。単為生殖はその点、効率よく、低リスクですね。でも遺伝的には親と同一のままです。

ですからあえて非効率な有性生殖をおこなうのは、おそらくこの「遺伝的多様性」ということのためです。その多様性があればこそ「進化」という歩みも起こってきたのです。

「進化」は、より良くなること、ではありません。より多様になって環境の隅々まで生き進むことです。

「身近なムシのびっくり新常識 100」という本を読んでおりましたら、ボタンヅルワタアブラムシなどのアブラムシでは、「成長を途中でやめた特別な一群」がいて、「口吻が短く、足も太くて大きい」のだそうです。これが「兵隊アブラムシ」で敵と戦うのだそうです。

ウィキペディアを検索してみたら、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%82%B7

アブラムシ類は、自分自身の防御力が弱く、それを補うためか、アリに頼るものがある(それゆえアブラムシをアリマキと呼ぶことがある)。食物である師管液には大量の糖分が含まれるので、肛門からの排泄物には余剰の糖分が大量に含まれ、甘露と呼ばれる。しばしば、この甘露を求めてアリが集まる。中には、はっきりとアリとの共生関係を持ち、アリに守られて暮らすものもある。また、アブラムシの中には1齢幼虫と2齢幼虫の一部が兵隊アブラムシに分化して積極的に外敵に攻撃する真社会性のものもいる。この幼虫は成長せずに死ぬ。虫えいを形成するものでは、排出された甘露を幼虫が虫えい外に押しだして「掃除」を行うなどの社会性が見られる。
体内でブフネラという大腸菌近縁の細菌と共生しており、ブフネラは師管液からアブラムシにとって必要な栄養分を合成している。アブラムシはブフネラの生育のために特化した細胞を提供しており、ブフネラは親から子へと受け継がれる。ブフネラはアブラムシの体外では生存できず、アブラムシもブフネラ無しでは生存不可能である。

こんな記述がありました。アブラムシが社会性を持つというのは今まで知りませんでしたので、びっくりです。

アリとアブラムシの写真を見ながらいろいろ考えさせられました。

セスジスズメ幼虫(2)

1015sesujisuzume しばらく時間をおいて落ち着かせてから蓋をあけて撮影。

ところが、ケースをちょっとガタつかせてしまったら、幼虫がすごい反応を示しました。

1015sesujisuzume3 これ、「鎌首をもたげた」恰好なんです。

わぁっ、負けた、君は蛇だぁ、と独り言。

体の模様が蛇に似る、というのは、あまりにも見事すぎて信じ切れない部分もありますが、模様をつくると生存率が上がる、子孫を残す確率が上がる、という淘汰によって、少しでも蛇に似ていると敵が認識する模様になっていったのだ、と一応理解します。

でもねぇ、蛇が鎌首をもたげる「行動」まで似るというのは、信じられないなぁ。この幼虫たち、先祖代代、蛇の実物なんか見たことはないわけだし、蛇が敵を威嚇するときに、鎌首をもたげるんだなんて、どうやったって知るすべはないし・・・。

どうして、そういう「行動の擬態」なんてことができるのでしょう?不可解です。

ファーブルさんが進化論に懐疑的な立場だったことがよくわかります。行動の進化って、一体何なのでしょう?むずかしいですねぇ。生物って本当に不思議だ。

1015sesujisuzume4 この写真、少しぶれてますが、なぜかというと・・・

鎌首を激しく左右に振るんです。往復という感じではなく、左へさっと振って睨んで、今度は右へさっと振って睨んで、という感じなんです。

本当に蛇そのもの。これで「シュ」というような音でも立てたら、もう平身低頭ですよね。

いやあ、セスジスズメ蛇に脅されてしまいました。しかし、繰り返しますが、不思議だなぁ。

セスジスズメ幼虫(1)

1014sesujisuzume1 カマキリの餌取りに行ってきた妻が連れ帰ってきた多分終齢のセスジスズメの幼虫です。

大きいんですよ。全く。

1014sesujisuzume2 お顔拝見。

ケースの壁越しなので少し不鮮明ですが、雰囲気はお分かりでしょう。

目玉模様が本当の眼玉のように見えますね。その先に口がつきだしているような・・・。

でも、本当の頭は右端の下の方に曲げているのです。

蛇に見えるかなぁ?

わかりません。

2008年10月22日 (水)

1013kaki1 六郷用水跡の散歩道をぶらついていたら、住宅街の中に黄色い色を見ました。

はて、今どきの黄色は何かな?と近寄って見ると、なんだ柿かぁ、と納得。柿の実が柿の木になる、この当たり前の光景を最近あまり見なくなっていました。

1013kaki2 アップです。

写真では、おいしそうですねえ。

本当はどうなのか、わかりません。

◆スーパーなどで売っている柿しか食べたことのない方はご存じないでしょうが、私らのような食い意地の張った「団塊の餓鬼」は子どものころ、よそのうちの柿の実をよくかじったものです。

報いとして「渋い」という「味」をとてもよく知っています。あれは、通常の甘味・塩味・酸味・などの「味」ではありませんね。

物理的に、舌と口の中の摩擦が増えて、滑らなくなって、動きにくくなって、他の味を感じられなくなって・・・。ひどいものです。「渋滞」というのがよくわかります。「渋い」というのは味ではなく出来事ですね。

タンニンのせいです。完全に熟しきって、実がとろとろに溶けたようになれば、もう大丈夫。ちょっと歯で穴を開けて中身をちゅうちゅう吸い出すのが大好きです。

商品では、コリコリした食感の実しか食べられませんけれどね。

渋柿が手に入るようでしたら、ポリ袋に焼酎を少し入れて、柿を入れ、密封しておいてください。樽柿と同じ原理で、タンニンが不溶化して渋くなくなります。

柿は基本的にすべて渋柿です。たまたま突然変異で甘い実がなるようになったものをみつけて、接ぎ木で増やしたのだったと思います。

たくさんの「渋味」体験の積み重ねの上に甘い実が発見されたことでしょう。

◆樽柿で思い出しましたが、戦後のもののない時期に、焼酎=エタノール(エチルアルコール)が高くて、安価な工業用のメタノール(メチルアルコール)で樽柿を仕込んで売った事件がありました。

メチルアルコールの毒性で失明した人が出たのだったと思います。「メチル柿事件」として有名です。

私のホームページに解説を載せてあります。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/biology/chptr_1/1-1-3/methanol.htm

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/biology/chptr_1/1-1-3/redox/meth_tox.htm

このあたりが参考になると思います。興味のある方はぜひご覧ください。

アリグモ

1013arigumo1 葉っぱの上にいました。

アリだ、と思いました。いつも脚の数を勘定しているわけじゃなし。

ただ、せわしなく歩き回ることの多いアリにしては、やけにじっとしたまま動かないなぁ、とは思ったのです。

そこで、ふっと息を吹きかけてみました。すると、糸を出して葉からぶら下がり下の葉に移動したのです。

そうかあ、おまえはアリグモだったのかぁ、と改めてじっくり見たわけです。

1013arigumo2 どうみたってアリですよね。

アリに擬態することのメリットがどういうものなのか、よくわかりません。

アリに紛れ込んでアリを食べるわけではないようです。

1013arigumo3 正面ショット。

ボケていてスミマセン。

これはクモの顔です。

大きな単眼。触肢。やっぱり君はアリグモなんだぁ、と納得。

この後すぐ、葉から飛びおりて去っていきました。

ススキ

1012susuki1

イネ科です。(当然か)

電車のすぐそばですから、「野原」みたいな写真は撮れません。

アップにして、背景をぼかすしかないですね。

1012susuki2 秋の陽射しに輝くススキの穂。

また、別のアングルも探してみたいと思っています。

ウスキツバメエダシャク(Part2)

1016usukitubameedasyaku1 この間のエダシャクのもっとちゃんとしたのがいたわよ、と妻がまた連れてきました。

右前翅の一部が欠けていますが、ほぼ完全な姿です。

後翅の先端部分の模様を見てください。この模様が「ツバメエダシャク」に特有の模様です。

ツバメエダシャクまで分かれば、私たち普通人としては十分です。

筋模様の他に、ひび割れのような模様も独特ですね。翅の茶色い縁取りもオシャレ。

1016usukitubameedasyaku2 腹側です。

ひび割れ風ではなく、点点模様になっていますね。

とってもきれいな蛾です。どうかごひいきに。

もちろん、鱗粉に毒なんてありません、安心してください。

ウスキツバメエダシャク(Part1)

1011usukitubameedasyaku1 妻が見つけて連れてきました。

一目でシャクガだということは分かります。幼虫が尺取り虫だ、というやつですね。

後翅の先端部分が、左右ともに欠けています。翅の筋模様が手掛かりですね。

1011usukitubameedasyaku2 ツバメエダシャクなんですが・・・。フトツバメエダシャクというのも似ていて・・・。

顔が褐色ですね。この色で、ウスキツバメエダシャクだろうということにします。

きれいな純白です。

1011usukitubameedasyaku3 顔のアップ。

蛾というだけで嫌う人もいるのですが、よく見れば美しいでしょ。触覚の根本付近には色の変化もあるようですね。芸が細かい。

実は、チョウとガは学問的には区別しません。同じ「目」なのです。どうか毛嫌いせずに付き合ってやってください。

幼虫の食草は、「イヌガヤ科、ブナ科、ニレ科、マメ科、モチノキ科、クロウメモドキ科、ツバキ科、スイカズラ科」だそうです。

http://www.jpmoth.org/Geometridae/Ennominae/Ourapteryx_nivea.html によります。)

この中では、マメ科、モチノキ科、ツバキ科、が我が家にはありますから、充分幼虫の育つ環境はあるようです。

クロアゲハ

1011kuroageha クロアゲハがルコウソウの花に吸蜜しにきました。

ズームレンズではないのでこんな写真しか撮れませんでした。

ちょっぴり残念。

でも、いろんなアゲハたちが舞ってくれるのは嬉しいことです。カラスアゲハや、ナガサキアゲハなんかも来てくれないかな。

クモのぬけがら(ササグモ??)

1011kumo1 ルコウソウのところで、クモのぬけがらを発見しました。

風に吹かれて揺れているので、写真はブレています。

そこで、壊さないように注意して糸を切り、室内に持ち込んでじっくり撮影しました。

1011kumo2 ティッシュペーパーに乗せて撮影。

これは腹側からの写真です。

4対の脚と大きな触肢がはっきり見えます。

クモの頭胸部(前体)は六つの体節からなっていますので、各体節に1対の付属肢があるのですから、付属肢の総数は12本なのです。そのうち、4対8本がいわゆる脚です。

後ろから4対が脚。その次の1対が触肢です。最前方の1対は鋏角(上顎)になっているのです。

上顎までは見えませんね。

もうひとつ、普段忘れていることがあります。クモの頭胸部(前体)と腹部(後体)は一体になっていて、太いままつながっているような気がしませんか?

実は、前体と後体は、アリやハチなどで見られるような、細い「腹柄」でつながっているのです。

抜けがらの写真をよく見ていただくと、細い腹柄が分かります。

1011kumo3 これは、茶色い紙の上に抜けがらを立たせた状態で撮った写真です。

腹柄がはっきり分かります。

前体の背中側が、カパッと取れたようになっています。ここから抜け出していったのでしょう。

1011kumo4 すこしアングルを変えてみました。

背中が開いているのがよくわかると思います。

1011kumo5 顔の部分のアップです。

口のようなのが、鋏角でしょう。

餌の昆虫を殺す毒が出る場所でもありますが、ヒトは巨大な生物ですから、普通はクモの毒が皮膚を破って注入されることはありません。

◆さて、この抜けがらを残したクモは何というクモなのでしょう?

私に分かるのは、脚にトゲがいっぱいあることです。その点ではササグモかな、とも思うのですが、全く確証はありません。

クモのぬけがらを見ること自体とても珍しいので、とっくりとご覧ください。

2008年10月21日 (火)

アラメヒゲブトハムシダマシ

1011aramehigebutohamusidamasi1 1011aramehigebutohamusidamasi2 1011aramehigebutohamusidamasi3 玄関脇のシュロチクの葉裏に挟まるようにくっついていました。

調べてみたら、多分、アラメヒゲブトハムシダマシ。

甲虫目>カブトムシ亜目>ゴミムシダマシ科>ハムシダマシ亜科>アラメヒゲブトハムシダマシ

なのだそうでして、めんどくさい名前をもらってしまいましたねぇ。

全身に点刻がある、と書いてありました。その辺が「粗目(めがあらい)」というのかなぁ。(確かではありません。)

どういう生態なのか、よくわかりません。植物食でしょうね、多分、と思いますが・・・。

セスジスズメの幼虫

1010sesujisuzume1 セスジスズメというスズメがの仲間の幼虫です。スズメガの幼虫たちの共通特徴である、尾端の「しっぽ」がかわいい。

先端が白いですね。

1010sesujisuzume2 これは頭部。

目玉模様なんだと思います。色を赤・黄などと使い分けて、とてもおしゃれだと思います。ビロードスズメのような「完璧な蛇」模様ではありませんが、一応ヘビっぽい擬態なんだと思います。

1010sesujisuzume3 これ、しっぽ。

付け根のあたりは黄色の模様、先端は白くして。

ね、オシャレでしょ。私はかわいいと思うんですけれど。

1010sesujisuzume4 下に曲げていた頭部を出してくれたところ。

ここまで伸ばすと、やっと口の辺りが見えてくるわけです。

一見したときの「頭」とは、イメージが大分違いますね。

うまく育ってくれるかどうか、自信はないですが、飼ってみましょう。

セイタカアワダチソウ

1010seitakaawadatisou1 キク科です。

外来植物ですね。1950年代から急激に増えたそうです。ということは、私の子ども時代にはもうあったはずなんですが、あまりはっきりした印象がありません。

1010seitakaawadatisou2 花粉がどうのこうのといわれたこともあったように思いますが、風媒花ではないので、派手に花粉が飛ぶことはありません。

キク科ですから、やはり舌状花と管状花で構成されています。

やがて白い綿毛で包まれますが、これが「泡立ち」の名前の由来らしいです。

今の季節、昆虫たちにとっては貴重な蜜源です。ハエやアブやハチやチョウがいっぱい群がっています。その一部分は後ほどご紹介できると思います。

ところで、セイタカアワダチソウでよく「アレロパシー(Allelopathy)」という言葉を聞きます。

「アレロ」は「アレルギー」の「アレル」と同根でしょう。「パシー」は「シンパシー」の「パシー」と同根です。

で、「他感作用」などと訳されます。植物が化学物質を使って行うある種の「コミュニケーション」ですね。アレロパシーは「いやじ」と同じことです。自分の縄張り宣言のようなものでしょう。

セイタカアワダチソウ自体が「連作障害」を起こしている、という話もありますが、どうなのでしょう?家の前のセイタカアワダチソウは元気です。

カタツムリ

1010katatumuri1 1010katatumuri2 見つかるとなると、見つかるものなんですねぇ。

カタツムリの成体をこのところ3、4匹夫婦でみつけました。

これは、殻の口を膜で覆って、乾燥に耐えている状態。ちょっと乾くとすぐこの状態になって身を守ります。

飼育ケースに入れたら増えてます。雌雄同体ですから、複数個体いれば生殖は可能です。

稚貝の状況なんかもいずれご報告するつもりでいます。

少し前には「このあたりではほぼ絶滅状態」と思っていましたが、いることはいるようです。増えてほしいな。

アカマンマの真っ赤な花?

