ヒガンバナ
彼岸花地獄極楽花模様 彼の世の人を思い出す花
(岸和田市)久吉英子
亡き母の形見のやうに彼岸花
(東京都)向井はるを
朝日歌壇・俳壇 2007.10.22
二時間の主婦の家出は曼珠沙華見たくてローカル線に乗り継ぐ
(岩国市)兼重陽子
朝日歌壇 2007.10.29
ヒガンバナという花は、「彼岸」という名前のせいもあるでしょうが、一種、非日常へのいざないを感じさせる花ですね。
「彼岸」はご存知のように生死を繰り返して流転する「此岸」にたいする、涅槃の世界を表す語ですから、日常を超えています。
でも、あの花の持つ、独特の「異様さ」が名前を超えて、非日常的な情感へいざなうのではないでしょうか?
鮮烈な赤、普通の花の花びらなどの構造が見えないこと、葉がなくすっくと立つ茎のてっぺんに「花だけ」・・・なんとなく、普通の人の、普通の時間の中に、フト割り込んできた非日常、という感じがしますね。
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◆山口百恵の「まんじゅしゃか」はたしか
・・・まんじゅしゃか、恋する女は、まんじゅしゃか、罪つくり・・・
こんな詞が入ってましたよね。世俗の価値を破壊しても恋に身を滅ぼしてもかまわないという、やはり、日常の一線を一歩踏み越えようとする歌詞、そして不安定な切羽詰った歌声。でした。
◆「femme fatal」(ファム・ファタール)英語でいえば「fatal female」でしょうか、「運命の女(ひと)」と訳すのでしょうか。でも「致命的な女(ひと)」でもいいのではないでしょうか。
世俗の価値を超えた恋に焦がれ尽くす、というのはまさしく世間の常識からすれば「致命的なこと」ですからね。
◆日常、という見慣れた世界を、一歩「向こう側」へ踏み込んでしまった、という歌を歌えるのは、井上陽水と一青窈かなぁという気がしています。
一青さんなんかは、ちゃんとつなぎとめておかないと、ふわぁ~っと、どこかこの世ならぬ世界へ漂っていってしまいそうで、引きとめておかなくっちゃ、という気分にさせられます。
貴重な歌手だと思っています。今後、どのように年齢を重ねていくのか、見ていたい歌手です。
◆駄弁でした。ご容赦を。
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