「かかしさんの窓」が満杯になりそう

この「かかしさんの窓」というブログなんですが、契約容量は10GBなんですね。
で、長く続けてきたら、今9.9Gを超えました。
画像が多いせいですね。残りは100MBを切りました。
で、この残り容量は、テキストだけの記事に利用して、画像をいれる記事はどこか別のブログ・サービスへ移動しようと企てまして。

なんだかよくわからないままなんですが、ライブドアにしようと思っています。
かかしさんの窓は、6月から不定期更新になります。
しばらくの間、混乱すると思いますが、ご容赦ください。

一応、登録して、記事を書いてみました↓
初めまして 2022年05月27日
キアゲハが羽化しました。 2022年05月28日

エディタの使い勝手はcocologと似ているようですので助かります。
しばらく試運転を続けます。
cocologの方で更新したら、livedoor側からリンクする気ですが、逆はちょっと面倒だな。
もしよろしかったら、livedoorの方をお気に入りにしていただくと嬉しいのですが。
URLの書き方がよくわかっていない初心者で
↓これでいいようですね。
https://kuebiko.blog.jp

2022年9月20日 (火)

フェーン現象

気象の話ついでに、フェーン現象について。
テレビのニュースワイドショーというんですか、そういうので、フェーン現象が話題になっていました。
湿った風が山を越えて吹き下ろして乾いた熱風となり、気温が上昇するという現象。
コメンテイターの人がトンデモなことを言っていた。
「山の上を通過するときは太陽に近いから暖められて降りてくるのかな」
ガクッ。もと理科教師としてはもう情けなくって、とほほ。
私、教師歴の最初の2年は中学校で理科を教えていました。第一分野と第二分野、両方とも。
中学理科の第二分野で、フェーン現象について話をしたよなぁ、ちゃんと。
自分で解説する気も起りませんので、参考サイトへリンクします。良い図もありますよ。

↓中学生向けの解説
https://school-turnup.com/p-18349/

〔質問〕
フェーン現象はなぜ起こるのですか?
〔回答〕
気温は「標高が高い場所に行くほど下がる」という性質があります。
その温度変化の仕方には湿度が関係していて、露点をむかえてからは「温度変化の割合が小さく」なります。
しかし、山を越えたあとの空気は乾燥していて、ふつうの割合で温度が上昇していきます。
したがって、山を越える前の気温の変化よりも、越えた後の気温の変化の方が大きくなります。
〔詳細〕
フェーン現象とは、水蒸気を含んだ空気のかたまりが山を越えるとき、
「山の風上側~山頂にかけて雨を降らし、風下側では乾燥して気温が高くなる」現象です。

①風上側から、水蒸気を含んだ空気が山を越えようと上空へ進む
②露点をむかえるまでは、「100m上昇すると1℃ずつ」気温が下がる
③途中で露点をむかえた後は、「100m上昇すると0.5℃ずつ」気温が下がる
④雲をつくり、雨を降らしながら山頂へ向かった空気の湿度は下がることになる
⑤山を越えた風下側では、「100m上昇すると1℃ずつ」気温が上がる

したがって、
〔風上側で下がった温度〕<〔風下側で上がった温度〕
となるので、風下側の気温が高くなってしまうということです。

↓気象庁
https://www.data.jma.go.jp/cpd/j_climate/hokuriku/column01.html
日本の気候 北陸地方の天候 フェーン現象

↓気象庁、子供向け
https://www.jma.go.jp/jma/kids/kids/faq/a3_04.html
フェーン現象って何?

https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E7%8F%BE%E8%B1%A1-172971
フェーン現象

