「かかしさんの窓」が満杯になりそう

この「かかしさんの窓」というブログなんですが、契約容量は10GBなんですね。
で、長く続けてきたら、今9.9Gを超えました。
画像が多いせいですね。残りは100MBを切りました。
で、この残り容量は、テキストだけの記事に利用して、画像をいれる記事はどこか別のブログ・サービスへ移動しようと企てまして。

なんだかよくわからないままなんですが、ライブドアにしようと思っています。
かかしさんの窓は、6月から不定期更新になります。
しばらくの間、混乱すると思いますが、ご容赦ください。

一応、登録して、記事を書いてみました↓
初めまして 2022年05月27日
キアゲハが羽化しました。 2022年05月28日

エディタの使い勝手はcocologと似ているようですので助かります。
しばらく試運転を続けます。
cocologの方で更新したら、livedoor側からリンクする気ですが、逆はちょっと面倒だな。
もしよろしかったら、livedoorの方をお気に入りにしていただくと嬉しいのですが。
URLの書き方がよくわかっていない初心者で
↓これでいいようですね。
https://kuebiko.blog.jp

2022年11月21日 (月)

日食月食

朝日新聞の連載コラムなのですが↓興味深い話でした。
(山本みなみの鎌倉からの史)月食から守られた将軍(2022年11月17日)

 11月8日、442年ぶりの「皆既月食と惑星食」のため、多くの方が夜空を見上げたことだろう。
 メディアでは織田信長も見たかと話題になっていたが、中世の日食・月食に対する考え方は現在とは大きく異なる。
 日食や月食の光は、自然秩序の変異を示す穢(けが)れと認識されていた。11世紀末頃の院政期より幕末に至るまで、天皇は日食・月食の妖光から保護されなければならず、そのため御所を筵(むしろ)でつつむ行為が行われるようになる。天皇は聖なる存在であり、その身体を守ることが、国の安泰を維持するために必要であると考えられたのである。
 順徳天皇(後鳥羽院の皇子)が宮中の儀式や作法をまとめた『禁秘抄』には、「日蝕(にっしょく)・月蝕の際、御所を席(むしろ)で裹(つつ)み、決して光に当たらぬようにし、御持僧(ごじそう)(天皇加護の祈祷〈きとう〉を行う僧)が修法を奉仕する」とある。
 ・・・元久元(1204)年9月、将軍実朝が北条義時邸から帰宅する際、月食であったため逗留(とうりゅう)することにしたという話が『吾妻鏡(あずまかがみ)』にみえる。月食の光が、将軍の身体を穢すという認識を持っていたことを窺(うかが)わせる。
 将軍は、武家政権の首長として、国の安穏を体現する存在でもあったといえよう。(中世史研究者)

そうなのか。「天皇は日食・月食の妖光から保護されなければならず」なんですね。知らなかった。
現在は「日食 月食」と書きますが、もともとは「日蝕 月蝕」と「むしばまれる」できごとですものね。

↓参考
https://www.kcg.ac.jp/kcg/sakka/oldchina/tenpen/nisshoku.htm
日蝕故事

  古代中国では天変は政治の上で非常に大切でした。真偽はともあれこんな伝承があります。
夏の第4代仲康のとき天文官だった羲氏と和氏が酒色に溺れ、職務である天文観測をさぼり,日蝕の予報を出さず,暦を乱したのでクビ(罷免ではなく死罪)になったそうです。天文官たるもの職務には命をかけねばならず,星空を楽しむ余裕はなかったようです。その日付は詳しすぎてかえってアヤシイですが『書経』では季秋月朔と,また『竹書紀年』では帝仲康五年秋九月庚戌朔となっているそうです,もしホントなら世界最古の日食記録です。そこで紀元前19世紀,20世紀に洛陽で見える皆既日食を探すと・・・BC2004年2月27日、BC1961年10月26日,BC1945年7月3日,BC1903年9月15日が見つかり,どれも皆既食です。それらの日の干支はそれぞれ癸丑、庚子,己巳,癸亥で,記載とは合いません。
 ・・・