1010inutaderukou 一瞬のとまどいです。

イヌタデに真っ赤な花?

背の低いルコウソウが、イヌタデの根元で花を咲かせたのでした。

とりあわせの「妙」ということで、笑ってやってください。

解析概論

2008.10.20付 朝日歌壇より

数学をかつて学びし名残にて『解析概論』一冊を残す:(岡谷市)茅野高子

なつかしい。高木貞治 著「解析概論」。

私の兄が、大学の理工学部生だったころ、この「解析概論」を買って、でも深入りはしなかったみたいでした。

5歳年下の私が理学部に入ったころ、この「解析概論」を譲り受けました。私も、登山道の入り口付近で、はるかな山頂を眺めて、あまり深入りすることなく終わりました。山の景色くらいは眺めたと言える程度です。

兄が亡くなって、しばらくたって、兄の息子も理工学部に合格して、お祝に「君の父さんから私へと引き継がれてきた本だよ」と、「解析概論」を渡しました。

その甥は、今、理工学部でなにやら仕事をしているようです。やっと「解析概論」が生きたのかな、と感慨深いものがあります。

数学をかじったことのある人ならだれでも知っている「解析概論」。ひょっとして、ダーウィンの「進化論」やファーブルの「昆虫記」みたいに、超有名なわりに読み通した人が少ないという本の仲間かもしれません。

秋日和

2008.10.20日付 朝日俳壇より

母さんと娘を呼んで秋日和:(群馬県)岡部いずみ
 稲畑汀子 評:娘一家と生活している作者の日常が描けた。娘を母さんと呼ぶ親しい雰囲気が伝わってくるのを秋日和という季題が語っている。

自分の子育て中は当然「母さん」と呼ばれたわけで、今、自分の娘を「母さん」と呼ぶことに軽い違和感を感じながら、いそいそと嬉しいのは、そこに「孫」がいるからですね。

「親しい雰囲気」というのはなんだかかえってよそよそしい。孫があればこそ、母と娘の言葉の逆転が生じるわけで、孫の存在に触れていない評に、ちょっぴり物足りなさを感じました。

誤ってクリック

2008.10.20日付 朝日歌壇より

誤りてクリックすればこほろぎの顔大写しわれにはホラー:(大阪市)末永純三

まさか、この「かかしさんの窓」じゃないですよね。コオロギは案山子庵雑記の方では載せたことがありますが。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/19th/sci_19.htm ここに、エンマコオロギやオカメコオロギの小さな写真が載っています。

崩彦俳歌倉を読みに来てくださった方が、昆虫の写真のサムネイルをクリックしてしまったのではないかと、ビックリしました。

「かかしさんの窓」もホラーではありうるわけで、ゴメンナサイ、そういう方はサムネイルをクリックしないでくださいね。

虫の好き嫌いははっきり分かれるからなぁ。よろしく。

2008年10月20日 (月)

(逆)飛行機雲(?)

1010hikoukigumo1 この写真をみても、単なる曇り空にしか見えないでしょ?

10月10日の写真です。低い雲が薄く広がっていました。そこへジェット機が飛んできたのです。

1012jettoki これは12日に撮った晴天の日のジェット機。羽田が比較的近いせいか、こういう風に低空を飛ぶジェット機が結構見られるのです。

上の最初の写真でも、こんなジェット機が雲の切れ間を飛んでいて、やがて雲の中に入ったのですね。

そうしたら、妙なことに気づいたのです。

最初の写真のコントラストなどを少し変えてお目にかけます。

1010hikoukigumo2 如何でしょう?

白い筋が縦に見えますよね。

さあこれはなんだろう?

話に聞く逆飛行機雲だろうか?それとも普通の飛行機雲を、薄い雲を透かして見るとこう見えるのだろうか?

分かりません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E6%A9%9F%E9%9B%B2 によりますと

消滅飛行機雲:空中に雲を描く飛行機雲とは逆に、雲が薄く広がる中を飛行機が通ると、雲が筋状になくなっていく。これは消滅飛行機雲(しょうめつひこうきぐも)または反対飛行機雲(はんたいひこうきぐも)と呼ばれる。発生原因は、飛行機の排出ガスの熱により大気中の水分が蒸発すること、乱気流により周囲の乾いた大気と混ざること、エンジン排気の粒子により水分が凍結し落下することの3つが挙げられる。

あまりくっきりはしませんが、逆飛行機雲=消滅飛行機雲を見たのではないか、とひそかに思っております。

ハエ

1010hae 1010hae1 ちょいと見かけたハエです。何の気なしに、横姿が撮れる、と撮ったののです。平均棍は写っているようですね。

ところで、このハエは何というハエだろう?

普段に見かけるハエのようでいて、なんだか違うんですね。

目が赤い、胸の背面が黒い、ハナバエなのか、イエバエなのか・・・。どっちかの仲間だろうと思うのですが、決められませんでした。

どの種類の昆虫でも深入りすると、やっかいなんですよねぇ。

http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/kyo/seibutsu/doubutsu/07hae/hanabaeka/type1/index.html

http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/kyo/seibutsu/doubutsu/07hae/hanabaeka/type1/index.html

この2枚を比べてみてください。私の戸惑いもお分かりいただけると思います。

(チョウセン)カマキリ

1009kamakiri1 1009kamakiri2 これはチョウセンカマキリです。ただ、ダツラ・メテルの時にもお話ししたように、朝鮮半島原産という意味でない限り、私はあまり朝鮮という言葉を使いたくないので、通常、この種類は「カマキリ」と呼んでいます。

カマの付け根のところをみるとオレンジ色ですね。これが見分けのポイントです。

この時期にメスのカマキリを見つけると、どうしても手元で産卵してほしくなって、連れてきちゃうんですね。

来たばかりの時ですから、まだ気性が荒く激しい。ちょっと興奮しているところです。

まぁまぁ、そう怒るなよ、と声をかけながら手へ渡ってもらい、飼育ケースに入らせます。我が家の家族たちは、みんな、カマキリたちの扱いはさすがにかなり上手なんです。キャリアです。

カマキリを飼育中は、バッタを見ると「あ、おいしそう」と思ってしまうし、シジミチョウを見ると「食いでがないなぁ」などと思ってしまうのです。カマキリ心理学講座でも始めますか

日常生活で見かけるカマキリは、オオカマキリ、カマキリ、ハラビロカマキリ、コカマキリの4種類が分かれば、充分だと思います。観察してみてください。

一列縦隊!

1009hoozukikamemusi1 ホオズキカメムシです。成虫と大きめの幼虫が一緒にいます。

狭い枝の上で樹液を吸っているので、当然「一列縦隊」にならざるを得ないのですが・・・。

一匹だけ反対を向いているのが可笑しい。へそ曲がりって大好きです。へそ曲がりのいない集団は不健全だ!と思っているかかしさんです。

1009hoozukikamemusi2

ここでは、成虫と若齢の幼虫が、背を向けあっています。どうしてこうなったのかなぁ?

イヌホウズキの枝の上での出来事でした。眺めているとなんだか楽しくなりました。

ハラビロカマキリ

1009harabiro1 1009harabiro4 ハラビロカマキリさんが卵塊を二つ作ってくれました。

どうか受精卵でありますように。来年の孵化シーズンを待ちましょう。

1009harabiro2 立派なお母さんの優しい表情です。

カマキリというと、激しい顔だと思っている方が多いのですが、飼育下でのカマキリは、人との付き合いの中で、餌を与えられていますし、顔つきが穏やかになるのです。

これは飼育してみると分かりますよ。

上の顔の写真の一部を大きくお目にかけます。

1009harabiro3 複眼が六角形の個眼の集まりであること、触覚の付け根の間に、3つの単眼があること、よく見えますね。

小学生なんかにぜひ見てもらいたい写真です。

虫たちの顔をじっくり観察できるようになると、虫への愛着もわいてきますものね。

強い虫、大きい虫、というような「力」に憧れるだけではなく、虫の「心」と接することができるようになるといいですね。

花のテーブル

1009kityou キチョウが蜜を吸っていました。

口を長~く伸ばしています。

ふと見ると

1009kityoumitubati 同じテーブルでミツバチも吸蜜中。

右上の方に写っています。

今の時期、花が減ってきて、集まる昆虫は多種多様。アブやハチやチョウなど、入り乱れています。

1009mitubati ミツバチの方は蜜を胃にためると同時に、花粉を採取して巣に持ち帰ります。

花粉って、こうやって集めると、きれいな色ですねぇ。オレンジがかった濃い黄色。

夏は昼ごろは日差しがきつすぎましたが、今は、朝は寒くて動けずに、昼ごろになると一斉に仕事に飛び出してきます。

昆虫の写真をブログのメインに使っている私としては、今が、今シーズンの終幕近く。

いっぱい楽しませてもらっています。

2008年10月17日 (金)

アキアカネ

1009akiakane1 アカトンボが電線に並んでとまっていました。10月9日、曇った朝でした。

1009akiakane2 私のレンズでは、このくらいが限度。

空が背景ですから、逆光ですし、かろうじて赤い色が見えるくらいです。

翅を下げて、休息中です。

10月12日、昼。好天。

1012akatonbo  線路の柵の柱にとまっているところです。

お日さまに背中を向けて日光浴。

影で分かると思います。

新井裕 著、「トンボ入門」、どうぶつ社 という本によりますと、アキアカネは腹部のみが赤くなり、頭部、胸部は赤くならない、とありました。

まさしくこの写真はアキアカネですね。

そっと前へ回り込んでお顔拝見。

1012akatonbo2羽の前の縁に飴色というのかオレンジというのか「縁紋」というのがくっきり見えます。

やはりトンボの眼は大きいですね。

捕まえて産卵するかどうか試してみようかとも思いましたが、やめました。ちゃんと準備ができていないと、トンボに申し訳ないですものね。

マダラカマドウマ

1008madarakamadouma1 トイレにマダラカマドウマがいました。

かまど‐うま【竈馬】バッタ目カマドウマ科の昆虫の総称。またその一種。キリギリスやコオロギに近縁であるが、翅はない。後肢は強く、跳躍に適し、触角は非常に長い。暗所に群棲し、台所などにも出る。オカマコオロギ。ベンジョコオロギ。[広辞苑第五版]

まったく、ベンジョコオロギになってしまいます。餌があるわけでもなし、どこからどうやって迷い込んだものか・・・。捕まえて外へ出してやろうと思うわけですが、これ、手で捕まえると、まず確実に脚が取れてしまいます。それではかわいそう。常備してあるプラスチックケースに入ってもらって、記念写真を撮ってから落ち葉の多いところへ逃がしてやりました。

とにかく、触覚の長い昆虫です。この個体は産卵管がありますからもちろんメス。

1008madarakamadouma2 顔の辺りが見えるような写真です。

嫌われがちな昆虫ですが、よくみればかわいいと思いますよ。

さっきも言ったように、脚が取れやすくて、とても華奢。ひっそり生きている昆虫ですから嫌わないでくださいね。

1008madarakamadouma3 ところで、撮影中にちょっと面白い行動に気づきました。

この写真で、長い触角が交差していますね。これは偶然そうなったのではないのです。

自ら、触覚を交差させ、すり合わせているのです。根本から先の方へ、す~っと交差したポイントをずらしていきます。なんでしょう?

ハエは手を擦る脚を擦る。カマキリも口で触覚やカマや脚を掃除します。

なにかそういう意味のある行動なのでしょうか?掃除?

それとも、人間に聞こえないだけで、何かの音を出している?

分かりませんが、初めて見る行動でした。さして落ち着いた状況にあるというわけではないのにとる行動です。どんな意味があるのかなぁ?

クモの巣

1016kumonosu1 前の記事と同じクモの巣です。

時間が4時近く、太陽が大分低くなってきていました。風があって絶え間なく巣網は動いていました。

斜めに差し込んでくる木漏れ日がクモの巣に当たって、屈折し、色がついて見えました。(肉眼では)。

写真上の方の横糸がオレンジ色に光っているのはその色でして、決して、太陽光が夕日の赤い色をしていたのではないのです。白色光が、クモの糸をプリズムにして分光されて見える色です。

見る位置を少し上下させると、肉眼では色が変化して見えましたが、そこまで写真には撮れませんでした。

写真左の方、縦糸に光が当たって、しかもピンボケでぶれていますが、縞模様が見えます。別の写真で見てみましょう。

1016kumonosu2 ピンボケの具合が、よりひどいのですが、こういう写真ではかえって、面白いか、と撮ってみたものです。

この写真の縦糸の縞模様をはっきりみたいですね。

1016kumonosu3 こうです。

虹とまではいかないのですが、木漏れ日のスポット光が分光されると同時に、景色の明暗も縞模様になって見えているのでしょう。

1016kumonosu4 もっとぶれてます。

この写真の中の2か所を大きな画像でお目にかけます。

まず、中央付近の明るいオレンジ色のそば。

1016kumonosu5 これは完全に分光による一種の虹ですね。

カメラのレンズ側のせいではありません。クモの糸がプリズムとして働いた結果です。

1016kumonosu6 景色の明暗を含む縞模様です。

こんな写り方をするとは思っていませんでした。

クモの糸は、透明で粘っこいので、光の屈折率も結構大きいのでしょう。

なかなか面白いものを見ました。

クモの巣

1008ginmekkigomigumo これはギンメッキゴミグモの幼体の巣網だと思います。

直径は30cmもない小さな網ですが、完璧な作りです。

肝心なクモがぼやけてしまって申し訳ないことですが、ここで見ていただきたいのは、巣糸の輝きなんです。

光の角度のせいなのですが、クモを中心とする一定の範囲内は暗くて糸がよく見えません。

その外側はくっきり糸が写っています。また、クモの位置を頂点とするような放物線形に縦糸の光が並んでいます。

私の意図としてはクモを画面の中央にとらえています。カメラ上部のフラッシュの光なのかなぁ。それとも、レンズ中心と、クモの糸のなす角度みたいなものが見えているのかなぁ。

思いがけず、面白い光が見られました。

このごろ、あちこちでこのギンメッキゴミグモの巣を見かけます。成虫まで成長するゆとりはあるのでしょうか?気になります。

2008年10月16日 (木)

ヤマトシジミ

1008yamatosijimi1 1008yamatosijimi2 せっかくですから、いつも絶え間なく姿を見せてくれているヤマトシジミさんにも登場してもらいましょう。

陽の当たる葉の上ですので、露出が決めやすい。じっくり時間をかけて撮影できる条件でした。で

くっきりした画像になったと思います。

絵本に「いいおかお」というのがありました。

あれに付け加えたいですね。いろいろな虫さんたちの「いいおかお」。

シジミチョウさんも、いいおかお。

ベニシジミ

1008benisijimi1 雨の朝でした。

車を出そうとして、ドアを開けようとしたとたん、えっ。

ガラス窓に、ベニシジミがとまっていました。久しぶりです、ベニシジミを見るのは。寒くてあまり動けなくてとまっていたのでしょう。

きれいですねぇ。雨のしずくがまたコロンとしていていい雰囲気。

触覚の先端も赤いみたいですね。こんなにちゃんと見たのは初めてです。

1008benisijimi2 ちょっとナルシスティックな雰囲気で・・・鏡よ鏡よ鏡さん・・・

車のウインドウですから、ガラスが厚いので、手前の表面と向こう側の内面と、二重の反射になっているのも見えます。

正面ショットを狙ったのですが、ちょっと明るすぎました。

1008benisijimi3 時間がなくて取り直しもできず、このくらいの画像で勘弁してください。

どこでだれに会うか、全くもって一期一会です。

センチニクバエ

1007sentinikubae 嫌いな方はサムネイルをクリックしないでください。

このところ、ハエを見ると、平均棍は写らないかな、と横からのショットを狙うことが多いのです。

この写真でも平均棍は写っていますが、それよりびっくりしたのは、腹部の模様!