風が山脈を越える際、風が山腹を上がる時は100mに付き約0.5℃気温が下がり、山頂を越えて吹き下がる時は100mにつき約1℃温度が上がる現象をいう。もともとドイツのフェーン(Foehn、ドイツ語表記では Föhn )地方でおきていた現象から命名されたようで、日本では夏の日本海側におこる熱波が有名である。平地に注ぐ空気が乾き、温度が高くなる為、パラグライダーにとっては思わぬ高度を稼ぐチャンスである。ただ、基本的に強く、山を越えてくる風の為、バンピーなコンディションであり注意が必要。冬の太平洋側でもフェーンは起きているのであるが、もともとがシベリアの寒気団であり、フェーンによる気温の上昇はあまり感じられない。

冬の関東の「からっ風」も一種のフェーン現象です。日本海を渡って水蒸気をたっぷりふくんだ北西風が、日本海側で雪を降らせ、乾燥して関東平野へ吹き下ろす。からっからに乾燥した風が吹きますね。北風小僧の寒太郎ですね。

思い出話:私、NHKラジオの気象現況を聞きながら天気図を描くという趣味があったのです。小学生ころからかな。
登山をする人は、自分で天気図を描いて気象の変化を読み取り、安全な登山をするように、と言われていたと思いますが。
中学教師になって、渋谷の書店で「天気図用紙」を私費で購入し、ラジカセに気象現況を録音し、教室でそれを流しながら生徒に天気図を描かせましたよ。
「前線」というのは性質の異なる空気の塊が接する場所なんだよ。前線を挟んだ空気の押し合いが前線上の低気圧をつくる。
それと天気の関連とか、結構いろいろやったんだけどな。

今時になって、茫然とする私なのでした。

台風など

記事を書いている今は19日の午後です。台風14号の影響で、日がさして影がくっきりと思うと直後に大きな雨音を立てて雨が吹きつけてきたり。かわりやすいったらありゃしない。雨戸を閉めて何か飛んできても被害が少ないようにと、お籠り状態です。で、年寄りの台風の記憶など、少しだけ。

①:洞爺丸台風
 1954年9月の台風です。
私は1948年生まれですので、当時、6歳ですね。小学校に上がる前の年。
当時、一家4人で、八畳間一部屋で生活していました。家主さんの自宅の2階の部屋を借りていた。
家主さんは息子さんを戦争で亡くした高齢女性で、一人暮らし。仏壇に写真を掲げていらしたな。私は孫のようなもので、かわいがっていただきましたっけ。
戦後をまだ引きずっている時代です。水道もなく、井戸水で生活してました。
で、台風が来ました。父親は仕事に出かけていて、家には母と兄と私の3人。
ものすごい風でね。2階の部屋の天井下の壁が3尺四方、吹き抜かれてしまったのでした。
焦った。台風の風が吹き込むと、屋根を持ち上げて屋根が吹き飛ばされると聞かされていまして、わ、屋根が飛んじゃうのか、と、恐怖。
私より5歳年上の兄と母二人で、ベニヤ板を切り、必死になって穴をふさいだ。ま、何とか耐え抜きまして、無事でした。
でも、怖かった。これは忘れられません。
後になって、ラジオのニュースで被害状況を知り、改めて恐怖を覚えたのでしたっけ。

↓参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%88%BA%E4%B8%B8%E5%8F%B0%E9%A2%A8
洞爺丸台風

概要
 この台風は九州地方・中国地方を上陸通過し、日本海へ抜けた後に更に発達しながら北上。函館港沖では洞爺丸事故を、フェーン現象により岩内町では3,300戸を焼失させる岩内大火を引き起こすなど、北海道を中心に多数の犠牲者を出した台風である[1]。
 豪雨による水害をほぼ起こさなかった反面、強風による被害を大量にもたらした、いわゆる「風台風」であった。
 ・・・