暦というものが民に対する権力者の権力の源泉のひとつであったようですね。

「暦はエレガントな科学」 石原幸男 著、PHP研究所、2012年1月10日第1版第1刷 発行

p.46「つまり暦の整備は『新秩序の形成』だったのです。爾来、中国ではこのことが重視され、暦は皇帝が『天意を知る者』として制定し、人民に授けるものとされました。」

p.63「じつは中国歴では日食月食の予測が重要だったからです。暦は皇帝が『天意を知る者』として人民に授けました。天意を知るといったって、口先だけで信用するほど中国人はお人好しではなかった。実証する必要があった。それが日食月食の予報だったのです。これが当たっているうちは皇帝は信頼された。しかしひとたび外れると、へたをすれば革命も起こりかねない。そんな緊張感のなかだ、天文学者たちは暦をつくりつづけたのです。」

いろいろ日食関係など読み歩いていたら、朝日新聞の「論座」というところで面白い記事を見つけました。
有料会員でなくても読めるようです。記事は長いので、終わり近くの一部を引用します。

↓論座
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2022111500001.html?iref=com_rnavi_chumo_n
皆既月食や日食に盛りあがる日本人の心に潜んでいるもの

・・・
古来、月は直接見るのは不吉とされ、水に映して楽しんだ

 さて、この目でみたい! とあれだけ盛り上がった月食観測の話に戻ろう。日本の文化歴史に詳しい、成願義夫氏(伝統デザイン研究家)によると、かつては月食はもとより月自体も直接は見てはいけないものだったらしい。特に女性が月を見るのは良しとされていなかったという(「女性が月を見てはいけないと言われる理由。ただの迷信じゃなかった!」女性の美学)。

その昔、月は直接見てはいけないものでした。
まして、月蝕はなおのこと、不吉とされていたのです。
それでも月を観たい人々が、見る方法はただ一つでした。
それは、手鏡か水鏡に写した月を間接的に観ることでした。
月を観たいのは、庶民だけではありませんでした。
最も位の高い日本人、そう天皇も月を観たかったのです。
しかし、天皇はご自分が最も上に座する人。
何かを見上げてはいけないのです。
さらに不吉な月を見上げるなんてとんでも無いことでした。
月を間接的に見下ろして、ご覧になる方法はただ一つ。
そこで、
嵯峨天皇は月を観るためだけに、池を造らせました。
その池が嵯峨にある広沢池です。
水鏡に映る月を見る『観月の宴』を船で楽しまれたそうです。
出典:成願義夫氏のフェイスブック(2022年11月9日)

 成願氏によれば、京都の桂離宮は池の水に月を映して見るために計算しつくされて設計されているという。「日本人にとって、満月が特別だったのはなぜか!?」(weathernews)という記事ではその計算された方位が示されている。
 ・・・
 満月を直接見ずに、鏡のような水面、まさに文字通り明鏡止水に映し出された月を真珠の粒として味わい、歌に詠む。これはこれでなんと風流なことだろう。
 月食にしても日食にしても、時々、全国で盛り上がる天体ショーはそういう古人が当たり前に行っていた行事を懐かしむ何かが私たちの中に潜んでいるからかもしれない。次の満月、部屋の明かりを全部消して、月明かりだけで一時を過ごし、歌でも詠んで平安時代の貴族の気分を味わってみてはいかがだろうか。

広沢池にそんな話があるとは全く知りませんでした。
今度、月見をするときには、手鏡を持って鏡に映る月を愛でてみませんか。
「私は見上げたりはしないのだ」と見得でも切りながら。

↓素性の確かなサイトにリンクします。
https://weathernews.jp/s/topics/201801/260095/
【中世日本の月食観】月食が怖かった!?