こんな「雲形」のような模様がついていたんでしたっけぇ!パソコンで拡大して見て、ビックリです。

ハエは美しい!と声を大にして叫びたいですね。

雪隠肉蝿の新たな側面を見ました。

ササグモ

1007sasagumo 1015husenkazurasasagumo ササグモは私のこのブログでは常連ですが、今の季節、またあちこちで見かけるんです。

左はオシロイバナの実の上にいたもの。

右はフウセンカズラの青いぽわぽわの実の上にいたもの。

なんかこう、私は好きなんですね、こういう風情が。

やぁ、元気?というような気分で、すぐシャッターを切ってしまう。

フウセンカズラの花の小ささに比して、この「風船」はやたらと大きいですね。面白い実だ。

オオカマキリ

1007ookamakiri1 妻がお腹の大きなオオカマキリを捕まえてきました。

線路の方に入っていたとかで、危ないから連れてきた、ということです。

大きいですよぉ。

1007ookamakiri2 ちょっといつもとは違う顔つきになっていますね。

多分、透明なプラスチックの蓋によってフラッシュの光が散乱されたためにこんな風に写ったのではないかと思います。単眼もくっきり写っていますね。

それにしても、なんだか優しい眼差しのような気もします。気のせいでしょうか。

ムラサキシラホシカメムシ

1007murasakisirahosikamemusi ムラサキシラホシカメムシがとまっているのは、イヌタデ=アカマンマの花です。

とても小さなカメムシであることがお分かり頂けると思います。

複眼がすごく飛び出していてかわいいです。

1007murasakisirahosikamemusi2 背中の模様をとろうと花ごと引き寄せたら、手に飛び乗ってきました。

こんな背中だよ、と見せてくれました。

人の顔のようです。

カメムシも、よく臭いというのですが、今までのところ一度も臭かった経験はありません。たぶん、私はヒトではなくカカシになりきってしまったのでしょう。

2008年10月15日 (水)

不明

1007humei こんなぼんやりした写真1枚ですみません。10月7日撮影です。

すぐに飛び去ったので、これ1枚。

アブ?ハエ?ヤドリバエ?体長は2~3mm。ごく小さな昆虫です。

さらに、1015humei 10月15日、今日、こんなのが視野をよぎっていきました。

コンクリートの柵を、すごい速さで走って行って、最後はパッと飛んでいきました。印象はとにかく「赤青の虫」です。

ブレてるボケてる。写真とは言い難いですが、こんな色合いの昆虫っていましたっけ?それだけお聞きしたいのです。なお、写真で、下が頭です。

エビガラスズメ

1006ebigarasuzume エビガラスズメの終齢幼虫が猛烈な勢いでアサガオの葉を食べているところです。

植物の葉というのは、やはり栄養分は少ないのですよね。ですから、とにかくひたすら食べて、いっぱい糞をして、少ない栄養を何とか摂ろうと懸命です。

1007ebigarasuzume これ、糞です。

大きなウンチをいっぱいします。

屋外で、木の下に、なにかコロコロしたものが転がっているようでしたら、たいていはその木に「何かの幼虫」がいるはずです。

注意してみてください。頑張り屋さんの大食漢がいますよ。

エゾカタビロオサムシ

1005ezokatabiroosamusi1 10月5日の撮影です。日曜日は具合の悪くない限りプールへ行って1時間ほど泳いでくるのですが、そのプールの建物の前の地面に落ちていました。いつも携帯しているコンパクトデジカメでの撮影です。

弱ってはいましたが、生きていました。プールのそばに神社があり、プールの建物の前には街灯があるので、おそらく夜、明かりに誘われてやってきたのでしょう。

1005ezokatabiroosamusi2 手に取ってみると、かなり強い力で押してきます。

硬い翅(前翅)の模様が美しい。

焦げ茶っぽい渋い地に、金色の鋲をうったみたい。実に印象的な模様です。

後翅が少しはみ出して見えます。これが実は私の混乱のもと。

1005ezokatabiroosamusi3 先に頭を見ておきましょう。

これはどう見ても肉食性ですよね。すごいアゴだ。

アゴの付け根の間に単眼がちょっと光って見えます。

さて、これは何という名前なのか?

一見して、オサムシの仲間かな、とは思ったのです。でも、私の知識ではオサムシの仲間の後翅は退化していて飛べない、と思っていました。ですから、夜間に飛んできたらしいこの虫を、同定することができずに放置していました。

ネットで調べても思うような候補が上がってこない。困って、書籍の図鑑にチャレンジ。

古いんですよ、私が中学生の時に買った「原色日本昆虫図鑑」 です。保育社、昭和37年4月1日 改訂九刷発行、というのです。奥付には昭和37年9月1日購入と書きこんでありました。1300円もしたのです!バス料金が10円か15円くらいの時代に、1300円、小遣いためて、決死の思いで買い込んだ図鑑です。

図版全部を見てやろうと、心構えしてページを繰り始めて、オサムシの項で「あっ、これっ」とすぐに目にとまったのが

エゾカタビロオサムシ

でした。「エゾ」でいいのかなぁ、と読むと、分布範囲には本州もはいってますから大丈夫でしょう。

エゾカタビロオサムシオサムシで検索すると、よかった、確かに間違っていません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%82%B7
によりますと

・・・

カタビロオサムシ亜族に属する種以外の大半のオサムシの後翅は小さくなるか、しばしば糸状になるまで退化して飛ぶ事はできない。

・・・

カタビロオサムシ亜族のオサムシは多くのオサムシ類と異なり、地表のみでなく樹上をも活動範囲としてチョウやガの幼虫を専門に捕食するのみならず、飛翔によって広域移動をすることが知られる。

畑などでヨトウムシなどを捕食しているエゾカタビロオサムシが、夜間郊外の住宅地の街灯に飛来しているのを見ることも稀ではない。

・・・

なるほどねぇ。そうなんだぁ。オサムシでも飛ぶやつがいるんですねぇ。大した量の知識でもないのに、その固定観念でものをとらえてはいけないのでした。

印象は、ひたすらきれいな昆虫、です。

なお、手に取ってしばらく写真をとったのですが、何も匂いをつけられるというようなことはありませんでした。興奮させなければ大丈夫です。

撮影後、プールの建物脇の植え込みの下のほうに放してやりました。駐車場もそばですからさまよってひかれてはかわいそう。穏やかに土に還ってください、と念じました。

ウラナミシジミ

1011uranamisijimi これは解説しません。絵として見てください。

オオアレチノギクにとまるウラナミシジミです。

何となく様になっているでしょ。

お気に入りのショットです。

ウラナミシジミ

1004uranamisijimi2 これは、ウラナミシジミのオスだと思います。花はブルーサルビア。

翅を開ききったところが見られなかったので、確実とはいえませんが、青い領域が翅の周辺近くまで広がっているように思われるからです。

1004uranamisijimi1 ウラナミシジミの擬態にだまされてみてください。

左上が頭で、眼があり、触覚もあるという主張をしているのだそうです。

そう見えましたか?

1004uranamisijimi3 おいしそうでしょう。

別に、本当に上を向いているわけではないのですが、頭部の構造や、胸の形の関係で、いかにも胸を張って、ゴクゴク蜜を飲んでいるようです。

オスもメスもちゃんといるのに、この地では成虫でも、蛹でも、卵でも越冬不能で、もうすぐ死滅することになっています。

天気の良い暖かい日、思いっきり陽射しのぬくもりを楽しんでください。

タマスダレ

1004tamasudare 今頃に花をつけるんでしたっけ?

真夏の盛りには花を見ていなかったので、もう終わったと思っていました。

清楚な花です。

たま‐すだれ【玉簾・珠簾】ヒガンバナ科の多年草。高さ約30センチメートル。葉は細長く円柱状。地下に鱗茎。晩夏、花茎を出し、白色花をつける。南アメリカ原産。観賞用に栽培。園芸上は属名のゼフィランサスで呼ばれる。四季水仙。[広辞苑第五版]

ヒガンバナ科なんですね。オシベが6本、真ん中からメシベが出ているようですが、傾いて中央にはいない、という感じです。

まさかこれを食べようという人はいないと思いますが、鱗茎部に毒があるようです。ヒガンバナと同じ毒ですね。猛毒というほどではないようですが、食べないでください。

シロスジクチキヒメバチ

1003sirosujikutikihimebati1 夾竹桃の葉の上で休んでいるところを見かけました。

ものすごい産卵管ですね。ヒメバチの仲間は「寄生バチ」が多いので、このシロスジクチキヒメバチも、何かの昆虫に寄生するのでしょうが、相手が何なのか、調べてみてもよくわかりませんでした。

白筋朽木姫蜂だと思います。

1003sirosujikutikihimebati2 1003sirosujikutikihimebati3 腹部の白い筋が名前の由来でしょう。

しっかしまぁ、どう見てのものすごい産卵管です。

http://www.geocities.jp/akanomanma/80731.html

↑ここにシロスジクチキヒメバチが樹皮に産卵管をつきたてて産卵している写真があります。

木の中にいる何かの幼虫を外側から探り当てて、産卵管を突き立てて産卵するのでしょう。

それにしても、この産卵管で刺されたら痛そうだなぁ。人を刺すハチでなくてよかったですね。

ちなみに、ミツバチなどの「刺す針」は産卵管の変化したものです。ご存知の通り、働きバチはみんなメスですから、みんな針を持っているわけです。

2008年10月14日 (火)

四季成り苺

1003sikinariitigo1 1003sikinariitigo2 四季成り苺です。今や、「野苺」状態で庭で咲き稔っています。

ナメクジさんになめられるまえに食べようかなぁ、と思っていて、妻に、イチゴがなってたよといったら、もう食べちゃったわよ。

う~む、早い。

今度は負けないようにしよう。

ルリマルノミハムシ

1003rurimarunomihamusi1 1003rurimarunomihamusi2 これ、ベゴニアの花びらの上にいるところです。

白い花びらに黒い虫、写真が撮りにくい典型ですね。

完全な黒ではなく、青味がかっています。

3~4mmの小さな昆虫です。こういう小さな昆虫は、少し敬遠気味なんですけどね。種を特定するのが大変なんですよねぇ。(深入りしたくない。)

私には新種を発見したいなんて野望はないのでして、できれば比較的大きな、日常生活でよくお目にかかる普通種の、いろいろな姿を見る、というのが好きなんです。

でもまぁ、なんとか見られる写真にはなったのでお目にかけました。

(ヒメカノコテントウ)訂正:正→ヒメカメノコテントウ

1003himekanokotentou 以下の記事でヒメカノコテントウとなっているのは、筆者の間違いで、正しくは「ヒメカメノコテントウ」です。お詫びして訂正します。

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このごろ、なんだか、ナミテントウの模様の多様さに慣れてしまって、テントウムシに鈍感になってしまっています。反省しなくっちゃ。

このテントウムシはヒメカノコテントウヒメカメノコテントウです。ナミテントウではないようだしなぁ、と一応スナップしておいて、調べたら、まだ紹介したことのないテントウムシでした。もっとちゃんといろんなアングルを狙えばよかったと、後の悔いは先に立たない、のでありました。

このヒメカノコテントウヒメカメノコテントウも幼虫成虫ともにアブラムシを食べます。庭で見かけたら大事にしてやってください。

蛇足:和菓子に「鹿の子」というのがありますよね。甘~~い、の。小豆がついていたり。

私、自慢じゃないですけど、和菓子は全くダメ。小豆はもう徹底的にダメ。子どものころ、母が甘いものをおやつに買ってくると、美味しいから食べるんですが、もうその日は、夕食が食べられなくなるんですね。胃が酸っぱくなってしまって、もうダメ。

今でも、和菓子を見るとため息が出ます。

テントウムシさんは、甘くないからため息でません。仲良くしましょう。

一病息災

2008.10.13付 朝日俳壇より

一病を持ちて爽やかなりし人:(今治市)横田青天子
 大串章 評:一病を持ちながら、湿っぽいところは少しもなかった。「爽やかなりし人」に低頭あるのみ。

この句の鑑賞は、おそらく大串さんの評にあるようなものになるのでしょう。

障害者である私の眼からみると、少々異議があります。それはちょっと特殊なことかもしれません。でも、まぁ、聞いてやってください。

一病を持っていたら、湿っぽくなければなりませんか?一病を持つことと、爽やかであることは両立しがたいことですか?

健常者というものは障害者から見るとずいぶん「傲慢」なものです。障害者というものは、健常者が作った「障害」に引っかかりやすい人のことです。私たちが「どっこいしょ」と越えなければならない「障害」を、無意識にまたぎ越して行ってしまいます。どちらが「障害」を持っているのですか?あなた方が障害をつくるから、私たちは「どっこいしょ」なんですよ。

いわゆる「健常者」こそが「真の意味での障害者なのだ」と私は少々過激に表現します。

同じようなことです。無病息災な人は「傲慢」です。病というものをよく知っているはずの医者だって自分が大病して初めて患者の気持ちがわかった、などというくらいのものです。

一病があるからこそ、健康というものがよくわかり、病というものがよくわかる。

一病があるからこそ、妙な健康神話から自由になって爽やかでありうる。

一病があるのに、ではなく一病があるからこそ、なのではないでしょうか?

