◆昨日、新年のご挨拶を書いている中で「今年六十のおじいさん♪」という引用をしました。
「船頭さん」という歌ですね。武内俊子さんという方の作詞です。
村の渡しの 船頭さんは
今年六十の おじいさん
年はとっても お船をこぐときは
元気いっぱい 櫓がしなる
それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ
◆子どものころ「六十」というのは確かに「おじいさん」だと思っていました。
大人になってからは、「六十」で「おじいさん」というのは、ちょっと若すぎないか?と思っていました。
今、「今年、六十の」時にいたって、いや~実際六十は「おじいさん」なんだなぁ、とつくづく思います。
立ち上がってから歩きはじめるまでに、一呼吸二呼吸の間を置かないとなりません。
ひざを痛めましたから、そろりそろりとつまずかないように地面を見ながら歩きます。
まったくのおじいさんになりました。
社会的役割としての「おじいちゃん」を引き受けるという気持ちはもう大分前からありまして、ベビーカーの子供に微笑みかけたりして楽しんでいます。
子育て世代の父親母親がかいがいしく見えます。夫婦して「社会的役割としてのおじいちゃん・おばあちゃん」をすることを楽しんでおります。
しかしまぁ、実際、肉体的にもおじいさんになったなぁ、というのが近頃の感想です。
艪は漕げませんが、船なら漕げます。(船を漕ぐ=居眠りをする、という意味です。為念。)
◆大昔、子どもの頃の私は、語彙の少ないこととて、とんでもない勘違いをしていました。
多分「ろがす」という動作があって、六十のおじいさんがその動作をなさるのだから、尊敬語を使っているのではないか。「食べる」が「お食べになる」みたいに。
で、「ろがす」の尊敬表現が「ろがしなる」なのだろう、ところで、その「ろがす」ってどういう動作なのかわからないな、と。
「艪が撓る」だと気づいたのはずいぶん成長してからのことでした。
◆ところで、艪というものは「剛直なもの」です。堅い樫の木などでつくるのではなかったでしょうか。
ろ【艪・櫓】船を漕ぐ用具の一。腕(人が握って押す部分)と脚または羽(水中にあって水をかく部分)とから成り、脚の上部に設けた艪臍(ロベソ)を船の艪床にある艪杭(ログイ)にはめ、腕には舷に結びつけた早緒ハヤオをかけ、これを操って船を前進させる。枕草子306「―といふもの押して」。「―を漕ぐ」[広辞苑第五版]
これが「撓って」しまっては推進力が生まれません。困りました。
◆「撓って」もいいのは、「棹」ではないでしょうか。艪を使う船でも、岸から離れる時や、接岸するときには、竹の棹で船をコントロールすることがありますね。
さお【竿・棹】船を進めるのに用いる長い棒。水棹(ミサオ)。万葉集18「船に乗り川の瀬ごとに―さしのぼれ」[広辞苑第五版から一部引用]
これは「撓り」ます。体重を乗せて撓らせて、その反発力を使って船を押し出していきます。
「船頭さん」という歌は昭和16年だそうですので、和船については私などよりずっと身近な時代だったと思うのですが・・・。
「艪が撓る」のは不自然な気がします。「撓るのは棹」だろう、というのが私の見解です。
◆この歌、戦時色の強い歌で、2番3番は戦意高揚の内容です。戦後に今の歌詞に変えられたようですね。
■ところで、艪は船の軸に対して(=船の進行方向に対して)直角の方向に漕ぎますね。ボートの場合は、オールは船の軸と平行な方向に漕ぎますね。
艪はどうして、進行方向と直角に動かすのに推進力が得られるのでしょうか?
青で描いたのが艪の断面と考えてください。これを、黒の矢印方向に動かすと、赤の矢印方向に飛行機の翼の揚力と同じ力が推進力として生まれるのです。
オールと艪、どちらも船の推進力を生み出す道具ですが、原理が違うんですね。
◆水泳で「スカーリング(sculling)」という技術があります。手を体の軸と垂直方向に動かす時に、手のひらを上の図のように傾けて体軸方向の推進力を得る技術です。
私は、クロールでのスカーリングを習得して長距離を効率よく泳げるようになりました。
平泳ぎやバタフライでも、手が体軸から離れたり近づいたりするときにスカーリングを意識すると効率が良いようですよ。
◆年を取ると愚痴が多い、なぁ。