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9138/
ナショナル ジオグラフィック(NATIONAL GEOGRAPHIC) 日本版サイト
月食にまつわる各地の神話 2014.04.17

●追記
ここまでは土曜日にテキスト・エディタに下書きを書いておいて、あとはアップロードするだけだと思っていたのですが、日曜日の朝刊に思いがけない記事が載りましたので追記します。

↓朝日新聞デジタル
QuizKnockの朝日新聞クイズ(2022年11月20日)

・・・
 月食とは、太陽の光を受けてできた地球の影に月が入ることで、月が欠けたように見える現象のことです。したがって、三つの天体が太陽、地球、月の順で一直線に並んだときに起こります。これは満月になる条件と同じですが、地球が太陽を回る軌道面に対して、月が地球を回る軌道面が微妙に傾いているため、満月のたびに月食が起こるわけではありません。古代ギリシャの天文学者アリスタルコスは、月食の時に月に映る地球の影の大きさから、月の直径が地球の約3分の1だと推定しました。彼は太陽の大きさも求め、地動説の先駆者とされています。
・・・
 ■Q3 北欧神話では、月食が起きるのはどんな動物のしわざだと考えられていた?
・・・
 北欧神話では、ハティというオオカミが月を捕まえることによって月食が起こると考えられていました。北欧神話には他にも、日食の原因だと考えられていたスコルや、世界の終末に主神オーディンをのみ込むフェンリル、オーディンに仕えるゲリとフレキなどのオオカミが登場します。
・・・

アリスタルコスの推定は知りませんでした。
↓早速wikiを見たら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9
月の大きさ
アリスタルコスの『太陽と月の距離と大きさについて』の写本(10世紀頃)

アリスタルコスは月食の際に月が地球の影の中を通過する様子を観測した。彼はこの観測から、地球の直径は月の直径の約3倍であると見積もった。地球の外周を252,000スタディア(一説では約42,000km)であると求めたエラトステネスは、このことから月の外周を約14,000kmであると結論した。実際の月の外周は約10,916kmである。

そうだったのか。
理科年表によると

    赤道半径[km]
地球:   6378.1
月   :  1737.4

こうですので、6378/1737=3.67
です。
ごく大雑把な推定としては、いい線いってる、というべきでしょうね。
すごい人もいるもんです。

月蝕や日蝕は、オオカミが「蝕む」のだ、という神話を考えると、これらの現象はやはり「不吉」なものだったのでしょうね。

朝日川柳欄から

朝日川柳 山丘春朗選(2022年11月16日)

サピエンスなればこの惑星(ほし)救う知恵(福島県 柴崎茂)
{選者コメント。三句、G20とCOP27}

投稿者はもちろん「サピエンス」の意味をご存じで、だからこそこの川柳のひねりが効くわけですが。
読者はどのくらい御存知なのかな、と余計なことを考えて、注釈をつけます。

↓wikiから引用

ホモ・サピエンス(Homo sapiens、ラテン語で「賢い人間」の意味)は、現生人類が属する種の学名である[2]。ヒト属で現存する唯一の種。

↓辞書から

homo
►n (pl ~s) [OH-] ヒト,人間《ヒト科ヒト属 (H-) に属する動物の総称;現生人類 (H. sapiens),H. erectus などの化石人類が含まれる》.
[L homin- homo man]
リーダーズ英和辞典第3版より引用

sápience, -cy n 《文》 知恵 (wisdom);知ったかぶり,物知り顔.
[OF or L (pres p)〈sapio to be wise]
リーダーズ英和辞典第3版より引用

ホモ‐サピエンス【Homo sapiens ラテン】
(知性人・叡知人の意)現生人類の学名。新人。
広辞苑第六版より引用

というわけで、「賢い人間」が集まって会議をするのだから、当然「この惑星(ほし)救う知恵」が湧くだろう。
もし湧かなければ、「サピエンス」という名を返上しなくちゃいかんでしょ、ということですよね。

余分なことでした。失礼しました。

2022年11月 7日 (月)

今日は暦の上では「立冬」です

↓今朝のウェザーニュース
立冬の朝は今季一番の冷え込み 大阪や名古屋でも最低気温更新(11/7(月) 7:07配信)

今日7日(月)は二十四節気「立冬」で、暦の上では冬が始まる頃です。
暦にあわせたかのように、今朝は冷え込みが強まり、大阪や名古屋では今季の最も低い気温を観測しました。
・・・