病気を抱えるということは決してネガティブな価値ではありません。病気を持つということはポジティブな価値なのであって、病気をすることによって心豊かな人生が送れるようになるのです。健康な人はかわいそうだ、健康に引きずられて、心貧しい人生になりがちだ、と私は思います。

健康な人は元気がいいから「競いたがる」。勝った負けたと、心に苦しみを生じる。一病持ちも、障害者も「競う」という価値から自然と身を引き離していられる。なんでわざわざオリンピックだ、パラリンピックだと騒ぐのやら。

一病抱えて、障害抱えて、豊かな人生を楽しみませんか。

イギリス海岸

2008.10.13付 朝日俳壇より

天高しイギリス海岸この辺り:(奥州市)重茂淳彦

これは私の無知無学をさらけ出すことになるのかもしれません。

実は、「イギリス海岸」なるものをつい最近まで知らなかったのです。今年の9月21日の朝日新聞の記事で初めて知識を得たものです。

「賢治命名「イギリス海岸」姿見せて 命日にダム放流制限」こういうタイトルの記事でした。

 宮沢賢治の作品の舞台として知られ北上川河畔にある国の名勝「イギリス海岸」(岩手県花巻市)が、ここ10年来、川底に水没してほとんど姿を見せなくなり、訪れる賢治ファンをがっかりさせている。このため国土交通省は観賞できるよう北上川の三つのダムの放流を一時的に最小限まで絞り込む方針を決めた。賢治の命日の21日に実施される。
 イギリス海岸は賢治ゆかりの場所として、毎年、全国から多くのファンや観光客が訪れている。しかし、最近では10年ほど前の干ばつの時に姿を見せたぐらいだという。
 洪水調節や発電、灌漑(かんがい)のため北上川上流に造られた複数のダムによって、水位が高位で安定するようになったことが、原因の一つと考えられている。
 関係するダムは四十四田(盛岡市)、御所(同)、田瀬(花巻市)の3ダム。国交省北上川ダム統合管理事務所では、賢治関係者や地元花巻市からの要望に、2年がかりで放流調整を検討、稲刈りの時期で農業用水が多く必要とされず、賢治の命日で「賢治祭」が開かれる21日を選んで実施すると決めた。発電に関係する岩手県企業局や電源開発にも了解を得た。
 放流調整は20日午後9時~21日午前9時まで。3ダムを合わせた最大毎秒150トンの放流量を最小限の34トンまでに絞る。管理事務所では過去のデータを分析、海岸は付近の流量が50トン以下に落ちた場合、姿を現すと見ている。
 放流水がダムから到達するには12~13時間かかり、21日午前中には久しぶりに海岸が顔をのぞかせそうだ。
 管理事務所の葛西敏彦所長(55)は「イギリス海岸は北上川の宝。成功したら毎年実施したい」と話している。
 地元で長年、海岸を撮影し続けている吉田精美さん(79)は「もう見えないとあきらめていた。うれしいプレゼントです」と喜んでいる。(但木汎)
 〈イギリス海岸〉 北上川と猿ケ石川の合流点に位置し、日が照るとイギリスのドーバー海峡の白亜の海岸に似て、岩が乾いて真っ白に見えることから賢治が命名した。太古の地層で炭化したクルミの実や獣類の足跡の化石が見つかっている。賢治は花巻農学校教員時代にしばしば生徒たちと訪れ、その時の模様を随筆風短編「イギリス海岸」に描いた。海岸のイメージは「銀河鉄道の夜」を始め多くの作品に影響を与えたと見られている。06年に国の名勝「イーハトーブの風景地」に指定。

昔、体がまだ頑丈で、旅行マニアに近い旅行をして歩いたとき、賢治ゆかりの地を見に行ったことがあるのですが、「イギリス海岸」は知りませんでした。お~恥ずかし。

賢治ファンの方々はとっくにご存じのことだったでしょうが、参考までに。

亀の産卵

2008.10.13付 朝日俳壇より

亀の子を迎ふる汐のさして来る:(南相馬市)山崎秀夫
 長谷川櫂 評:砂浜で卵からかえった海亀の子を迎えるように潮が満ちてくる。大いなる自然のめぐりを詠む一句。

母亀は、大潮の夜に上陸して産卵すると聞いています。産んだ卵に海水がかかっては卵は孵化できません。大潮の日に上陸して少し海岸の奥に産卵すれば、海水が上がってきて卵を濡らすということがない、という智恵なのでしょう。

孵化した子亀は、まず一気に沖へと遠ざかって行き、危険の多い海岸を離れていきます。

孵化した亀の子を海に放流する催しがよくありますが、孵化後、短期間とはいえ飼育することになります。これは、亀にとってはあまりよいこととはいえませんので、自然に任せてやったほうがよいのではないでしょうか。

蛇足:よくマスコミで、産卵中の母亀が「産みの苦しみの涙を流す」というようなシーンを流します(最近はは減ったかな)。あれは、涙ではありません。体内の塩分を排出する「塩類腺」という排出器官がちょうど目のところにあって、涙のように見えるだけです。人間の感傷に引きつけて物事を見ないようにしたいものです。

鳥にも塩類腺があって、くちばしからぽたぽた落ちます。魚を食べるときに余分に摂取した塩分を捨てているのです。

虫の音

2008.10.13付 朝日俳壇より

虫の音に取り囲まれてしまひたる:(盛岡市)浅利清香

虫の音に包まれ星を仰ぎをり:(芦屋市)田中節夫

虫時雨という季語もありますが、このように「囲まれ」「包まれ」ている、というのはより身に迫る表現ですね。

これも、虫が鳴きはじめたな、秋か、と感じたすぐ後に、わっと虫の音に囲まれてしまって、一挙に秋に浸ってしまうのですよね。

子どものころ、コオロギやスズムシを飼育しました。知識として、翅をこすり合わせて音を出し、羽がそれを大きく広げてくれる、と、知ってはいても、羽を立てて鳴く姿を実際に眺めるのは感動的だったことを思い出します。

蛇足:私たちが遠くからでも聞こえるほどの音量で虫たちは鳴いていて、自分自身はその音がうるさくないのでしょうか?

実は、音が出る瞬間は、自分の耳の(脚にあるというやつです)感度を、自ら落とすことができるのだそうですよ。耳栓をしながら鳴いているようなものですね。

2008.10.13付 朝日俳壇より

突然に秋深まってゐる朝:(岡山市)伴明子

いくらでも眠れるようになつて秋:(京都府)重田和子
 長谷川櫂 評:寝苦しい夏が去って、いつしか秋。安らかに眠れるのがいちばんうれしい。

「いつしか秋」というよりも、最初の句にあるように「突然の秋」というほうが、私の実感です。

朝、目覚めてみたら、「え、もう朝なの?」という感覚が生じる日、「ああ、それほどに夏の眠りは浅かったのか」と振り返って、秋をある朝、実感します。

夏バテ、というのは、このような秋の訪れとともに感じられるのではありませんか?

暑い盛りには体は精一杯頑張っている、そのような頑張りが不要になったとき、突然疲労感に襲われることがあります。私は夏バテというのは秋に来るものだと思っています。

夕立のプール

2008.10.13付 朝日俳壇より

泳ぎをるプールに夕立ち来たりけり:(埼玉県)村山僴
 長谷川櫂 評:泳いでいる最中にざっと振り出してプールの面を叩く夕立ち。みんな上がってしまっても一人、悠然と泳いでいる人がいる。

この句を読んだだけでは「一人、悠然と泳いでいる人がいる」という光景は見えてきません。

もし詞書でもあって、「夕立のなか泳ぎ続ける人一人」とかあったのなら、そういうことを書き添えてほしかったと思います。

私の個人的な鑑賞はそうではないのです。私自身はプールで夕立にあったことはありません。海で泳いでいて、夕立にあったことはあります。泳いでいるのですから、全身ずぶぬれであるにもかかわらず、頭上から降り注ぐ雨が「妙に頭を濡らす」という気分にさせられます。

これ以上濡れることはないにもかかわらず、なんだか早く上がらなくっちゃ、という焦りを覚えたことを思い出します。(海岸に脱ぎ捨てた服が濡れてしまうからでもあるのですが。)

そんなことを思いながらこの句を読むと、プールの中で濡れているにもかかわらず、夕立に驚きあわてて上がって雨を避ける人の心理が詠み込まれている、と感じられます。

詞書は付録。詩歌の鑑賞は(芸術作品の鑑賞は)すべからく、作品そのものとの対峙から生まれるべきです。

作品のみを介して、鑑賞者は作者と向き合うべきだと考えています。

モンキチョウ

2008.10.13付 朝日歌壇より

遮断機が上がり我とモンキチョウ風に押されて踏み切り渡る:(広島市)大堂洋子

電車が通過していった後は強い風が巻きこまれていきます。ふと、モンキチョウと一緒に踏切へ吸い込まれたのでしょうか。

電車の線路が近い所に住んでいるものですから、電車の通過時の昆虫たちの振る舞いはよく目にすることになります。ふわふわ頼りないようでいて、チョウは風圧で押しのけられるので、電車にぶつかることはないようです。トンボは高速で動く物体との距離感や風のあしらいなどに長けてるようです。

人は、風よりも、電車の通過の動きに「引き込まれる」ような感じを受けることがありますね。雨で増水した川を見ていると、吸いこまれてしまいそうな危うさを覚えますが、そんな感じが踏切でもします。

モンキチョウは、ひらひらと舞うように飛びますね。たいていのチョウはそうです。アオスジアゲハは「切る」ような直線的な飛び方ができます。

ツマグロヒョウモンはチョウとしては珍しく「ソアリング」をよくやります。羽を開いたまま、羽ばたかず、風に乗っていたり、向かい風をうまく受けてふわ~っと高度を上げたり、もし見かけたら観察してください。チョウのソアリングも結構ダイナミックで面白いものです。

ジャスミン

2008.10.13付 朝日歌壇より

ジャスミンにヒメアカタテハ止(とど)まりてやがてキアゲハ、クマバチも来る:(調布市)長山弘

ヒメアカタテハがどんなチョウか、知りたい方は、下のサイトが穏やかでいいでしょう。

http://www.insects.jp/kon-tyohimeaka.htm

おだやかで、といったのは、幼虫は結構すごい格好ですので、見たくない方もいらっしゃるでしょうから、成虫の美しい姿だけ、ご覧いただけます。

色彩豊かな、視覚的な歌ですね。秋も深まっていく季節、花も少なくなっていきますので、今も咲く花はチョウやハチ、アブなどには重要で人気があります。

蜜を吸いに来ている昆虫たちはまず人間に危害を加えたりはしませんので、静かに見守ってあげてください。目の前で、美しい姿を楽しませてくれます。

キアゲハ

2008.10.13付 朝日歌壇より

よく見れば青虫かはゆき目を持ちて無心に我のパセリを食めり:(徳島市)上田由美子

多分この青虫は「キアゲハの幼虫」ですね。「青」とはいっても、柑橘類にくる「(ナミ)アゲハ」のようにべったりと青いのではなく、青(青緑、黄緑)と黒の横縞模様でしょう、きっと。

上田さんが、側単眼までご覧になったのかどうかはよくわかりません。きゅっと曲げた頭部の両脇に眼のような黒い模様があるし・・・。

蛹になったかな?羽化が見られるといいですね、と、私は虫を詠んだ歌があるとすぐにうれしくなってしまうたちなのでした。

2008.10.13付 朝日歌壇より

なぜこうもひっくり返って腹みせる猫じゃないんだ君は掃除機:(仙台市)坂本捷子

紙面を見て、眼が活字をなでた瞬間は、「おまえなぁ、肉食動物のくせして、そんなに無防備に腹なんか見せてていいのかぁ?」という歌だと直感的には思ったのです。

ところが、読んでみて笑いましたね。掃除機なんだ、相手は。確かにね、掃除機を引き連れて歩くと、よく思いがけないところでひっくり返る。駄々っ子でもあるまいし。

猫に見立てたのはおかしかったです。さっそく妻に読み聞かせて、二人で笑いました。我が家の猫も、よくひっくり返って、「撫でてぇ~」と叫んでおります。

楽しい歌に出会いました。

1013neko

見覚へのあるなとわれを振り返る隣の猫の遠出に出会う:(岡谷市)岩田正恭

いえ、この猫と私は「知り合い」ではありません。散歩中に出会った猫です。

別に逃げるでもなく、「このじいさんは誰だ?」と見ておりましたので、一枚パチリ。

我が家の外猫も、時々、家から離れたところで顔を合わせることもあります。車で帰ってきてバックで家へ近付いていくとき、バックミラーに猫がいて、「お、帰ってきたぞ」と庭の中へ走り込んで行くのが見えることもあります。そういうときは空腹で、いつもの場所でご飯を待っていますね。

猫との交流というのは不思議なものです。犬のように「遊んでぇ」とやってくることはまずないですが、なんとなくつかず離れず、お付き合いが続きます。

別件:上の写真で意図せずに写り込んでしまったのですが、猫の頭上の貼り紙には、「犬の糞は飼い主が始末しましょう。大田区」と書いてあるのです。

「この貼り紙が目に入らぬか。」とこの猫ちゃんは主張しているのではないでしょうか?

2008年10月10日 (金)

徒労への誠実

前の記事で「果てしもない徒労」というような言葉を書いていて、頭の中をよぎっていった思いがありまして、新たに稿を起しました。

◆宇尾淳子 著「昆虫からの贈り物 ある生物学者の一代記」、蒼樹書房、1995年刊

この本は、これから引用する部分も含めて、教師として生徒に語りかける絶好の読み物として、繰り返し使わせていただいた本です。

宇尾さんは「ゴキブリの女王」という尊称を奉られたような生物学者で、ゴキブリの生物時計の研究などで有名です。

いくつかの引用をお目にかけます。説明はしません。

★第十三章は「ヒトとゴキブリが握手する」という題です。(そもそもこの本の表紙絵が、ヒトとゴキブリが握手している絵なのです。)

昆虫もヒトも生物学的大綱においては同じ。

★終章「残照」

 かつて重篤の結核から奇蹟的によみがえった夫にとって、その後の人生は”もうけもの”の感が深かったらしい。右肺の機能が殆どなく、ストレプトマイシンの副作用による難聴、その後は高血圧、心臓病、前立腺肥大などなど、体中いたるところに病を持ちながら、健常者も顔負けなほど激しく生命を燃やし続けた。彼は建前抜きの本音だけを、内でも外でも押し通した信念の男であった。あれほどナンギで、かつ魅力的な人物は他にはいないであろう。

私達夫婦の京大時代からの友人、小澤壽一郎さんが、十年程前に一冊の本を刊行した。題して「徒労への誠実」。強直性関節炎で四十年間の闘病生活の後、六十二歳で世を去った一病者の伝記である。全身の関節が次第に動かなくなり、遂には餓死に至る奇病に、すぐれた知性と稀にみる勇気、そして深い信仰で立ち向かった人。彼の生き方の真髄は「徒労への誠実さ」であった。”努力しても、努力しても、少しも良くならない。それでもなお、誠心誠意努力する。そこにこそ、本当の人生、本当の悦びがある”と。

人生は時間の長短ではない、と吉田松陰はしきりに言ったそうである。「早すぎた。もっと生きて大きい仕事を仕上げてほしかった」という哀惜の言葉を多くの人からうけた。私もそう思う、しかし、彼は与えられた時間を完全に燃焼しつくして去っていった。もって瞑すべしであろう。

人の一生に対照区はない。与えられた条件下で自分なりに力一杯生きた私は”幸せ者”と言えるだろう。

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☆蛇足:対照区(コントロール)というのは、生物系の実験には必須の実験手法です。

人間はどうも、時間的に近接して起こった出来事を因果関係としてとらえがちですが、それを保証することはできません。

よく、ある病気の時に、ある薬を飲んだら治った、だからこの薬はこの病気に効く、という論法が使われます。もし、薬を飲まなかったらどうなったのか?薬を飲まなくても治ったかもしれないのです。ですから、薬が効く、ということを調べるには、同じ病気で、その病気以外のことについてはほとんど同じような人の集団を二つに分けて、一方のグループには薬を飲んでもらい、もう一方のグループには薬は飲ませない、という実験をして、統計的に見て、薬を飲んだグループで治癒率が高ければ、薬が効いた、というわけです。

