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2008年8月 6日 (水)

アオスジアゲハ

0731aosuji1 妻がクスノキの枝を少し切り落として、風通しをよくしました。

でも、今の季節、クスノキの葉にはアオスジアゲハの卵やら幼虫がいる可能性も高いので、切った枝を水を入れたバケツに入れて、チェックしながら捨てています。

そうしたら、そのバケツに入ったクスノキにアオスジアゲハのメスが関心を示してやってきました。切ったものですからにおいが立ち上っていたのかもしれません。ずいぶん長いこと、枝の周りを飛び回り、産卵行動をしていました。そのおかげで、ぶれてはいますが、何枚か写真が撮れましたのでご紹介します。

一枚目は、翅を打ち下ろしたところが写っています。チョウの羽ばたきでは、打ち下ろしが深いのが特徴です。腹部が上に見えていますね。

0731aosuji2 クスノキのそばのヤマノイモの茎にとまって羽ばたいているところ。

体は動かず後ろ翅が動いています。

0731aosuji3 0731aosuji4 0731aosuji5 ブレの大きさが、動きの速さを示しています。

前翅の激しい動きが見えます。

静止した状態の写真も美しいですが、こういう動きの写真も面白いものですね。

いろんな昆虫たちがいろんな姿を見せにやってきてくれます。

なんだか向こうから見てもらいにやってくるという感じなんですよね。夏は命の密度が濃い。これからどんなもの・ことを見せてくれるのか、楽しみです。

◆夏は命の季節です。緑のあるところで、むっとするような草いきれが立ちのぼります。

あれは、活動する命の熱気やにおいであると同時に、死んだ命の土へ帰る、腐敗の熱気やにおいも一緒に立ちのぼっているのです。

生きるといい、死ぬといい、命の流れであり、命の活動です。夏は生と死が濃い季節です。

一度そんな風にも考えてみてくださいませんか?

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コメント

かかし先生のお言葉に、ぐっと泣きたくなりました。
生の影で、確実に死も存在すること。

真夏の光がまぶしければまぶしいほど、その影はくっきりと濃い影を作ること。

この夏、父が80歳になりました。
旅行に誘って、喜んではもらえたのですが、旅行の最中、気がついてしまったのです。
もうじき、父がいなくなることに。
すぐではないにしろ。

その旅行のあと、家族だけで海に行きました。
アオスジアゲハ?が、波打ち際近くで何かしていました。
何かを吸っているようでしたが・・・・。

夏ほど、生と死をくっきり感じる季節はないように思います。

 アオスジアゲハが谷川などで水を吸うことはよく見かけることですが、海で吸水するとは知りませんでした。激しい飛翔のために、筋肉にナトリウム分が必要なのだ、ということを聞いています。
 私の兄も母も、夏に亡くなりました。兄の手術の際、家族で待機していた時に、待合室で赤ちゃんのおむつを替えるお母さんがいらっしゃいました。病院の待合室という場所は、多かれ少なかれ命の力の陰りを感じざるを得ない場所です。そこに響いた元気のよい赤ちゃんの泣き声は、待合室を明るく照らし出したようでした。生命力がそこから流れ出してくるかのようで、おむつ替えの短かい時間、待合室にいた人たちの顔が和み、明るい光が満ちあふれたようでした。

 私は命の流れを川の流れのように考えて、こ個々の生命を川に生じる渦にたとえるのが好きです。命の流れの中から生じた渦は、水流のエネルギーと水の循環で支えられて、やがてまた流れに還ります。命もまた同じ。生まれ来て死に還る命の流れを感じます。

 母はちょっとでいいから海に散骨してね、と以前から私に頼んでいました。そこで、ほんのわずかでしたが、母の故郷の海の砂と一緒にして、孫一同が三浦の海へ行って、散骨してきてくれました。おかげさまで、暗くて狭い墓の中へ母を閉じ込めることなく、母はこの地球と一体となって遍在していると感じることができます。

 生と死は、ひとつことの両面であるように考えています。

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