NHKの気象情報でも「暦の上」と言っていたし、ウェザーニュースまで「暦の上」ですか。
ため息が出るな。
こういう表現をするとき、「暦」というのは旧暦をイメージしてますよね。
「立冬ったって、まだ秋でしょ。古い暦はこれだから困るよな」という感覚が漂ってませんか?
「二至二分」についてはその名前はほとんど異存はないでしょ。「四立」は?
秋分と冬至の中間点に名前を付けるとしたら何がいいでしょう?
「秋終わる」とか「冬始まる」でしょうね、どう考えたって。
で「冬始まる」という名前がついたんじゃないのかな。⇒で「立冬」
今日は、太陽の位置が春分の時から「225度」回った位置なんです。
天文学的な話なんですよ二至二分四立というのは。
名前を付けると、人はその名前に引きずられる。
「立冬か今日から冬なんだ」とね。
「今はまだ秋ですが、これから冬に向かいますよ」と理解してください。
他の「立」もね。
「今はまだ寒さの底ですが、これから春に向かいますよ」
「今はまだ蒸し暑くもないけど、これから夏に向かいますよ」
「今はまだ暑さのピークですが、これから秋に向かいますよ」
などなど・・・。

私は毎年のようにこの問題で騒いでるんですけどね。
月の暦は季節を表さない。季節を生み出す原動力は太陽ですからね。
月の暦の中に埋め込まれた太陽の暦が二十四節気なのです。
農事歴も月の暦では農業のガイドには適さないので、二十四節気をもとにして、農業ガイドをしているんですね。
「八十八夜」は立春から88日。365日で360度回るのですから、88日はほぼ90度。ほら立夏の直前になるでしょ。
「夏も近づく八十八夜」ですよ。
「二百十日」とか「二百二十日」というのは、立春から勘定した日数ですから、太陽暦の9月になりますね。
ホラ、台風シーズンだ。
こうやって生活の中に季節を書き込んであるのです。

↓過去記事です。どうぞお読みください
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-c386.html
かかしさんの窓
2017年1月13日 (金) 二十四節気

・・・
なにせ二十四節気は太陽の位置を示したものですから、太陽暦なんですね。{約15日刻みの太陽暦です}
ここを間違えないように。太陰暦ではないのです。
太陰暦は月の暦。月の暦では季節が表せない。季節を生み出すのは太陽ですからね。
そこで太陰暦の中に太陽の位置を書き込んで季節の進行をわかりやすくしたのが二十四節気なのです。
・・・

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-c386.html
かかしさんの窓
2010年1月 4日 (月) 二十四節気

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-d079.html
かかしさんの窓
2011年11月 8日 (火) 立冬

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2019/08/post-8217d8.html
かかしさんの窓
2019年8月 5日 (月) 立秋

2022年10月26日 (水)

化学の日

10月23日は「化学の日」だったそうですね。一応まぁ私は化学が専門の立場ですから、新聞の題字の下の小さな広告を見て、一瞬で「あ~そうか」でしたけど。わかります?化学が苦手になる一つの「躓きの石」かもしれないんですけど。

アボガドロ定数 6.02×10^23[mol^−1]

というやつです。{「^」はべき乗を表す記号として使っています。右肩の上に乗るやつですね}

↓当事者の日本化学会
https://www.chemistry.or.jp/kagakunohi/2014/09/1023.html
10月23日は「化学の日」

日本化学会,化学工学会,日本化学工業協会(日化協),新化学技術推進協会(JACI)の4団体が,毎年10月23日を「化学の日」,その日を含む月曜日から日曜日までの1週間を「化学週間」として制定しました。アボガドロ定数 6.02×10^23 mol^−1 にちなんだものです。各種イベントに使う缶バッジのデザインもできました。この産学官一体となった化学の普及活動が国民的イベントとなるよう,会員の皆さんこぞっての参加を呼びかけたいと思います。化学の市民権向上に向けて。

{イラスト}
chemiちゃん calちゃん
 も応援中です!!