エセ薬、健康食品・・・などで、対照実験のない「これが効く」というような宣伝を見たら、蹴とばしてやってください。

「人の一生に対照区はない」というのは、人生においては「もし~~でなかったら」「もし~~であったら」というような「対照実験」は原理的に不可能だ、という意味です。

人生、生きるということの「一回性」ともいえるでしょう。

私は「自分の人生に仮定法は使わない」と高校生のころから言ってきましたが、それも同じことです。

宇尾さんの言葉に、身震いするほど感動しました。生徒にこの話をするときも、いつも何だか涙腺がゆるんでしまうような、そんな気分で話をしたものです。

http://www.nextftp.com/jissen/3-1.htm から引用。

【対照実験】生命現象の持つ複雑なはたらきの要因は幾つあるか判らない。ある現象の原因が何であるかを調べるには、対照実験を設定し実験するのが良い。日本動物学会・日本植物学会編「生物教育用語集」(東京大学出版会)によれば、対照実験とは、実験を行う際、操作・条件などの要因に対する効果・影響を明確にするため、本来の実験(本実験という)と一つの要因以外の操作・条件をすべて同じにしておこなう実験をいう。生物学のように現象が複雑な分野では、本実験といくつもの対照実験の結果の比較検討が、要因の効果などを明らかにするために重要である、とある。 

ウラナミシジミ(メス)

1002uranamisijimif1 ちょっと大型のシジミチョウが飛んでいたので、よく見たらウラナミシジミでした。最近はあまり見かけていなかったので、嬉しくなりました。

青い色合いが翅の真ん中辺に集中しているので、これはメスでしょう。

ずいぶん毛がふさふさしていますね。

後翅の後端にかわいい尾状突起がついています。

1002uranamisijimif2 翅を閉じたところを見ると、後翅の後端には小さな目玉模様のようなものがあります。そのつもりになってみると、尾状突起は触覚のようにも見えます。

これは一種の擬態で、こっちが頭だよ、と示しているのだとも言われます。

さて、本当かどうかは知りません。これで、鳥に襲われた時などに、鳥の予想とは反対方向に飛び去るので生き残りの確率が上がる、かどうかは分かりません。

ウラナミシジミの本当の気持ちはだれにも分かりません。今度見かけたら、この話を思い出して、このチョウの「前後」について考えてみてください。

1002uranamisijimif3 真上からのショットが撮れました。

きれいですねぇ。

ふわふわ暖かそうなのですが、このチョウは多分東京では生き残れず死ぬでしょう。

暖かい土地でしか繁殖できないチョウなのです。成虫になっては遠くへ飛び、その地点で産卵、孵化、蛹化、羽化を繰り返して、暖かい季節の間中、広まっていきます。北へ広まったものは、その土地の冬に出会って、死滅します。

こういうことを繰り返しているのです。この小さな美しい蝶を見たら、ぜひ思い出していただきたいものです。関東以北では特に、激しいフロンティアにいるチョウなのです。

冬は越せないね。今、精一杯、生きておくれ。それが君の生き方であり、私の願いです。

◆こういう生態を「無効分散」といいます。

魚の場合「死滅回遊」という言い方もありますね。南の海の魚たちの、卵や稚魚が海流に乗って北上し、成長はするのですが、冬を越せずに死滅する、ということを繰り返す生態です。

魚の場合だけではなくて、昆虫でも、こういうことはいっぱい起こっています。

最近はアオスジアゲハを関東でも普通に見かけ、蛹で越冬していますが、以前はアオスジアゲハは南方性のチョウですので、関東では繁殖できないといわれたものです。

クモなどでは、子グモが腹端から糸を流し、風に乗って遠くへ散らばっていくことがよく知られていますが、大部分は死滅するでしょう。そもそも陸地に降りられるかどうかも分からないのです。陸地に降りても、先住のクモと食料を争わなければならないし、冬が越せるかどうかも分からないし・・・。大部分は死んでしまうのです。

なんでこんなことをするのでしょうか?

実は、生物がその生息地を広げていくのは、基本的にすべてこういうやり方によってなのです。植物だって同じです。

富士山の森林限界は、より北側の山脈の森林限界より低いのです。これは、富士山が新しい山であり、植物たちの生息フロンティア(最前線)は今も山登り中だからです。死んでは広がり、広がっては死ぬのです。

当然、昆虫や、その他の動物たちも、その後を追って、山登り中です。

むき出しの自然、というものは決して生き物たちに優しい、フレンドリーなものではありません。生き物たちがいようがいまいが、そんなことは自然にとっては関係のないことです。

生きものたちは、長い年月をかけて、自然に挑み、生息範囲を広げてきました。そのようにして「生物的自然」が形成されてきたわけです。その間、生息可能な範囲を広げる最前線では、「シシュポスの岩」「賽の河原」のような「果てしのない徒労」が「億」を単位とする年月の間繰り広げられてきたわけです。

そうしてつくりだされたのが「生物的自然」。

しかし、生物的自然が、人間に対して「優しい」ということはありません。人間を狩る大型動物もいたでしょうし、寄生虫、病気・・・毒のある植物や動物・・・。

人間は、自分にとって都合のよい生物のみの存在を許した空間を作り出しました。あえて名づければ「牧場的自然」です。

最近、「自然は優しい」などという言葉がはやりますが、ウソです。

正しくは「牧場的自然は優しい」です。なにせ、危険なものの存在を排除した空間なのですから当たり前のことでしょう。

それを忘れて、「生物的自然」や、たんなる「自然そのもの」が優しいような錯覚を起こすと、手痛い反撃を食らうことになるのです。

私のこのブログのカテゴリー分類はこんな考え方に基づいたものです。

生物と無縁な、自然。生物の中で、かかわりの深い、植物、動物。人間のやることは、人事、というわけです。

ちょっと、饒舌になりました。ウラナミシジミに刺激されましたね。

ルリチュウレンジ

1002rurityurenji ルリチュウレンジだと思います。

ミフシハバチ科>ミフシハバチ亜科>ルリチュウレンジ です。

肉眼的にはきれいなハチなんですが、写真に撮ると、光ってしまって、非常に撮りにくい被写体です。

幼虫はツツジ類の葉を食べるそうですので、どこにでもいるはずです。ハチだからといって怖がることはないので、じっくり観察してください。

座敷鷹

◆サイエンス・アイ新書「身近なムシの びっくり新常識100」森昭彦 著 というのを読んでおりましたら、ハエトリグモの話で、こんな記述にぶつかりました。

 風雅を愛する江戸時代には座敷鷹としてペットにされ、商人が売り歩き、高価で取引されたようである。・・・。たとえばネコハエトリは、オス同士が出会うと相撲を始める。「いやぁ」と両手を挙げて威嚇してから、がっぷり四つ。社交ダンスみたいなステップを踏みつつ、真剣勝負は数分に及ぶことも。決まり手は押し出し。負けた方は葉っぱの縁から落とされて、ほうほうの体で逃げてゆく。・・・

前に使った写真を引っ張り出しました。

0916nekohaetori1 0916nekohaetori2 9月16日の撮影分です。ここで私と遊んでくれているのはネコハエトリのメスですので、上に引用した遊びには参加してくれないでしょう。

オスは頭胸部がもっと黒いはずです。脚が長いし。

さしずめ「座敷雌鷹」でしょうか。

この色合いを鷹に見立てたのでしょうかねぇ。眼光の鋭さ、が鷹なのかな?

http://sito.ehoh.net/zasikitaka1.html

↑ここに「座敷鷹」の話が詳しく載っております。関心のある方はどうぞ。

◆「クモ学」小野展嗣 著、東海大学出版会 には、下のような記述がありました。

ハエトリグモのように眼の利くクモでは、雄同士が威嚇行動を行うものがある。ホンチ遊びと呼ばれるネコハエトリの雄を使ったクモ合戦は、その行動を人間が利用したものである。

また、「日本のクモ」新海栄一 著、文一総合出版では

・・・。神奈川県と千葉県の東京湾沿岸地域と、房総半島周辺地域にはネコハエトリを戦わせる遊びがあり、その地域ではこのクモをホンチ、ババなどと呼ぶ。

とありました。検索してみると、遊び方などを紹介したサイトがありましたので、ご紹介しておきます。

http://ueda3.bit.ac/asobi.f/honti.html

http://www.geocities.com/Heartland/Valley/8116/society.html

「ほんち」というのがどういう言葉なのかは分かりませんでした。

2番目のサイトから引用します。

・・・関東で「ホンチ」などの名で知られるネコハエトリの雄成体をつかうもの。ちいさなマッチ箱様の「ホンチ箱」のなかで二頭をたたかわせると、第一脚をすりあわせる「サヤアテ」、第一脚を広げて向かい合う段階から、四つに組む「地取り」、そして一方が他方の腹部を引っかいて、引っかかれた方が逃げ出す、と、実にダイナミックな闘いが展開されます。これらの行動は、野生下でもオス間の闘争として観察されており、生態をよく観察した末に生まれた「遊び」文化ということができそうです。
・・・
ホンチ箱は、関東大震災の翌年、傘職人の加藤さん(右)という横浜の方が、丸薬の箱のデザインをもとに作って売り出したところ、戦後直後は60万箱も売れたといいます。かつて、この遊びは、子どもの間で大流行していたのです。

ひょっとして「陣取りゲーム」みたいな「本地」取り、なのかな?(まったくの想像です。信用してはいけません。)

ネコハエトリ・ファンとしては面白い話だったので、ご紹介しました。

2008年10月 9日 (木)

ミスジハエトリ

1002misujihaetorim1 ミスジハエトリといえば、通常はこういうアングルで見て、ナルホドこれか、となるわけですが。

正面からの「お顔拝見」ショットを2枚お目にかけます。

1002misujihaetorim2 1007misujihaetori 左の方は子ども(幼体)なんですね。脚に模様がなくて、透明感があります。

右は成体です。体中に毛が生えて、完成品ですね。迫力も違います。

こうやって眺めていると、いかにも眼が大きい。網を張るタイプのクモよりはるかに大きいと思います。餌をとる方法がやはり「眼」に頼っているのでしょう。

ハエトリグモが好きになりました。

ホトトギス

1002hototogisu1 ホトトギスがいっぱい咲いています。

ほととぎす【杜鵑草】ユリ科の多年草。山地に自生。茎は高さ60~90センチメートルで、毛が密生。葉は長楕円形。秋、白色に紫色の斑点の散在する花を開く。和名は花の模様が鳥のホトトギスの腹の斑紋に似るため。同属にヤマホトトギスなど数種あり、その総称(属名)として呼ぶこともある。漢名、油点草。<季語:秋>[広辞苑第五版]

1004hototogisu2 花は見慣れているつもりでしたが、花の「下」を見てください。

こんな形だったのかぁ、とおかしくなりました。

ユニークな模様の花ですね。

前にも書きましたが、虫好きの私たち夫婦としては、花の他に期待していることがあります。ホトトギスの葉はルリタテハの幼虫の食草なのです。

以前、一回だけ来てくれたことがあります。また来てほしいなぁ。待ってるよぉ~。

ヒメナガカメムシ

1002himenagakamemusi もう何度も登場しましたが、しつこく、また登場です。

光線の加減で、透明な翅からの反射光が非常に少なくて、腹部上面の模様が透けて見えました。

ここまでちゃんと撮れれば、おそらく、もう登場しないでしょう。

ね、ヒメナガくん。

シロオビノメイガ

1001siroobinomeiga すぐ飛んで、葉の裏に隠れてしまいます。

写真の撮りにくいガです。

白帯野螟蛾だろうと思います。

鱗翅目>メイガ科>シロオビノメイガ

ごく普通に見かけるガではありますが、ちゃんと見るのは結構厄介です。

ササグモ食事中

1001sasagumo 今、ササグモの子たちが成長中です。

あちこちで見かけます。

ちょうど餌を捕まえて食事中のところに出会いました。邪魔しないようにと1枚だけ撮ってすぐその場を離れたのですが、後からパソコンでみたら、写真左下のところに、前の獲物でしょうか、落ちていました。クモの体長が6mmくらいでしょうか。捕まえたのが何なのかよくわかりません。

小さな動物は小さな食事

大きな動物は大きな食事

ゾウさんの食事は山のよう

ササグモちゃんの食事はゴマ粒のよう

エビガラスズメの幼虫

1002ebigarasuzume1 アサガオの蔓につかまっています。左が頭ですよ~、念のため。腹端の「しっぽ」はスズメガの幼虫たちの共通「マーク」。

これはエビガラスズメの幼虫です。

1002ebigarasuzume2_2  頭です。

縦縞というのかな、オシャレ。

白い矢印で指示したところの触覚でしょうか、これを絶え間なく細かくプルプルと震わせながら葉を食べていました。

こういう動作は初めて見ました。

1002ebigarasuzume3 この写真では黒い矢印で指示したところに「側単眼」が並んでいるのが分かります。

1002ebigarasuzume4 脚が3対、体節ごとに、気門が見えます。

模様はさほどハデハデしくはないですね。

1002ebigarasuzume5 腹脚の一つを拡大してみました。

かわいいでしょ。いっしょうけんめい蔓にしがみついています。

ちょっと貝殻のような形でもあります。

1002ebigarasuzume6 ね、いかにも「しがみついている」という感じですね。

ところで、この幼虫、飼育ケースに移して室内で飼育しているのですが、やたらとアサガオの葉を食べます。

どうやら、終齢幼虫になったばかりのところを捕まえたようです。昆虫は外骨格ですから脱皮をするわけですが、脱皮直後はその後の成長のためにたくさんゆとりを持っているわけですね。たとえて言えば、「空気の抜けたしわしわ風船」の状態なのです。

やたらと食べまくって、その後だんだん「風船が膨らんで」きました。大きくなりましたよ。

うまく蛹になれるかどうか。またご報告します。

2008年10月 8日 (水)

Rain Rain Go Away

0930ameame ピンボケ写真のようですが、よく見ると、雨の筋が写っています。

シャッタースピードは1/80秒。マニュアルフォーカスで、適当なところに焦点を固定しておいて、フラッシュ併用での撮影です。

シャッターが開きはじめてから、ほんのわずかの時間遅れてフラッシュが発光し、そのあと、長い時間シャッターの開いたままの状態が続いた、ということが見て取れるようです。

雨の日、退屈しのぎに遊んでみました。

雨雨降れ振れかあさんが♪というのは幼い子。

私は、ステッキを常用するようになって、雨は苦手。傘とステッキを両立させるのはきついです。ステッキはなくても歩けないことはないのですが、とてもくたびれます。で、雨が降ると下の童謡のような状態になります。

Rain rain go away,
Come again another day.
Little Johnny wants to play;
Rain, rain, go to Spain,
Never show your face again!

http://en.wikipedia.org/wiki/Rain_Rain_Go_Away から引用。

マザー・グースにあるようですね。

私はオリジナルの歌を知っていて歌えるというわけではないのです。

”The folk group Peter, Paul & Mary recorded a version of "It's Raining" on their first LP in 1962.” 