経過
 台風15号は、9月18日にカロリン諸島付近で熱帯低気圧として発生し、21日には台風となったが、すぐに勢力が衰えた。
 ところが、23日には台風に復活、23日9時には中心気圧992ミリバール(mb、現在のヘクトパスカルに同じ)、24日9時990ミリバール、25日9時には975ミリバールと次第に発達しながら台湾の南東海上で転向、急激に加速しながら北東に進み、9月26日未明に鹿児島県大隅半島に上陸、このときの勢力は中心気圧965ミリバール、最大風速40メートルであった。
 時速75キロから80キロで九州を斜走。上陸後以降に勢力を増し、朝には中国地方から日本海に出てさらに時速110キロという異例の速さに加速しながら北東から北北東に進んだ。風速20m以上の暴風圏は26日段階で九州から北海道まで日本全土に広がった[2]。
 9月26日9時には964ミリバール、15時には960ミリバール、北海道西岸に達した21時には956ミリバールとなっている。その後、北海道からオホーツク海を進み、9月28日9時にカムチャツカ半島付近で温帯低気圧に変わったが、通常の場合、海水温が低下した9月末の日本海で台風が発達することはほとんど考えられないため、実際には、台風が九州に上陸する9月26日3時頃から温帯低気圧に性質を変えていた(いわゆる「爆弾低気圧」と呼ばれる状態になっていた)と見られる。
 北海道に接近した頃に最盛期を迎え、同時に一時的に速度を時速40キロ以下に落としたため、北海道を中心とする北日本では猛烈な暴風による被害が大きかった。すなわち、最大風速は寿都で42.0メートル(最大瞬間風速53.2メートル)、室蘭で37.2メートル(55.0メートル)、留萌で35.2メートル(45.8メートル)に達したほか、各地で30メートル以上となった。

転覆した洞爺丸
 そのため、家屋の全半壊や倒木などの風害が顕著だった。岩内町では火鉢の飛び火が原因による大火(岩内大火)で、3000戸あまりが焼失。森林が受けた風害はすさまじく、支笏湖周辺などでは全山の大木が根こそぎ倒された。
 また、青函連絡船では洞爺丸の遭難により1,139名が犠牲となり、他にも連絡船4隻の沈没・転覆により多数の犠牲者を出す、海難史上まれに見る大事故が発生しているほか(この事故が後の青函トンネル建設の契機ともなった)、9月26日には海難救助にあたっていた海上保安庁のはつなみ型巡視艇「うらなみ」が二次遭難している(乗員は全員救助)[3]。また台風が通過した西日本でも大きな被害が出ている。
  ・・・

台風自体が時速100kmなどという速度で進むなんて、まったく想像の及ばない出来事です。
こわかったな。20歳の時に北海道へ旅しましたが、青函トンネル(昭和63年開業)はまだ当時はありませんで、青函連絡船で渡りましたっけ。これがあの青函連絡船なのか、と感慨深かったな。

・内緒話:新聞を読むような年齢に達する前、ラジオの音声でのみニュースを聞いていた私の大誤解。
「たいふういっか」という言葉を当時の私の語彙の中で「台風一家」だと思っていました。大誤解。台風って家族連れで来るのかな、などと、わけのわからない状態で。
「一過性」という言葉を知ったのはかなり後になってからのことでした。テレビなら字幕があるのでしょうけれど。ラジオのみの時代の餓鬼の誤解でした。
同じような大誤解をご紹介。お名前を忘れましたが、有名な女性詩人だったかな。シャボン玉の歌を聞いて「屋根まで飛んだ」というのを、シャボン玉が「屋根まで飛んだ」のではなく、風にあおられて「屋根が吹っ飛んでしまった」と聞いておられたとのこと。
子どもが耳だけで得る情報はこんな誤解を生むこともあるのです。

②:伊勢湾台風 1959.9
私11歳でしたね。現在の上皇ご夫妻の結婚とパレードで日本中がにぎわい、中継を見ようと白黒テレビでしたがテレビが猛烈に普及したのでした。我が家も御多分に漏れず、テレビなどというものを購入、珍しかったなぁ。(カラーテレビが普及したのは東京オリンピックの時でした。)
その年の9月。伊勢湾台風。気圧が低くて海面上昇、吹き付ける風が湾口から吹きこんで高潮が発生。
テレビ画面に映し出された映像がショック。一面が水没していましたっけ。

