タンポポ
写真そのものはどうということもないものです。
これを眺めていて、フト思ったんですね。
「不撓不屈」というのは、かっこいいけど疲れるでしょ。撓んでもいい、屈してもいい。撓んでも屈しても、自分というものが消滅するわけじゃなし。
教師をかつてやっていたころ、生徒に、だんだん自己ガードがきつくなってきて、失敗したら自分の人格に大きな傷がつく、というような姿勢がめだってきていました。失敗したくない、傷つきたくない、ということでガードばかりきつくなって、肝心の中身が十分に育ち切っていないのではないか、と心配でした。
自尊心というのは自己をガードする殻を固くすることではありません。中身を育てることです。心の成長には失敗は必須なのです。失敗もせず成長するのは多分無理でしょう。
理科系の実験で探求していく仕事では、失敗は当たり前、失敗こそが原動力、失敗する能力=創造力というような世界なんです。
失敗する能力がない人には創造的な仕事はできません。そのあたり、理解してほしいなぁ。
秋葉原事件のことを少し考えています。傷つくことになれていたら、傷つくことこそ成長なんだとわかっていたら、なんて思うんですよ。
満1歳の時から、障害者をやっている私は、その障害をさらけだし、何千人もの生徒にむき出しの私を見てもらうという職業を選びました。私が私であることそのものを見てもらいました。私には「殻」は不要。あるがままに私です。
撓み、屈し、傷つき。いいじゃないですか。この世に生まれてきたということ自体が、どんな宝くじに当たるより「ラッキー」なことなんですから。力まず、急がず、ゆっくり生きる力にまかせていけばいい。
生きたいと執着するのも、死にたいと執着するのも、どちらも苦悩ですよね。己の生きる力がある限り生きていけばよい。執着を捨てると、心が身軽になりますよ。
勝ち組だ、負け組だと騒ぐことはない。
勝てなくったって、負けはしない、という生き方だってあるんですよ。
タンポポを見ていて、まとまりもない思考がいろいろと脳裏をよぎっていったのでした。
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