こういう記述がありましたが、これを知っているのです。私の年齢ですと、中高生時代にピーター・ポール・アンド・マリーを同時代で聞いていたのです。フォークギターが欲しくてね。小遣いためて、ヤマハへ行ってやっと買い込んで、コードを押さえて、弾き語り(のつもり)で、楽しんだものです。

雨に降りこめられた、子の心境が今、わかるようになりました。

童謡のメロディーそのものを聞きたい方は下のサイトを見てください。

http://jp.youtube.com/watch?v=c3v0rJqyCTM

PPMの歌とは詩もメロディーも少し違うのですが、童謡はこんな感じなんでしょうね。

サビキコリ

0930sabikikori1 玄関ドアの上端にしがみついていました。

手のとったとたんに「コメツキムシの仲間だ」というのは分かったのですが、さて、ちゃんとした種名は分かりませんでした。

よく見かけるのは、背面がもっとつやつやしてますね。

調べてみたら、サビキコリというのだそうです。

0930sabikikori2 ひっくり返すと、こんな感じ。脚をピタッと体にくっつけて動きません。

死んでしまったわけではないのです。寒いんです。で、動く気は全くなし。

一度だけ、パチッと跳ね上がり動作をやってくれましたが、後はじっとしたまま。無駄にエネルギーを使わせては申し訳ないので、すぐにはなしてやりました。

跳ね上がること自体には、その瞬間にエネルギーを使っているわけではないのです。レジリンというバネのようなタンパク質を筋肉の力であらかじめ引き伸ばしておいて、弾性エネルギーとして蓄えておくのですね。ですから、この固まった状態は「ビックリ箱」状態なんです。跳ねなければならないときには、掛け金のような装置をはずして、レジリンに蓄えておいたエネルギーで、跳びあがるわけです。その後に、またレジリンを引き伸ばさなければなりませんから、その時にエネルギーを消費することになります。

私のホームページで、そのあたりの解説も書いてありますので、関心のある方はお読みください↓

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/biology/chptr_1/1-1-1/flea.htm

0930sabikikori3 

あんまりしっかり固まってしまっていて、頭や眼もはっきり撮れませんでした。

秋なんですねぇ。生を全うしてください。

古い看板

1006kanban1 昭和40年代のホーロー看板ではないでしょうか。

マニアの方が殺到したりするといけないので場所は明らかにしません。

しっかしまぁ、懐かしいことです。私は昭和42年に大学に入っていますので、当時の「青少年」です。

由美かおるさんは当時の青少年をたっぷり悩ませてくれた方です。(私も)

これで、松山容子さんの「ボンカレー」でもあればすごいんですが・・・

1006kanban5 こういうカレーの看板でした。

これにしても懐かしいなぁ。

「即席」ですよ。「インスタント」じゃないんです。

1006kanban2 さらに、右から書かれた看板です。

左から読まないでくださいね。

いつごろの看板なのか、知りません。

1006kanban3 そう、子どものころ、母が買ってきて淹れる紅茶は「セイロン紅茶」でしたね。当時は、ポットや、茶漉しで淹れていました。

ティー・バッグが出たのはずいぶん後のことです。

トワイニングなんてのを飲み始めたのは、結婚してからです。

小さな缶のサンプルみたいなのを買ってきて、味の違いを覚えて、お気に入りの葉を決める、なんていうママゴトみたいなことに新婚当時に凝っていました。ティーバッグの紅茶は「紙臭い」ということを知ったのはこのころのことでした。コーヒーの豆の味もずいぶん試しましたっけ。私は以来「酸味」のコーヒーをこってりと淹れるのが好きです。

(今は、安いいものほどいいものだ、という飲みかたをしていますが・・・。)

1006kanban4 「レート白粉」これ「おしろい」と読んでくださいね。知らない商品です。

「コーリン鉛筆」は知ってるなぁ。

裸電球があって・・・

「アデカ石鹸」というのは知っているような知らないような・・・。

「ワーム」というのは「皮膚病」の薬と書いてあるように見えますが知りません。

こんな看板がずらっと並んでいるのはちょっとした壮観でした。

とほ、懐かしいなんていってる自分の年齢を自覚してしまった。

ヨツボシクサカゲロウ

0927yotubosikusakagerou 外出しようと玄関を出て鍵をかけようとしたら、ドアにとまっていました。

時間をかけて撮影することができず、ピントの甘い写真しかありません。シングル・オートフォーカスを使っているのですが、ピントがドアの板の表面に行ってしまいました。しくじった。

私にとってなじみのクサカゲロウとはちょっと違うので、調べてみたらヨツボシクサカゲロウだろうということになりました。

「背面中央に1本の黄条があるのが特徴」という記述を見つけ、該当すると思います。

「ヨツボシ」というのは、顔面に4つの黒斑があるのだそうです。この写真では判別できませんでした。

いわゆる「優曇華」と呼ばれる形の卵を産むことや、幼虫がアブラムシを食べることなどは同じであるようです。

◆むだなウンチク。

うどん‐げ【優曇華】(優曇は梵語udumbara優曇波羅の略。祥瑞の意)
①クワ科イチジク属の落葉高木。ヒマラヤ山麓・ミャンマー・スリ‐ランカなどに産する。高さ約3メートル。花はイチジクに似た壺状花序を作る。果実は食用。仏教では、3千年に1度花を開き、その花の開く時は金輪王が出現するといい、また如来が世に出現すると伝える。源氏物語若紫「―の花まち得たるここちして」 ②(3千年に1度開花すると伝えるところから) 極めて稀なことのたとえ。狂、花子「たまたま会ふこそ―なれ」 ③芭蕉バシヨウの花の異称。 ④クサカゲロウが夏に卵を草木の枝や古材・器物などにつけたもの。約1.5センチメートルの白い糸状の柄があり、花のように見える。吉兆または凶兆とする。うどんげの花。 <季語:夏>[広辞苑第五版]

もうき‐の‐ふぼく【盲亀の浮木】[涅槃経](仏に)めぐりあうことが甚だ困難であることを、大海で盲目の亀が浮木の孔に入ることの困難さにたとえたもの。日葡辞書「ソナタノゴカウリョク(合力)ヲマウキノフボクトタノム」[広辞苑第五版]

「盲亀の浮木、優曇華の花」といえば、極めて稀なことのたとえになります。

ツマグロオオヨコバイ

0927tumaguroooyokobai1_2 なかなか、ユニークな表情でしょ。

これ、ツマグロオオヨコバイの正面からの顔です。

少し視点を上げて、斜め上からのショットで見ると、ああなるほど、ツマグロオオヨコバイだ、ってわかりますね。

0927tumaguroooyokobai2 虫さんたちは、なかなかの役者さんですねぇ。

アジサイの葉の上にいるところを、粘ってものした写真です。

すぐ横歩きして、葉の裏へ回っていってしまうので、厄介なやつです。

キンモクセイ(金木犀)

1007kinmokusei1 我が家のキンモクセイが咲いています。

家の周辺でも甘い香りが漂って、ふっと気分が和みます。

よく知られていることですが、日本には雄株しかないので結実しません。ということは、挿木などで増やしてきたのでしょうから、基本的に全部クローンということになります。そうなると、性質のばらつきが小さくて、開花のタイミングなどがほぼそろうので、「キンモクセイ前線」のようなものが描けるはずです。

ソメイヨシノがそうですね。全国のソメイヨシノがクローンなので、開花前線の進行が見えるのです。他の桜では、雑種であるため、性質が多様化し、開花のタイミングも多様化し、開花前線はくっきりしなくなります。

キンモクセイの開花前線を調べたらどうなるのでしょう?

きん‐もくせい【金木犀】モクセイ科の常緑小高木。中国原産の観賞用植物で、古くから庭木とされる。高さ約3メートル。葉は狭い長楕円形、革質で堅い。雌雄異株。日本のものはすべて雄株で結実しない。秋、橙黄色で芳香の強い小花多数を開く。漢名、丹桂。  <季語:秋>[広辞苑第五版]

1007kinmokusei2 1007kinmokusei3                    

  

 この可憐な花を「見ばえがしない」とか「ぢぢむさく 古めかしい」とは、申し訳ないけれど、「見ばえのしない、ぢぢむさく、古めかしい」感性だ、と申し上げざるを得ません。

天声人語
  朝日新聞 2008年10月5日付
 駅までの道すがら、キンモクセイの甘い香りがどこからともなく漂ってきた。わが鼻には今年の「初もの」である。野菜や果物は時期を問わずに口に入る昨今だが、あの芳香は季節の記憶をよびさます。残暑は去って、空は高く、秋が定まったのを実感する▼花そのものは見ばえがしない。金紙を細かく刻んで枝につけたような様を、詩人の薄田(すすきだ)泣菫(きゅうきん)は〈ぢぢむさく、古めかしい〉と哀れんだ。一方で〈高い香気をくゆらせるための、質素な香炉〉と見立てているのは、ロマン派文人の感性だろう▼江戸時代の俳人、服部嵐雪(らんせつ)は〈木犀(もくせい)の昼は醒(さ)めたる香炉かな〉と詠んでいる。昼間と夜とでは、さて、どちらがかぐわしいだろう。いずれにせよ、街の行きずりにふと鼻先を流れるのが、この花の香にふさわしい▼香の代表がモクセイなら、見た目は菊だろうか。モクセイと同じく中国が原産で、奈良時代に不老長寿の薬草として渡来したという。その咲き姿が宮廷で愛され、もっぱら観賞用に育てられるようになった▼旧暦9月9日の重陽の節句には「着せ綿」という行事もあった。前の日に、菊の花に真綿をかぶせて一晩置く。朝になって、夜露に濡(ぬ)れて香りをふくんだ綿で顔や体をなでた。老いをぬぐい去り、若返ると信じられていたらしい▼〈綿きせて十程若し菊の花〉一茶。今年は、あさってが旧暦の9月9日にあたる。菊があれば、王朝時代の美顔術をまねてみるのも一興だろう。そしてその翌日は、はや二十四節気の寒露。澄みわたる静けさの中で、秋が姿を整えていく。

花の生きる姿を愛でているのではないのですね。色鮮やかな大きな花びらを画材のごとくに見ているのでしょうか?「見た目は菊」?通念に縛られた眼では、植物の生きる姿の一つの側面としての花の美しさは決して見えますまい。

通念や常識、既成の枠組みなど、とっぱずして、むき出しの、生身の人間の感性で「鼻をすませて」ごらんなさいませ。香りは記憶と強く結び付くもの。記憶の糸を手繰りながら、キンモクセイの香りをお聴きなさいませ。

2008年10月 7日 (火)

秋の蚊

10月6日付 朝日俳壇より

秋の蚊の叩いてみれば小さかり:(京都市)山崎貴子

手鏡やうろちよろ秋の蚊が一つ:(鎌倉市)石渡テル子

「九月蚊」と書いて、「うるさい」とか、「しつこい」とか、「かゆい」と読ませたいと、少し前に書きました。

十月に入って、庭に出るとやはり蚊が肌にやってきますが、九月の蚊よりパワーダウンした感じがします。九月の蚊は、皮膚についた途端に吸血していて、猛烈にかゆかったのですが、今はそのパワーは衰えてきました。寒いのですね。ヒトスジシマカは卵で越冬します。最後の産卵のために、蚊も必死です。

秋は深まりゆきます。

ところで、アカイエカから派生したのかなぁ、チカイエカという蚊がいます。成虫で越冬するのですが、建物が暖かいので冬でも活動できるのがいます。そのうえ、普通は吸血しないと産卵できないのですが、このチカイエカは、一回だけは吸血なしで産卵できるのです。暖かい住居環境が生み出した、新手の蚊です。冬に蚊を見たら思い出してください。

鉦叩(かねたたき)

10月6日付 朝日俳壇より

住み慣れし壁のうちより鉦叩:(秦野市)波田野紘一郎

一叩きごと白々と鉦叩:(高槻市)日下聰一
 長谷川櫂 評:「白々と」とは鉦叩の声の印象。一声のたびに白を感じるのだ。芭蕉の<海くれて鴨の声ほのかに白し>と同方向のとらえ方。

鉦叩の句が二つも載るなんて、秋だなぁ、と感じさせます。

ところで、長谷川櫂さんの評には私は納得していません。(恐れ多いことです)。

カネタタキのチッ、チッというかすかな声が聞こえてくるとき、それは、「壁のうち」かもしれませんし、障子のかげかもしれませんが、今まで気づいていなかったものが、ふと気づいた、というふうに聞こえてきます。

その声に耳を傾けていると、私には、その声と私の間の空間が澄み渡っていくように感じます。雑事の漂う部屋の空気の中に、そこだけ、何もない純粋な美しい澄んだ清浄な空間が出現するように感じられます。その空間を表現するのに「白々」という言葉を選ばれたのではないか、というのが私の鑑賞です。

芭蕉の「ほのかに白し」は、夕暮れの暗さの中に、光を感じさせる白ですが、日下さんの「白」は、無色透明、何もない清浄な空間と感じられます。カネタタキのチッ、チッというかすかな声は「あたたかさ」でもない感じがします。むしろ、秋のひんやりした空気を際立たせますね。

ど素人のたわごとでした。長谷川さんごめんなさい。

◆昔話:化学の実験ではいろいろな「色」が出現します。多くの生徒は、「無色透明」というものを知らないのですね。色のついていた溶液から色が消えると「白くなった」というのです。「これは無色というんですっ」とよく説明したものです。

「無色透明」「有色透明」が区別できないんですね。

白というのは、入っていった光がすべての波長で反射されて返ってくることです。ですから白は色ではありません。

黒というのは、入っていった光がすべての波長で吸収されて返ってこないことです。ですから、黒も色ではありません。

入っていった光のうち、ある波長が吸収されて、残りの波長の光が返ってくるとき、その物体に色がある、といいます。

◆さて、鉦叩の声は、「白」なのか、「黒」なのか、何かの「色」があるのか・・・。

どういうふうに鑑賞しますか?