・ある意味で似た出来事:チリ地震津波
1960年5月、チリ近海を震源としたマグニチュード9.5という、観測史上最大級の地震。この地震による津波が地球を半周して日本に到達しました。三陸沿岸のリアス式海岸の湾の奥で海面が猛烈な上昇をして、多数の死者が出た。

開いた湾口から狭い湾の奥へ。その意味で、伊勢湾台風と共通するものがありましたっけ。小学校6年生だったかな。驚きましたっけね。

2022年9月 9日 (金)

今日は「重陽の節句」です

↓まず解説から。
https://www.hibiyakadan.com/lifestyle/z_0064/
9月9日は重陽の節句!菊酒や栗ごはんなど菊の節句の行事食と由来

「重陽の節句」は平安時代の初めに中国より伝わりました。古来中国では、奇数は縁起が良い「陽数」、偶数は縁起の悪い「陰数」と考えられ、陽数の最大値である「9」が重なる9月9日を「重陽」と呼び、節句の1つとしました。旧暦の9月9日は、現在の10月中旬ごろにあたり、まさに菊が美しく咲く時期です。菊は「仙境に咲く霊薬」として、邪気を払い長寿の効能があると信じられていました。菊を行事に用いたため、重陽の節句は別名「菊の節句」とも呼ばれています。重陽の節句では、菊の香りを移した「菊酒」を飲んで邪気を払い無病息災や長寿を願います。

日本では、平安時代の初めに宮中行事の1つとなり、菊を眺める宴「観菊の宴」が開催されたり菊を用いた厄払いなどが行われたりしました。また、時代とともに菊の風習は庶民の間でも広がり、江戸時代には五節句の1つとして親しまれる行事になっています。

というわけです。ま、菊の花を愛でてください。とはいっても、旧暦での話です。
今年(2022年)の場合だと10/4が旧暦の9/9だそうです。
まだなぁ、暑い、今年は特に暑い気もします。こういう場合は旧暦でやってください。どうぞ。

★雑談
「六日の菖蒲 十日の菊」という言葉知ってますか?

https://kotobank.jp/word/%E5%85%AD%E6%97%A5%E3%81%AE%E8%8F%96%E8%92%B2%E5%8D%81%E6%97%A5%E3%81%AE%E8%8F%8A-2086017

六日の菖蒲十日の菊(読み)むいかのあやめとおかのきく

ことわざを知る辞典「六日の菖蒲十日の菊」の解説
六日の菖蒲十日の菊
端午の節供(五月五日)の翌日の菖蒲と重陽の節供(九月九日)の翌日の菊。時機に遅れてしまい、いまさら役に立たないことのたとえ。

「五節句」というのもあります。今は桃の節句と端午の節句くらいしかしられてませんけどね。

人日(じんじつ) (=一月七日)
上巳(じょうし) (=三月三日)
端午(たんご) (=五月五日)
七夕(しちせき) (=七月七日)
重陽(ちょうよう)(=九月九日)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E5%8F%A5
節句

六日の菖蒲、十日の菊(むいかのあやめ/しょうぶ、とおかのきく)
5月5日(菖蒲の節句)までの菖蒲、9月9日(菊の節句)までの菊は価値があるが、その日を過ぎると一気に価値がなくなる意味[11]。転じて、時機を逸して価値のなくなった状態を指す[11]。例えば、2月14日を過ぎたバレンタインチョコ、12月25日を過ぎたクリスマスケーキが投げ売りされることと同様の意味合いである[要出典]。

https://www.alsok.co.jp/person/recommend/2042/
五節句とは?日本の四季を彩る節句の意味や行事食

2022年9月 1日 (木)

秒速→時速

昨日の「風速75メートル 」の記事では、私は単位の変換を主として書きましたが。
もっとやさしい書き方もあったかな、と考えまして。(同じことなんですけどね)

a [m/s] とは1秒間にa[m]進むという速さです。
ではそのa [m/s] で1時間進んだらどのくらい進めるのかな?
1時間=1[h]は、60[s]×60 = 3600[s]ですから
a [m/s] で1時間進むと
a[m/s] × 3600[s] = a×3600[m]
進めますね。
速さとしては a×3600[m/h] になりました。

