多摩川アートラインプロジェクト(鵜の木駅)
駅表示の周りに、黒地に白の絵が描かれていますね。
これが、多摩川アートラインプロジェクトの一つです。
前回は、下丸子駅の羊を紹介しましたが、ネットで検索したら、近くの鵜の木駅の作品も紹介されていましたので、車でひとっ走り、写真を撮りに行ってきました。
同じように絵が描かれています。
ミジンコですね。
背中側に多分卵をもっているのでしょう。部分的にリアルです。
多摩川の河原にはいろんな種類のバッタがいます。
以前、六郷用水の取水口の近くへいった時、たくさんのトノサマバッタに出くわしたのは感動でした。
蝶です。何という蝶なのかな?
この絵からでは私にはわかりません。
キツネでしょうね。これはさすがに現在はいません。写真左端はチドリでしょうか。池上線には「千鳥町」という駅があります。多摩川の河原のチドリから由来する名前でしょうか。ちなみに50年ちょっと前、私は千鳥町駅の近くに住んでおりました。
カエルがいて、トンボがいて、チョウがいて。
おかげで、近寄ってじっくり観察できました。
絵の表面は凸凹しています。
どういうふうに作られたものかな、とよく見るとこれは「印刷」です。
大きな面に印刷したものを、巻いて貼ったものです。
柱の裏に回ったら、合わせ目がありましたので確実です。
それにしても、表面のテクスチャなど石のような感じで、印刷技術が必要ですね。
ネットで調べたところ、鵜の木にある「金羊社」という印刷会社が製作したものだそうです。
最後に、鵜の絵を2種類ご紹介。なにせここは「鵜」の木ですから。
多分、多摩川の河原やその近くに、鵜の集まる木や森があったのでしょうね。
この土地には、江戸時代のはじまる前に、江戸氏の一族の「うのき氏」一族が住んでいたそうです。当然、その名前も多摩川の鵜に由来するのでしょう。多摩川はアユがいっぱい住んでいましたし。
近くにある「光明寺」が うのき氏の菩提寺だったようです。
うのき氏は、当時の政争がらみで、この地を逃れ、東北方面に移動した一族と、九州の方へ移動した一族があったそうです。その関係で、あちこちに「鵜の木」の名や地名を残しました。
鵜の木町では、7月に「全国うのき祭り」というのをやっていますが、そういう歴史があってのことでしょう。
◆鳥としての鵜はちょっと変わっています。鵜の羽には油が少ないのです。ですから、水をはじかず潜水して川魚を追うには都合よくなっています。ですが、水から上がったとき、羽が濡れていますので、飛ぶ前に羽を乾かさなければなりません。羽が濡れているときの鵜は比較的捕まえやすい鳥らしいです。
「鵜の目鷹の目」という言葉がありますが、鵜の目は、水陸両用です。人が水に潜ると、裸眼では角膜の表面と水との間の屈折がほとんどなくなって、強い遠視状態になり、水中のものがはっきり見えなくなります。ゴーグルをすると、ゴーグル内の空気と角膜のさかいでの屈折が復活し、正視に戻ります。
ところが、鵜は水晶体の厚さを変えて屈折力を変える能力が高いので、裸眼で潜っても水中の魚がよく見えるのです。(鵜にはゴーグルは不要です。)
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