蛇の舌

10月6日付 朝日歌壇・俳壇より

草むらに怖さがずるりと伸びてきて青大将は細き舌出す:(群馬県)小倉太郎
 佐佐木幸綱 評:蛇嫌いのひとなのだろう。「怖さがずるりと伸びてきて」が可笑しい。

なにゆゑにこの鮮やかさ蛇の舌:(シンガポール)ハルツォーク洋子

私の妻は不思議な人で、去年は青大将の子どもを捕虫網で捕まえてきたので、記念写真をとりました。

先日は、トンボ池のところで、蛇が水面を走って向こうに渡って行って見えなくなった、と笑っておりました。

勝手口のところにたたずんでいたガマガエルに「危ないじゃないの、ふんづけてしまうわよ」と説教しておりました。

昆虫の飼育力は妻に負っております。な~んとまあ、私にとって「理想の女性」なのであります。

蛇は舌先に空気中の匂い分子をくっつけて口の中に引き込み、その舌を上顎の感覚器にくっつけて、匂い分子を識別しています。つまり、私たちが鼻で匂いを嗅ぐように、蛇は舌を使って匂いをかいでいるのです。

ハルツォーク洋子さんの句は、まるでスナップショットのように視覚的な句ですね。

私は詩や歌・俳句などを、かなり視覚的に理解するたちですので、こういう歌や俳句が好きなのです。

猫マフラー

10月6日付 朝日歌壇より

寿司ネタのごとくにネコを背に乗せて本読む母に会いたいも一度:(和泉市)星田美紀

我が家の老猫も、時々、人の肩を狙って飛んできます。肩に乗って、首に巻きつき、落ち着いてしまうのです。すっごく暖かいのですが、肩が凝ります。猫マフラー。純毛。心のこもった暖房なんですが、姿勢が固まってしまいます。

寿司ネタ、というのもおかしいですね。猫って、まじめでおかしくって。共に年をとる相棒です。

素敵なシーンが目に見えるようです。

猫またぎ

10月6日付 朝日俳壇より

猫よりもきれいに秋刀魚食べる夫:(さいたま市)斎藤紀子

猫またぎ、というと「まずい魚」という意味もあるようですが、私がよく使うのは、「徹底的に食べ尽くしてしまって、食べられるところが全く残っていないので、猫もまたいでいってしまうような食べ方」という意味です。

秋刀魚を食べ尽くすご主人は、まったくの「ねこまたぎ」でいらっしゃる。嬉しくなりました、ご同輩がいて。

スーパーに行くと、まず安いアラのコーナーに行きます。切り実をとっただけで形になっていないからと安くなったアラはうまい。味が濃い。鯛の頭なんて最高の御馳走ですよね。野菜と一緒に煮て、すべての身を食べ尽くすのが私の大好きな食べ方。目玉まで食べちゃう、といったら笑われてしまいそう。

ホンマグロの刺身をとった後のアラは、形は悪いけれど、味は最高、そのまま生醤油で食べたり、火を軽く通して、「マグロステーキ」にしたり、アラを食べる幸せを満喫します。

私は「ねこまたぎ」です。

昔。母の実家で、おもてなしの料理に「だまこもち」というのがありました。「今日はだまっこだぞ」と宣言が出ると、嬉しくって。庭を走っていた鶏を一羽、絞めて料理します。伯母がさばくのですが、上手に解体していくのが、また面白くってねぇ。(自然と体内の構造なんか見せてもらいましたね。卵巣には、1mmもあるかどうかという黄身から、産卵寸前の大きな黄身までいっぱいあって、これを食べるのがまた楽しくって。)

子どもたちは、炊き立ての新米をすりこぎでつぶして、直径3cmくらいの団子をつくります。まるめる、ということを、「だまける」というので「だまこもち」なのです。

鶏のダシの、醤油味の鶏の鍋、セリが入っていて薫り高いのです。

有名な「きりたんぽ」の家庭版です。火で焼かないだけです。

満腹になるまで食べ尽くして、ダシをとった鳥の骨も、歯でわって、骨髄までしゃぶりつくすのです。これがうまい。伯母が笑って、あんたらが食べた後はもう、猫も食べないね。

最高の褒め言葉なのでありました。

新米

10月6日付 朝日歌壇より

新米のほのかな甘み愉しめど手刈り稲架干(はさぼ)しのかの味とおし:(出雲市)西村洋子

昔話です。私が4、5歳のころだったのでしょうか。母の実家は秋田県の北の方なのですが、とれたての新米をごちそうになった私。おかずも何もなしで、ごはんだけをむしゃむしゃと御代わりしながら、ものも言わずに食べ続けた、という逸話があるのです。

おしんこ(がっこ)だけをおかずにして食べる新米のうまさ、というのは有名ですが、私の場合、おかずもなく、別に新米だといわれていたわけでもなく、ただひたすらおいしかったのです。母や伯母に、まあこの子は・・・と笑われましたっけ。

本人のあいまいな記憶では、いつもの御飯と違って、草のような香りというのか、藁の香りなのか、不思議な香りで、甘くって、ただひたすらにおいしかったのでした。

いや、ほんと、新米はおいしいです。

赤ちゃんの手

10月6日付 朝日歌壇より

やわらかきゆび一本ずつひらきゆけばちさきてのひら糸屑つかめり:(広島県府中市)内海恒子

いや、にこにこしてしまいますね。

赤ちゃんはしっかり手を握っていますが、何を握っているのでしょうか?

あれは、おかあさんにあげる、幸せを握っているのです。

糸屑はまぁ、それはそれとして、その糸屑が見つかるまでの、「何を握っているの?」とおててを開いていく過程そのものが、ほら、しあわせ、ですよね。

Keep your options open.

2008年10月6日付朝日歌壇より

デジカメを買わんと選ぶ息子の目選べばほかを失う苦に居る:(茅ヶ崎市)相沢孝七

この歌には深刻な意味が含まれているようです。

◆一つは、買い物の心理学なのですが、いろいろ選んで迷って買ったものの方が不満足度が高いという妙な心理です。「あとをひく」のですね。「あっちの方が良かったかなぁ、もっと見ればよかったかなぁ・・・」ですね。モノが豊かになればなるほど、不満が募るという、ヒトの欲望の果てしなさ、でしょうか。

出会いがしらに「気にいった!」と衝動買いした方が満足度は高いようです。

◆もう一つは、「選ぶということは捨てるということだ」ということです。

これは、実は現在ひどく切羽詰まった深刻な事態だと私は思っているのです。

教職にあったころ、よく生徒に「キープ・ユア・オプションズ・オープン」という言葉を示して話をしました。

現代では、小中学生のころから、「夢を持て」「夢はかなう」などと吹きこまれて、たまたまちょっとかすっただけのものが「自分の夢だ」などと思いこみ、夢の実現に役立たないものは一切いらない、役立つことだけをしたい、などと思いこんでしまうことが多いのです。幼いころ、若い時は無駄を一杯積み重ねることが重要だ、などということは通用しなくなってきました。

視野を狭くして、ひた走り、ちょっとの失敗で全人格が傷ついたように思いこみ、叱られ弱くて、失敗に弱くて、「もし本当の自分があらわれたらこんなもんじゃない」などと自分を偽るしかないなんて、悲しいことです。

今いる自分が本当の自分なのに。自分探しなんて無意味なことです。

何かを選択するということは、何かを捨てることです。いずれ人間生きていくうちには、どんどんいろんなものを捨て、何かを選択せざるを得ません。若い人は、可能な限り選択肢を全部保持したまま生きていくべきです。そう、いずれは選択せざるを得ないのですから。

10代の後半から20代のはじめの頃に形成した「夢」が、人生の中で直接かなうなんて、それはウソです。夢がかなった人が「夢はかなう」なんていうのを聞いて真に受けてはいけません。かなわなかった人の山のてっぺんに、かなった人が一人いるだけなんですから。

じゃあ、夢を持つことは無意味なことなのか?いえいえ、全然そうではありません。年を重ねた大人のごまかしのように若い人には聞こえるかもしれませんが、実は、夢はかなわないけれど、夢を軸とした生き方は誰にでもできるのです。

60歳にもなって振り返ってみると、高校生から大学の初めのころに考えていたことが私の人生の軸になっていたことがよくわかります。なんだ、俺って全然変わってねぇなぁ、と苦笑します。

人生の出だしのころ、夢や希望を育てましょう。それがかなわなかったからって、負けなんかじゃないのです。勝てなくったって負けない、という生き方もあるのです。振り返ってみると、自分の人生は、あの夢を軸としてぐるぐる回って出来上がってきたんだなぁ、と必ず後日思えます。

これは大人として保証できます。

こんな話を、生徒によくしたものでした。

選択肢は可能な限り広く保持しておきなよ、と、今も言いたいと思います。

◆2008年10月6日付、朝日新聞[あの人とこんな話] に、こんな話が出ていました。

若くしてキャリアを限定するな 人生観は変わるものだ
 東京大学 知的資産経営総括寄附講座 特任教授・妹尾 堅一郎さん

・・・「自分を正当化するわけではないけれど(笑い)、キャリアをもっと自由に考えていいと思う。若いうちから一つに決めてしまおうとする人がほとんどだが、それでは他の可能性を切り捨てることになる。もちろんその場で全力は尽くせ。でも、ワクワクする場所があるなら飛び込めばいいんです。そこで自分がどう変わるのか。それが人生の楽しさじゃないですか」・・・

そう、重要なことはたった一つ。常に全力を尽くして、常に正面衝突すること。

これだけです。全力の正面衝突を回避して、斜に構えて事態を回避したら、残るのは悔いだけです。

自分の人生に対して「もし」という仮定法を使わないでください。それをやったら、人生おしまいですよ。1歳でポリオにかかり、「もし自分がポリオにかからなかったら」と言いたくなりそうな人生の出だしでしたが、高校生のころかな、「ポリオにかかったことも含めて、これが私だ」と言えるようになって楽しい充実した人生を送ってきました。

人生の先輩の言うことは、うるさいけれど、耳にはさんでおいて損はありません。

2008年10月 6日 (月)

キンケハラナガツチバチ

8月1日に「キンケハラナガツチバチ(ではないだろうか)」というのを書いたのですが、再会しました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_10ea.html

0927kinkeharanagatutibati1 金毛で毛むくじゃらです。

フウセンカズラの花の蜜を吸っています。

複眼の形も面白いです。

0927kinkeharanagatutibati2 蜜を吸う割にはものすごいアゴですね。

別に噛みつくわけじゃなし、針で刺すわけでもなし、怖がることはないのですが、迫力あります。

0927kinkeharanagatutibati3 ね、複眼が面白いでしょ。

丸くなくて、模様が見えて。

それにしても、すごい毛ですね。

0927kinkeharanagatutibati4 すごいアゴです。

これでは蜜が吸いにくいだろうに、と考えるのは余計なおせっかいかな?

頭の真ん中辺に単眼がひとつ見えています。もっとありそうな気もするけど、見えません。

0927kinkeharanagatutibati5 腹部の側から。

それにしても、まったく、毛だらけです。感心しました。

ライオンツチバチという名前でも献上しましょうか。ふさわしいと思いません?

土の中のコガネムシなどの幼虫に卵を産みつけて、幼虫の餌にします。

こういう寄生というのは、本当に不思議なもので、宿主を殺してしまわないように、神経系や肝心なところは食べずに残して食べ進むのですよね。どうやってそういう知恵を持って生まれてくるのか、不思議です。そういう不思議さについてはファーブルさんの進化論への疑念に与したくなります。

宿主の体内でフンをすると、宿主の防衛機能が発動されてしまうので、フンもしない、という寄生バチもいるそうですが、このキンケハラナガツチバチの幼虫が具体的にどうなのかは知りません。

ヒメジャノメ

0927himejanome 9月27日。

陽を浴びて翅をゆるやかに開閉しているヒメジャノメです。

いかにもあたたかそうな日向ぼっこです。

1005himejanome1 10月5日。

前にも載せましたが、翅をたたんだときのこの模様で、ヒメジャノメを識別してください。

複眼に縦縞が見えるような気がします。

触覚の先端部分に黄色い色があるのも特徴です。

さて、今回、面白いアングルで撮影させてくれましたよ。

1005himejanome2 虫の顔って、いい味出してますよね。

好きだなぁ。

撮影時は翅をたたんでいる時だとおもってシャッターを切ったのですが、パソコンで見たら少し開いていました。それがまた、なんとなく楽しい雰囲気を出していると思います。

これからもいろいろ昆虫の顔を撮ってみたいものです。

ヒガンバナ 花の後

0927higanbana 1002higanbana 左は9月27日の撮影。

右は10月2日の撮影です。

花は終わり、普通の花なら、子房が大きく成長して、実になるはずですが、ヒガンバナはこれでおしまいなんでしょうね。

さびしい気がします。

たまに、種ができることもあるらしいですから、しばらくは見続けてみましょう。

下から葉がのびてきています。この時間のギャップも、ヒガンバナを引きたてているのでしょう。

もう秋は深まる一方です。東京は今日(10月6日)最高気温が20℃に届かないだろうと、昼の天気情報でいっていました。

もう暖房を考えなければなりません。

ガザニア

0927gazania 一番暑い日々をスキップして、花を咲かせるのでしょうか?

またガザニアの端正な花が楽しめます。

今、ハラビロカマキリを飼育中なので、餌が必要ですが、オンブバッタあたりが一番おいしそうな気がします。夏前にオンブバッタがガザニアの花を食べていて、「細い葉っぱを食べなさい」と追放されていたのですが、今回は、食べに来てもいいよ~、という具合で、人間なんて勝手だなぁ、とオンブバッタは嘆いているでしょう。

ブドウトリバ

0927budoutoriba あまり人気のない「蛾」のなかでも、おそらくほとんど知られていないのではないでしょうか。ブドウトリバといいます。

不思議な格好のガです。一度見て覚えれば忘れられませんが・・・。

トリバガ科という仲間に属します。翅が1対しかないように見えます。写真では判別できませんが、ちゃんと2対あります。

さらに妙な気分にさせてくれるのは、脚です。この写真で、腹部の両脇にトゲのある棒のようなものがぶら下がっているように見えますね。これが後脚なのです。翅が糸状になってぶら下がっているような気もしますが、そうではないのです。初めて見た時は私も多いに戸惑いましたが、やっと理解しました。

翅の後縁に毛が生えていますね。これは今回初めて気づきました。(昔、布施明さんが「愛は不死鳥」という歌を歌うときに着た衣装のようだ、といったら古すぎて通じないだろうなあ。)

全体としてもう一回眺めると、飛行機のような、と形容するのか、悪魔のような姿、と形容するのか・・・不思議な蛾です。

この写真は雨戸の外側にとまっているところです。成虫は花の蜜を吸うらしいのですが、その姿はまだ見たことがありません。

幼虫は、名前の通り「ブドウ」の仲間を食草にしています。我が家にはブドウはないのですが、ヤブガラシでもいいそうで、それならちゃんと生えていますから、そのあたりで成長したのでしょう。

椿の種

0926tubaki 椿の実が熟して割れ、中の種が見えています。稔りの風景です。

ところで、幼いころ(50年以上も前の話)の遊びを思い出しました。

椿の種の先端を、コンクリートの面にこすりつけて削り、小さな穴を開けます。(この角度が微妙だったように思いますが・・・)

母親からヘアピンをもらって、穴から中身をほじくりだします。丹念にほじくって、種の皮だけ残します。

そうして、種を下唇に当てて、息を斜めに穴に吹き込んで「笛」にするんですね。

ぴ~っと、それなりにいい音がしました。

ハマグリの貝殻の合わせめに穴をあけて笛にしたり、いろいろやった気がしますが、もう「コツ」を忘れました。

こんな遊びをなさった方はいらっしゃるでしょうか?昭和30年代のガキの遊びです。

オビキンバエ

0926obikinbae あまり人気があるとは思いませんが、きれいなハエですよね。

通常のキンバエより「目」が美しいと思います。

腰をかがめなくても撮れる高さにいてくれたので、助かりました。

少し後ろ側から撮った大きめの画像をお目にかけます。

0926obikinbae2 写真の中に白い矢印で指し示した、小さな白い構造がありますね。

多分これが「平均棍」というものです。もう少し、じっくり撮りたかったのですが、これ以上は鮮明に撮れませんでした。またいずれ、もっとはっきり分かる写真にチャレンジっします。

ハエの仲間は昆虫なのに、2対の翅ではなく、1対2枚の翅しかありません。前翅が残っているのです。

では、後翅はどこへ行ったのか?翅としては退化しましたが、「平均棍」として残っています。

以前は、前の翅をはばたくときに、バランスを取るのだろう、と考えられていましたが、現在は「ジャイロスコープ」の一種だろうと考えられています。

糸に重りをつけて振り子にし、手の先で振らせながら体を回転させてみてください。振り子自身の振動面は動きません。ですから自分から見ていると相対的に振り子の振動面が動いたように見えます。

振り子を持った指の先にセンサーをつけて、振動面の方向をいつも監視しているとしましょう。もし、振り子の振動面が動いたら、実は自分が動いたことになるので、自分の姿勢を保持する情報として使えますね。