時速では距離はmではなくkmで表示します。
m 表示を km 表示に変えるには1000で割ればいい。そうすると時速での速さは
a×3600÷1000 = a×3.6 [km/h]

ということで、秒速での値を3.6倍すれば時速での値になるのです。
専門家なんか必要ありません。ご自分で計算してください。

2022年8月31日 (水)

風速75メートル

昨日のNHKのニュースで、聞こえてきて、アレっと思ったけれど詳細は読み取れなかったニュースを、今日、NHKのサイトで見つけました。
台風11号 沖縄 大東島地方に接近 暴風や高波に厳重に警戒(NHK 2022年8月31日 10時27分 )

猛烈な台風11号の影響で沖縄県の大東島地方に近づき50メートル近い最大瞬間風速が観測されています。大東島地方では引き続き暴風や高波に厳重に警戒するとともに沖縄本島地方でも台風の接近に備えるようにしてください。
・・・
中心の気圧は920ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は55メートル、最大瞬間風速は75メートルで中心の半径95キロ以内では風速25メートル以上の暴風が吹いています。
・・・
台風11号は31日、中心付近の最大瞬間風速が75メートルになると予想され、接近する沖縄県の大東島地方では最大瞬間風速が70メートルに達するおそれがあります。

専門家で作る日本風工学会によりますと、最大瞬間風速70メートルは時速に換算するとおよそ250キロと、新幹線の速度に匹敵するということです。
・・・

あのですね「風工学」の専門家でなくても風速を時速に換算するなんてことは簡単にできるんですよ。
丹念に説明すれば小学生にだってわかります。
やるべきことだけ先ず書いてしまうと
風速[m/s]を時速[km/h]に換算するには
風速の値×3.6=時速の値
なのです。ですから
70×3.6=252≒250
手元に電卓があればNHKの記者さんも計算できたんだけどな。暗算でもできるでしょ。
その場合の記事は(私なら)
「最大瞬間風速70メートルは時速に換算するとおよそ250キロと、新幹線の速度に匹敵します」
こんな記事かな。
個人的な表現を付け加えると
「新幹線の屋根にしがみついているような感じがするでしょう」
かな。新幹線の窓は開かないから「走行中に窓から顔を出したような感じ」とは書けないでしょうからね。

★ではちゃんと説明します。
秒速 a m/s を時速に換算します。
a [m/s] = a[m] / 1[s]
です。分母を 1[h]にすれば時速になりますね。で、1[h]=3600[s]ですから、分子分母に3600を掛けます。
a [m/s] = a[m] / 1[s] = a×3600[m] / 1×3600[s] = a×3600[m] / 1[h]
分子の
a×3600[m] は、a×3.6×1000[m] = a×3.6[km]
となります。
ハイ。
a [m/s] = a×3.6[km] / 1[h] = a×3.6[km/h]
できました。
秒速の値を3.6倍すれば時速の値になるのです。

式のこの変形、50年近く昔、中学校で教えていた時に授業でやったと記憶します。
その後、高校でも物理を担当した時は当然ちょこっと授業中にやりましたよ。

[m/s] [km/h]
10   36
20   72
30   108
40   144
50   180
60   216
70   252
80   288
90   324
100  360

こんな表を黒板に作って。
「高速道路を時速100kmで走っていて、窓から顔を出すと秒速30mが体験できるけど、やるなよ、呼吸困難だぞ」
「台風では時速200kmくらいの風というのもあるんだぜ」

ついでに
「100mを10秒で走ると時速36km。マラソンは時速約20km」というような話も付け加えて。
私は日本風工学会の会員でもないけど、このくらいはわかるんです。理科教師として。

