ヤンマの思い出
◆小学校にあがる前のことですから、今から五十四、五年も前の昔話です。
そのころ、大田区の千鳥町駅から少し歩いた、久が原の台地の端のあたりに住んでいました。車などあまり走らない時代ですし、袋小路の突き当りの辺りに住んでいましたので、のんびりと道で遊ぶ日々でした。(幼稚園はありましたが、「お大尽の子」が行くものだと思っておりましたから、私は無縁に遊んでおりました。)
ある日、道の奥ですから電柱も端っこで、端の電柱はワイヤで斜めに引っ張って支えるものですが、その斜めのワイヤに、ギンヤンマがとまっていました。そのメタリックな輝きのギンヤンマを見つけたとき、手には長さ1m程度の簡易な捕虫網を持っていました。
とにかくギンヤンマを捕まえたくて、まず、じっくりと間隔を詰めていき、手と捕虫網の柄の長さがギンヤンマまで届く範囲までにじり寄りました。
ギンヤンマは斜めのワイヤに頭を上にしてとまっていましたから、後ろ側から追い・すくいあげるつもりでギンヤンマの下側から少しずつ網を近づけていきました。もう、ここから全力ですくい上げれば、飛びあがるギンヤンマの飛跡と網が交差して、網にヤンマが入るはずだというところまで、じっくりじっくり近づいて行って、思いっきり網を振ったのです。
かすったような気がしましたが、みごとにヤンマに逃げられたのでした。悔しかったけれど、闘いが終わってすっきりした気分でした。
あの濃密な時間、時間の流れの密度がとてつもなく高くて、主観的には何十分もの間だったように思いますが、きっと数分のことだったのでしょう。
あのような時間を「至福の時」というのかもしれません。私の記憶は映像的な記憶が多いのですが、中でもくっきりと残っている幼い夏の日の鮮烈なワンシーンです。
緑色の金属光沢に包まれたギンヤンマにあこがれていました。
◆同じ道の突き当り、台地の端の崖っぷち。(私はこの崖を転げ落ちたことがありますから、それなりに注意深くはなっていました。)
ふと目の前にオニヤンマが現れたのです。オニヤンマのパトロール、というやつですね。
手には何も持っていませんでした。崖の縁から1m弱先の空間でオニヤンマはホバリングしています。手を伸ばせば転げ落ちます。どうしようもなくて、ただひたすらにオニヤンマと見つめあってしまったのです。確かにあの瞬間オニヤンマと眼があい、視線が絡まったと思います。どれほどの時間なのか分かりません、多分、数十秒か1分程度のものでしょう、でもその時間が永遠といえるほど長く感じられたのです。
オニヤンマの威厳ある眼差し、ホバリングによる完全な空中停止、あの黒と緑の迫力ある姿。
これも鮮烈な映像として記憶にくっきりと残っています。写真など撮らない分、余計に記憶としては鮮明になるのかもしれません。
やがて、ツイ、とオニヤンマは向きをかえ軽々と飛び去っていきました。私は呪縛から解かれたようになって、ため息をついて、疲労感に包まれたのでした。
オニヤンマとの衝撃的な出会いでした。
◆少年というよりはまだ幼児に近い時代の、はるか昔の記憶です。あの時代、時間は濃密に流れていました。
60歳にもなって、クロスジギンヤンマの羽化に興奮している自分を見て・・・楽しいですね。昆虫たちが与えてくれる時間は、人間社会の時間とは違って、昔ほどではないにせよ濃密で、季節の流れにより浸りこんだ、命の流れの時間です。
贅沢な時間流に身をひたしているな、と実感する日々です。
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案山子庵雑記というサイトからやってきました。
とある大学院に通っているものです。
大体高校の化学はほとんど抑えているつもりだったのですが、いざ見てみるとあやふやに覚えているところがいくつもありました。
改めて、クーロンを見直してみると、結構忘れていることも多く・・・
再度、復習させていただきました。
優良サイトを公開していただき、本当にありがとうございます。これからも、ちょっと詰まった時はお世話になります。
投稿: Kosuke | 2008年6月16日 (月) 08時09分
この3年間「理科おじさんの部屋」というのが面白くて、化学や生物のはなしを書くテンションが高まりませんでした。今年は、ブログと化学・生物をメインに行こうと考えて頭の中を「準備中」です。
お楽しみに。ごひいきください。
投稿: かかし | 2008年6月16日 (月) 16時45分