これが、ハエの平均棍のはたらきです。平均棍は前翅と同期しながら高速で振動しています。そして、平均棍の付け根にはセンサーがあります。これによってハエは自分の姿勢の変化をとらえて、姿勢制御ができるのです。

平均棍をとってしまうと、ハエはバランスを失って、うまく飛べなくなるそうです。

ハエは嫌われがちですが、飛行能力の高さでは昆虫界でも1,2を争う高度な飛行技術を持っています。それを支えるのが、この平均棍なのです。

オオスカシバも見事なホバリングができますが、なんでも、触覚をジャイロスコープに使っているという話です。

2008年10月 3日 (金)

ムシクソハムシ

0926musikusohamusi 「虫糞葉虫」だそうで、すごい名前をもらってしまいました。

まあ、確かに何かの虫の糞に見えますね。

ふわ~っと、何かが飛んだのです。なんだ?と見ていたら、止まったのでレンズを向けて2枚、連続してとりあえずシャッターを切り、さて、なんだこれ?と、もう少し接近したいなと思った瞬間、ポロリと自ら落っこちていなくなってしまいました。

さして危険を感じさせたつもりはなかったんだけどなぁ。

5mmくらいのわけのわからない塊です。最初に飛んでいるところから発見したので少なくとも昆虫がいると認識してかかりましたから見えますが、最初から葉の上に静止いていたら絶対見落としていたと思います。

とにかく、調べてみたら、こんな名前のハムシでした。ツツジにつくそうです。この葉虫の幼虫は自分の糞で作った筒の中に入って活動するそうです。

初めてみた昆虫でした。

ミツバチとブルーサルビア

0926mitubati ミツバチがブルーサルビアの花に頭を突っ込んでいます。

チョウやガのような長い管状の口を持たないミツバチは、蜜を吸おうとすれば、必然的にこうやって頭を突っ込むことになります。

この写真でミツバチの頭に覆いかぶさっている部分の内側にオシベがあって、ミツバチに花粉をすりつけているのです。ですから、ミツバチはブルーサルビアにとって花粉媒介者なのですが、チョウはその点、口だけ伸ばして蜜だけ吸っていきますので、ブルーサルビアにとってあんまり嬉しいお客さんではないでしょうね。

夢中になっているミツバチはそんなこと考えていませんが、蜜はいかにもおいしそうだなぁ。

キバナコスモス

0926kibanacosmos1 これは一重咲きのキバナコスモスですね。

外側が舌状花で、中央部が管状花でしょうね。

するとこれは

0926kibanacosmos2 管状花のつぼみ集団ということになるのかな?

なかなかにかわいらしい状態です。

最後に気取って

0926kibanacosmos3 ボケ味をとりいれて、トリミングをすこし非対称にして。

秋です。

オシロイバナの実ですが・・・

0925osiroibana まだ熟していないオシロイバナの実です。完全に熟せば黒くなりますが、まだ青い実です。

なんとなく「スイカ」か「ウリ」みたいですね。超ミニサイズですが。

◆「ウリ」なんて自分で書いて、思い出がふと顔を出しました。

昔、夏、「マクワウリ(真桑瓜)」をよく食べました。おいしかった。いつのまにか、みんな「●●メロン」になってしまいましたね。瓜でいいのじゃないか、と「かかし・おじいさん」はへそを曲げたくなります。

到来物のマスクメロンを前に、家族全員が集合して、2眼レフカメラのシャッターレバーに糸をつけて手元まで引いてきて(セルフタイマーなんかなかったので)、にこやかに記念写真を撮った思い出があります。メロンってハイカラ(死語)だったんだよなぁ。

昭和30年代のことでしたでしょう。

ランタナ

0925lantana ランタナの花と実の関係が一目瞭然に分かる状態を見つけました。

いつも、花は花、実は実と別々に認識していましたが。こういう風な具合なんですね。

当たり前なんだけれど、気づいてみたら納得しました。

お控ぇなすって

0925kitahimehirataabu どうということもない写真です。

キタヒメヒラタアブ。

なぁんかね、斜に構えて、仁義でも切っているような。

そんな見立てです。

複眼が六角形の個眼でできているのが見える写真になりました。体長1cm程度の小さなアブですので、ずいぶん接近させてくれたことがお分かり頂けると思います。

アブが遊んでくれた、という感じですね。

2008年10月 2日 (木)

カノコガ

0925kanokoga1 カノコガ(鹿子蛾)がトクサにつかまって交尾していました。

一目でカノコガとは分かるのですが、こうやって近づいて眺めると、かつての印象が少し変わりました。

腹部の模様は別にして、翅は単なる白黒模様、としか認識していませんでしたが、鱗粉の輝きが青く光って、単なる黒ではないのですね。知りませんでした。

ヒトリガ科>カノコガ亜科>カノコガ です。

0925kanokoga2 上がオスだと思います。(体が小さいから。)

アップにして見たら、複眼や口吻が見えました。ゼンマイ状に巻いていますね。

0925kanokoga3 メスの方は下向きなので、頭部のアップはできませんでした。

青いんだ、という驚きが忘れられません。

ササグモ

0924sasagumo この時期にきて、ササグモが新たに孵化したのかもしれません。庭でも道でも、ずいぶん幼体を見かけます。

花と比べていただければ、小さいことがよくわかると思います。

ハエトリグモよりは警戒心が強いので真っ正面の顔とかは撮れずにいますが、出会うたびにスナップしていますから、何か面白いショットがとれたら、またお目にかけることもあるでしょう。

ツマグロヒョウモン・オス

1001tumagurom1 白いヒガンバナを見に行ったら、キバナコスモスも咲いていた、というところまでは書きました。

白いヒガンバナの撮影に一区切りついて、全体を見渡していたら、ツマグロヒョウモンのオスがキバナコスモスの花に吸蜜にやってきました。

オスはあまり「ツマグロ(褄黒)」ではありません。アゲハよりは小さいですが、でも結構大きくて目立つチョウです。

1001tumagurom2 おいしそうでしょ。

チョウが蜜を吸っている時の顔って好きだなぁ。

実においしそうに吸いますものね。わざわざ私の目の前をずいぶん飛び回って蜜を吸う姿をみせてくれました。

足元には

1001daturametel ダツラ・メテルも咲いていました。

狭い範囲でしたが、いろいろなものが見られて、楽しいひと時でした。

場所は世田谷区の東玉川のあたりです。

白いヒガンバナ

1001whiganbana1_2  9月29日、環八を走っていて、白いヒガンバナを見かけました。

写真では見たことがありましたが、実物を観察したことはありませんでした。

その時は通り過ぎるしかなかったので、もう一回見に行きたいなと思っていました。

10月1日、台風15号が温帯低気圧になり、東京は午後から陽が射してきました。これはチャンスだな、とひひとっ走り。

純白ではなく、うっすらとクリーム色っぽい色でした。

1001whiganbana2 赤いヒガンバナと基本的な構造は全く同じです。

1001whiganbana3 上から見ても、5つの花が放射状になっていることも同じです。

間近で見ると、赤い花とはまた違う魅力ですね。

1001whiganbana4 ちょうどキバナコスモスも咲いていましたので、ちょっと重ねたショットを狙ってみました。邪魔だったかな?

ネットで調べたら、

赤い花のヒガンバナは「Lycoris radiata」ですね。「radiata」は多分「放射」ですね。(radiation とか radio とか・・・)。きっと花が放射状に並ぶところからの命名でしょう。

白い花のヒガンバナ(白花彼岸花、白花曼珠沙華)は「Lycoris albiflora」でした。

「alb」というのは「白」です。色素が合成できなくて体が白くなってしまうのが「アルビノ」、卵白は「albumen」、卵白のタンパク質は「アルブミン」・・・。

「flora」はもちろん「花」ですね。

「黄花のトラウビー種(L.traubi )と、赤花のラデイアタ種(L.radiata var.pumila)との自然交雑種」とか「ヒガンバナとショウキラン(リコリス・オーレア)の雑種」とかの記述がありましたが、どちらが正しいのかは分かりません。

なんにせよ、赤い色素を合成する酵素が活性を失っているのでしょう。

ヒガンバナには毒がありますが、その名は「リコリン」、Lycoris の毒で「リコリン」なのでしょう。

◆初めて見る白いヒガンバナにひとしきり興奮してしまいました。嬉しかった。

2008年10月 1日 (水)

ルコウソウ

0924rukousou ルコウソウは元気です。

いっぱい咲いています。

これは9月24日。

9月30日、雨のやみまにこんな写真を撮ってきました。

0930rukousou1 ルコウソウのつるについた水滴です。

凸レンズになっていて、向こう側が逆さまに写っています。「倒立実像」というやつです。

0930rukousou2 こちらは葉の上にたまった水滴。

同じく凸レンズでも、拡大鏡として葉を大きく見せています。これは「正立虚像」ですね。ただ、葉の間、水滴の中央付近では遠くの茎が倒立実像で映っているようです。面白いですね。

5円玉や50円玉の穴に水滴をつけて凸レンズにすると、思ったより性能のよいレンズになり、ビックリするほど大きく拡大できますよ。お試しあれ。

0930asagao_mi ルコウソウと絡み合った朝顔の実です。

こちらは外側には水滴がつかず、内側に水滴がついています。

どうやってこういうつき方になったのか?不思議ですが、そうなっているので、感心しています。う~む。

結露、というわけではないしなぁ。

シロチョウの仲間2種

0924tumagurokityou ツマグロキチョウですね。

激しく花から花へ飛びまわっていて、うまく写真が撮れませんでした。

逆光で翅の内側の「ツマグロ」の模様が透けて見えました。体の線まで浮き上がっています。きれいな蝶です。翅の裏というか、たたんだ状態での外側は黄色です。

個体数が減ってしまっているということです。手入れがよすぎるのではないでしょうか。雑草だらけの草むらがいっぱいあればいいのになぁ。

0924monsirotyou こちらはモンシロチョウ。

スジグロシロチョウを見かけても、多分知らない人はモンシロチョウと思ってしまうでしょう。

「紋」のあるシロチョウです。スジグロの方は名前通り、翅に黒い筋が目立ちますので慣れれば分かります。注意してみてください。

コエビソウ

0924koebisou1 0924koebisou2 コエビソウ(小海老草)を見かけました。

花を上から見ると、海老の腹部に似ているのかもしれません。

ただ、右の写真のように、下から見上げると、私には蛇が口を開いているように見えるんですよね。結構迫力があるように思いますが。

不思議な花です。去年は名前が不明だったのが、一度覚えると忘れられない花ではあります。

アカマンマ

0924inutade イヌタデです。犬蓼ですね。

植物の名に「イヌ」がつくと「役に立たない」とか「無駄な」とかそういうような意味合いになりますね。

イヌタデは「食べ物にならない、役に立たない」タデということでしょうか。

でも、子どもはこれを「赤飯=あか・まんま」に見立ててままごと遊びをしたのでしょう。

「見立て」というのはとても面白い能力ですね。ヒトの赤ん坊ではずいぶん早い時期から「見立て」を理解するように思われます。抽象化、概念化、言語化には欠かせない基礎能力ではないでしょうか。

フヨウの実

0924huyou 芙蓉の実です。

綿のようなふわふわな感じですね。この季節になってくると、暖かそうな雰囲気のものに気をひかれます。

ムクゲと違って「木」です。この樹皮の繊維は紙に漉くことができるのではなかったでしょうか?

ヒメナガカメムシ

0924himenagakamemusi ヒメナガカメムシです。前にも載せています。

ここが気に入ったらしく、茎ではなく花にたくさんやってきて、交尾中のものも多数います。

体長5mmくらいと小さく、まるでハエのような感じです。写真を撮ると翅が光ってしまって、なかなか体の模様が分かりません。

1001himenagakamemusi 光量を抑えて、なんとか翅の影響を抑えた写真が撮れたかな、というのがこれです。

どうやら、腹部の縁がやはり白黒のまだら模様になっているらしいというのがやっと分かりました。カメムシらしい模様ですね。

これで、少し頭の中のひっかかりがほどけたようです。

ネコジャラシ

0923nekojarasi 9月23日、夕方、ベランダのプランターに生えたネコジャラシが夕日を浴びて光っていました。

あたたかそうですね。後ろにぼかしたネコジャラシも輝いています。

こんなところにも稔りの秋がありました。

ムラサキシキブ

0924murasakisikibu 9月24日の撮影です。

青い実もあり紫に熟したのもあり、移り変わりゆく季節です。

◆2008/09/29 朝日俳壇より

色づきてここに我あり実むらさき:(伊丹市)保理江順子
 長谷川櫂 評:紫式部の実が名のりをあげているような一句。作者が紫式部の実となったようでもある。

評は私にはピンとこないのですが、私の感性だと、「私とムラサキシキブの間の区別がなくなって、ああ熟してきた」という感じで読みました。

◆「オチビサン」 安野モヨコ(2008/09/28付朝日新聞より。セリフのみ。)

 「そこそこ もうちょっと上」夜明けの空の
 一番いいとこ おさじでくり抜いて
 「ホイ」「ホイ」
 みどりの糸でつなぎます 「できたぞ『夜明け玉』」
 「この実のもうひとつのなまえは『紫式部』って言うんですよ」

私って散文的だなぁ。「夜明けの空の色をした『夜明け玉』」なんて、思いもつかなかった。

0930murasakisikibu

台風15号に刺激された秋雨前線の雨がふと小やみになったときに撮ってきました。9月30日。

雨に濡れそぼつムラサキシキブです。東京は暖房がほしくなるような日が続いています。

◆8月12日付でムラサキシキブの花の写真をアップしてあります。

色づくまでは何となく見逃しがちなムラサキシキブですので、ぜひ花ももう一度見てやってください。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_d51d.html

デュランタ

0923duranta 「名前が分かりません」として掲載したこの花の名前が分かりました。

みみこさんからコメントを頂いて判明しました。

デユランタ(もしくは、デュランタ)です。

http://www.hana300.com/duran0.html
「花300」というサイトの記述を引用します。

デュランタ(Duranta, Brazilian skyflower)
・熊葛科(くまつづらか)。            
・学名  Duranta erecta               
          Duranta : ハリマツリ属      
          erecta  : 直立した         
        Duranta は、ローマ法王の侍医で、植物学者でもあった「デュランテスさん」の名前に由来する。(16世紀の人)
・メキシコ地方原産。明治中期頃に渡来。
・色はちょっと「藤」の花に似ている。
・おもしろい形の実ができる。

「熊葛」って、認識になかったのですが広辞苑[第五版]によると

くま‐つづら【熊葛】クマツヅラ科の多年草。高さ0.5~1メートル。葉はヨモギに似、羽状。初夏、淡紫色の小花を穂状につける。全草を乾して生薬とし、通経薬、腫物に用いる。漢名、馬鞭草。〈本草和名〉
くまつづら‐か【熊葛科】双子葉植物の一科。花は管状の合弁花で5数性。おしべは通常4本。高木から草本まで、熱帯・亜熱帯中心に広く分布、約90属3000種ある。花が美しく、園芸植物となるものが多い。ランタナ・クサギ・ムラサキシキブ・チークなど。

あ~らら、よく知っているランタナやムラサキシキブもクマツヅラ科なんですねぇ。まったく知りませんでした。認識不足でした。オハズカシイ。

実が熟すまで見せていただけるものやらどうやら、よそのお家の花ですので分かりませんが、時々覗いてみることにしましょう。

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