中学校で「速さ」の授業というのをやったことがあるので、いずれご紹介したいとは思っていますが、いつになるやら。今日はここまで。脱線だらけの理科教師です。

2022年8月15日 (月)

歴史感覚 或は 時の流れの長さ

西木空人さんの選になる朝日川柳に驚かされました。

朝日新聞デジタル(2022年8月13日)から

七十七 戦前と並んだ戦後(大阪府 藤井康信)

ドキっとしました。
私は74歳、戦後生まれですが、おおよそ「戦後」と呼ばれる期間の長さを生きてきました。
でも「戦前」といわれると、昭和の初めあたりくらいからという感覚でいたのです。大正や明治など「古く過ぎ去った歴史上のもの」という感じがあった。
ところが上の川柳の指摘は鋭く恐ろしい。

1945+77=2022
これが「戦後77年」という事ですよね。
じゃあ「戦前77年」はどうなりますか?
1945-77=1868
こうなります。
1868年って「明治元年」じゃないですか。
Wikiによれば↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB

明治の元号下にあった1868年10月23日(明治元年9月8日)から1912年(明治45年)7月30日までの45年間を明治時代と呼ぶ。

明治維新そのものについては色々ありますけれど、シンプルに明治という元号で考えれば上の通りですね。

明治なんて遠くはるかな歴史的な時代と感じがちですが。
今年を戦後77年というなら、戦前77年は明治元年だよ。
この歴史感覚、いかがですか?そうなのか!とビックリしませんか。

自分の「今」ばかりに引き付けて物事を考えてはいけないんだなぁ。
私は混乱しています。突きつけられてしまいました。

2022年8月10日 (水)

雀が蛤になる:七十二候

日経サイエンス 2022年08 から
「高精度ナビの仕組み 鳥には地磁気が見えている」
この記事の中身は衝撃的に面白いのですが、その内容自体は説明しきれません。電子のスピンの変化を、視覚系で受け取っている、なんて、説明するには私の力量は足りない。
ただ、この記事の冒頭部分に面白い記述があったのです。
↓部分引用します。


 人々は鳥がなぜ季節ごとに姿を現しては消えるのかについて長い間頭をひねってきた。アリストテレスは、ツバメなどの一部の鳥は真冬の数カ月間冬眠し、それ以外の鳥は別の種類に姿を変える(例えば、ジョウビタキは冬の間コマドリに変身する)と考えていた。

あらら。
日本の七十二候にはありませんが、中国の七十二候には「雀入大水為蛤」というのがあるそうです。
寒露の次候に「雀入大水為蛤 雀が海に入って蛤になる 」というのがあるのだそうで。
(私は二十四節気までは理解しますが、七十二候は無視です。いくらなんでもなぁ、受け入れがたい。)
↓でもまあ、知識として耳にしたことはあるんです。

https://kigosai.sub.jp/001/archives/15285

雀蛤となる(すずめはまぐりとなる) 晩秋

【子季語】
雀大水に入り蛤となる/雀化して蛤となる
【解説】
二十四節気の一つである寒露を三つにわけたものの一つで、七十二候の一つでもある。寒い時期、人里に雀が少ないのは、海で蛤になっているためと考えられていた。

中国の季節感は日本とはずいぶん違うでしょうね。日本ではスズメは年中いますし、寒い時にまん丸に膨らんでいる姿は可愛いものです。(現代では、東京などではスズメを見ることが激減してしまって、それはそれで重大事なのですけど。)
「寒くなるとスズメが減る、海でハマグリになっているんだろう」
って。アリストテレスに通じるものがあるようですね。
ふ~ん。そういう感覚もあり得るのか、とサイエンスの記事に触発された次第です。

 

2022年8月 8日 (月)

原爆の日に寄せて

8月6日は広島原爆の日、8月9日は長崎原爆の日。
私自身は昭和23年生まれですので、直接の戦争体験はありません。
ただ、高校教師として、修学旅行などで広島や長崎の資料館へ生徒を引率していったことも度々。
担任を持つ体力を失ってからも、資料館へ行く生徒の事前学習などで、話をしたことも何度かあります。
個人的にも何度か行っています。

