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2008年7月15日 (火)

樹雨

2008/07/13付 朝日歌壇より

紫陽花の樹雨(きさめ)涼しや境内の隅にちひさき地蔵目を閉ず:(宗像市)巻 桔梗

 永田和宏 評:樹雨は枝や葉に溜まった霧が雨粒のように降る現象。巻氏は樹雨を効果的に使い、地蔵があたかもいま目をつぶるかのような静寂を歌った。

き‐さめ【樹雨】濃霧のとき、森林の中で霧の微小な水滴が枝葉につき、大粒の水滴となって雨のように落下する現象。きあめ。[広辞苑第五版]

「樹雨」という言葉を初めて知りました。なんとなく、4月終わりから5月初め頃の、若葉が成長し始めたとき、葉から樹液が細かい霧雨のように降り注ぐことがありますが、あれを思ってしまいました。自動車のフロントガラスが曇るので、見上げると木が茂りつつある、という感覚は生命力を感じさせて勢いがあります。 でも、それではありませんでした。

永田さんは「いま目をつぶるかのような」と、ある種、心理的な「動き」を感じとっておられますが、私にはもうちょっと静的な感じがします。

散歩の途中でも、駅でも、どこでも、(危なくないようにしたうえで)、目をつぶってみてください。目を開いていた時には聞こえなかった音の風景が、俄然、聴こえてきます。注意深く音を分けて聞くと、音源の方向がかなり正確に弁別できるはずです。人間の聴覚だって、とても優れたものなのです。人の歩く足音、車の走る音、いろいろな音の風景が聴き取れるはずです。

「ちひさい地蔵」さんは、樹雨の静かな音を背景に、世界の音の風景に聴き入っているのではないか。そういう静かな姿、たたずまいを私はこの歌から受け取りました。

地蔵というものを、「立ち会う存在」としてとらえている私の読みは偏っているかもしれません。これはただ一つの解釈として、ご自分の解釈を展開してください。

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コメント

「樹雨」初めて聞きました。素敵な言葉ですね。
作者が同じ名前でうれしいです(^^)

 地蔵の瞑想に樹雨はとてもふさわしいと思います。静かに濡れて佇みながら、人間の心を聴いている。
 大昔、大学時代に「ほろ酔い地蔵」などという短文をものしたことがあります。公開するチャンスがあるかどうか・・・。
 案山子と地蔵、私の人生のテーマなんです。

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