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2008年8月26日 (火)

朝かげに男虹と女虹たちたれば黄のひとすじがきわだちて見ゆ:(豊橋市)小村宏

2008/08/04付 朝日歌壇より

次の歌は、多分この歌をうけての歌だと思います。

性別のあること時に煩わしあまつさえ空の虹にもありと:(岡山市)秋山素子

2008/08/25付 朝日歌壇より

◆「男虹・女虹」ってなんだろうな、多分「主虹・副虹」のことだろうな、と思います。虹を「龍」に見立てることもあるようですから、そこに「男女(雌雄)」が入り込む余地はあるのでしょう。でも、私は根が科学屋ですから、虹に男女を持ち込むことには強い違和感があります。

あの美しい虹という自然の大現象を見ながら、そこに男女を持ち込むことはなんだか、出来事を小さくしてしまっているように感じました。勝手を言ってゴメンナサイ。

虹については、私の「案山子庵雑記」で詳しく解説しています。ぜひ、ご覧ください↓

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/98th/sci_98.htm
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/99th/sci_99.htm

普通に見える虹が「主虹」といいます。上が赤くて下が紫に見えます。

条件の良い時は、主虹の外側にうっすらと副虹がかかることがあります。上が紫で下が赤になります。

主虹と副虹の間は暗く、主虹のすぐ内側は白っぽく明るく見えます。

虹の色というのは、太陽光線が水滴で分光された色ですから、「純粋な色」です。反射と吸収による物体色ではありません。まさに「天空の色」です。科学的にまた分析的に見れば見るほど、虹の不思議は深まります。私のHPでの説明も本当はまだまだ不充分でして、数学的にもっと深く突っ込むべきですし、量子力学も考慮すべきでしょう。科学が入り込むとロマンが消えると考えるのは浅薄なことです。

科学は自然の謎を深めてくれる道具なのです。知れば知るほど不思議が深まります。科学は楽しいですよ。

◆野暮な註を一つ。

「月影」が「月の光」であり、「星影」が「星明かり」であるように、「朝かげ」は「朝の日の光」です。

日本語って微妙ですねぇ。

◆またまた余談を。

アホウドリの保護や繁殖に長くかかわっておられる長谷川博さんが何かに書いた話だったと思うのですが。

灯火が全くない鳥島で、星の光によって地面に影が映るのを見た、ということです。

東京にいては想像もつかないことですが、本当にあるのですね。そうして、人間の眼はそれを見ることができるほどに感度が高いのですね。感動した覚えがあります。

◆「月虹」はそれなりに有名になりました。「星虹」ってあるのかなぁ?星の光が水滴で分光されて虹が見えるかという話です。

別件の「スター・ボウ」というのはSF的には有名なんですがね。直訳すれば「星虹」なんですが・・・。

宇宙空間を光速に近い速度で飛ぶときに見えるであろうと、そういう話です。

◆8月27日 追記

西條敏美 著「虹 その文化と科学」恒星社厚生閣 、1999年11月刊 から孫引きします。

「大漢和辞典」では、「古は龍の一種とし、雄を虹、雌を蜺といふ」とあり・・・

ということです。

その場合、くっきり見える主虹が雄で、薄い副虹が雌なのでしょうね。

私が引っ掛かっているのはそのあたりなんです。

男女を陽と陰にあてる陰陽説がそのまま現代に生き残っているとは思いませんが、社会には根強くジェンダー文化が残っていますね。

男は明るく強くたくましく、女は優しく力は弱くはかなげに。そういう性役割分担が今も社会には根強いでしょう。それを押しつけられています。人間社会にある性役割を、大自然の美しい現象に投影するのが嫌なんです。

価値中立な言葉にしましょうか。主虹を1次虹、副虹を2次虹ということにしましょう。

虹が単純な反射によってできるのなら、もっと明るくていいと思いませんか?

ところが、水滴に光がはいるときに同時に反射が起こっています、水滴内で反射するとき外部に光が漏れます、水滴から光が出る時も水滴内への反射も起こります。ですから、太陽光のうちのほんのわずかしか虹光線としては出てこないのです。

1次虹でこれですから、2次虹では反射回数がもう一回多いので、原理的に1次虹より暗いのです。

ただそれだけです。男女でもなく雌雄でもありません。

虹の女神イリス(Iris)が1次虹で、たまに男の神様が寄り添って2次虹ができる、というならまあ許しますが、イリスの神話にそういうのはないし。

というようなわけで、ジェンダー・フリーなほうが楽でいいじゃないですか。

虹に男女を見ることに、私が反発しているのはそういうことなのでした。

文化としての性役割分担を嫌っているのであって、生物に雌雄があり、生き方が異なるということは明白なことです。それを踏まえた上で、性役割の文化から解放されたいな。

執着から離れて、もっと自由にありたいと願っています。

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コメント

虹を見ると、いつもうれしくなります。本当に不思議な自然現象ですね。渥美清(風天)さんの俳句です。
    お遍路が 一列に行く 虹の中

彼は風天という名の俳人でもあったそうです。小さな生き物を詠った句もたくさんありますよ。

    赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする

    夕べの台風 どこに居た ちょうちょ

    芋虫の ポトリと落ちて 庭しずか

どれも味があっていい句です。渥美さんの「風天」と言う本に載っていました。私も教えて頂いたのですが、かかし先生はご存知かも知れませんね。

星の光で影が映るなんて、凄いですね。月の光なら分かりますが、星の光しかない状態とはどういうものなのでしょうか。今の生活ではとても体験できないでしょうけど・・・。

渥美さんが俳句を物す方だということは聞いておりましたが、実際の句を読んだことはありませんでした。

夕べの台風 どこに居た ちょうちょ

これ気に入りました。ひょっとして、台風の風に乗って南方から訪れたチョウチョだったりして。そういう昆虫もいるんですよ。

芸能人の方の俳句では夏目雅子さんが河童の俳号で読んだ句をいくつか読んで打たれた思い出があります。

土曜日はいつも本屋散歩の日にしていますので、詩歌コーナーを見てきます。

私がよく使う「崩彦」というのは、昔の私の俳号です。

大橋巨泉さんの「巨泉」も俳号です。

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