その中で、鮮烈な記憶が残っている出来事があります。
1982年1月。広島で行われた教育研究集会に参加した時のことです。

一つは詩人・栗原貞子さんとの一瞬の出会い。
もう一つは、広島の高校生にもらった原爆瓦。
これらの話は、過去記事に詳しいので、改めて書くことはやめておきます。

↓ぜひ読んでいただきたいのです。お願いします。3000度で焼かれた原爆瓦の写真もあります。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-9ff9.html
2010年8月 9日 (月) 出会い

上のリンク先から部分引用します↓

 どのような人と、いつどこで出会うのか、そんなことは全く分かりません。出会いを果たせないなら、それは己が未熟。いつどんなときでも、いかなる出会いにも正面と向き合えるか、それは自分を厳しく問う行為です。
「可能と思えるありとあらゆる準備の果てに、でたとこまかせ」を標榜しているのはそういうことです。最初から目的があってそれにかなわぬものは役に立たないと切り捨てるのでは、あまりに貧しい。豊かな出会いを逃してしまいます。
ありとあらゆることに「正面衝突」してこそ、出会いを捕まえることができるのでしょう。
・・・
◆この教育研究集会に際して、地元広島の高校生たちが元安川の河川敷で原爆瓦を拾い集め、洗い、全国から集まった先生方に配ってくれました。
・・・
表面はこんなです。3000度というような高温で焼かれて、瓦がふつふつと煮立ったあとです。この熱で、人も焼かれました。街のすべてが焼かれました。
そのことを思ってみて下さい。
資料館などで、展示資料のあまりの悲惨さに目をつぶって駆け抜けてしまう生徒がいます。感受性が高いのですが、それでいいのか?と自分の生徒には尋ねます。
悲惨な現実を見ることはとても辛いことだ、しかし、一番つらかったのは誰だ?
被爆した方々ではないのか?その辛さに比べれば、私たちが受け取る辛さなど何ほどのものでもない。ぜひ、受け止めてくれ。それが今生きている私たちの責任だ。とね。
・・・
授業は教師一人でできるものではないのです。生徒との共同作業で構築していくものなのです。ですから、教師と生徒は授業仲間なんですね。
長く教師をやりましたが、同じ授業なんてできません。いつも違う仲間とつくるんですから、同じものになるわけがないでしょう。授業は生きもの。仲間と育てるものです。
・・・
すべての人の心が「なぎ」わたりますように。
すべての「人と人の間」から、権力・力の関係が消滅しますように。

これと同じ内容を、今は月面にある「かぐや」に搭載されたプレートに書きこんでもらってあります。
私のメッセージは月面から地球を見ています。

夢を持て、夢に向かってひたすら努力せよ、夢にかかわりのないものは不要、夢がかなわなかったら
それは自分のせいだ。という自己責任論というものは、痩せてみすぼらしい不毛なものなのです。

↓もう一つの過去記事。原爆瓦についてです。どうぞ。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_e3cf.html
2007年9月 4日 (火) 原爆瓦

 

2022年8月 1日 (月)

アリの道しるべフェロモン

livedoor の方で、画像のないテキストだけの記事をアップロードしました。
そういうのはこのcocolog で書こうと思っていたのですが、話の流れでこうなりました。

自分ではかなり面白い話を書いたつもりです。
どうぞ、お読みください。↓
https://kuebiko.blog.jp/archives/15036084.html#more
アリの道しるべフェロモン 2022年07月28

よろしく。

2022年7月11日 (月)

奇数は対称性がいい

こんなタイトルの記事を ivedoor のほうにアップしましたので、お知らせします。

↓いろんな植物の葉の写真を使っています。どうぞ。
https://kuebiko.blog.jp/archives/2022-07-11.html
奇数は対称性がいい 2022年07月11日

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