よくやる話では。
12個のまとまりを「1ダース」といいますね。
原子分子の世界はスケールがものすごく小さいので、質量が人間の測定できるスケールになるまで集めると、ものすごい数になります。それがアボガドロ数なんですね。
これ以上は深入りしません。

ところで、「10の23乗」などというのは、私たちの日常生活には無縁な数なのでしょうか。
パソコンを扱っていると、「メガ」「ギガ」などの用語には日常的に接しますね。最近は「テラ」くらいまでスケールが上がってきた。
テラってどのくらい?
  10の12乗
なのです。
10の12乗 × 10の12乗 =10の24乗
ですから、アボガドロ数のスケールに来ましたね。
なんとなくスケール感がつかめるでしょうか。

「センチ」「キロ」・・・「メガ」「ギガ」・・・
こういうのを「SI(国際単位系)接頭語」といいます。
これが、まもなく拡張の予定だそうです。
これまでは、10の24乗を表す「ヨタ」が一番大きかったのですが。
窮屈になったんでしょうかね、拡張されるんですって。

https://unit.aist.go.jp/nmij/info/SI_prefixes/index.html
計量標準総合センター : National Metrology Insutitute of Japan (NMIJ)

SI接頭語の範囲拡張について
 大きな量あるいは小さな量を端的に記述するために、10のべき乗を表し、SI単位と共に用いられるものをSI接頭語と呼びます。これまでは、1024から10-24の範囲のものが認められていましたが、昨今のデジタル情報量の急激な増加など、科学技術の発展に伴いSI接頭語の範囲拡張が議論されてきました。2022年11月に開催予定の第27回国際度量衡総会において、1030、1027、10-27、10-30のSI接頭語の名称と記号が新たに提案される予定です。承認されれば1991年以来のSI接頭語の範囲拡張となります。 詳細は下記のファイルをご参照ください。ファイル内容の転載は自由ですので、SI単位に関する教育や広報にぜひご活用ください。

— SI接頭語の名称と記号 —
10^30 クエタ quetta Q
10^27 ロナ ronna R
10^24 ヨタ yotta Y
10^21 ゼタ zetta Z
10^18 エクサ exa E
10^15 ペタ peta P
10^12 テラ tera T
10^9 ギガ giga G
10^6 メガ mega M
10^3 キロ kilo k
10^2 ヘクト hecto h
10^1 デカ deca da

10^-30 クエクト quecto q
10^-27 ロント ronto r
10^-24 ヨクト yocto y
10^-21 ゼプト zepto z
10^-18 アト atto a
10^-15 フェムト femto f
10^-12 ピコ pico p
10^-9 ナノ nano n
10^-6 マイクロ micro μ
10^-3 ミリ milli m
10^-2 センチ centi c
10^-1 デシ deci d

↓「下記のファイル」とある文書です。
https://unit.aist.go.jp/nmij/info/SI_prefixes/pdf/SIprefixes.pdf
2022 年 4 月 13 日 計量標準総合センター
SI 接頭語の範囲拡張

↓朝日新聞の記事から部分引用
ギガよりゼロが21個多い 宇宙の果てより遠くも表せる大型ルーキー(2022年7月31日)

・・・
 いま接頭語で表せる最も大きな桁は10の24乗の「ヨタ」、小さな桁は10のマイナス24乗の「ヨクト」だ。そこに10の30乗を表す「クエタ」と27乗を表す「ロナ」、10のマイナス27乗を表す「ロント」とマイナス30乗を表す「クエクト」が加わる見込みとなった。
・・・
 計60桁を接頭語がカバーするようになる意義を、長さの単位「メートル」で考えてみよう。
 人間の身長はスケールで言えば、ざっくり「1メートル」だ。それに対し、地球から観測できる宇宙の果てまでの距離(約138億光年)は、10の26乗メートルのスケールで、「約0・1ロナメートル」と言いかえられる。
 「プランク長(ちょう)」と呼ばれる現代の物理学で扱える最小の長さは、10のマイナス35乗メートルのスケールで「約0・00001クエクトメートル」と言える。
 つまり、四つの「ルーキー」の登場で、人類が現時点で認識しうる世界の全スケールを接頭語でスカッと簡潔に表せるようになるのだ。
・・・

 今年11月の会議で1991年以来、31年ぶりに四つの接頭語が加わる背景には、情報科学の発展によるデジタルデータ量の爆発的な増加がある。
 米国の調査会社IDCによると、2010年に世界に存在したデジタルデータ量は約1ゼタ(10の21乗)バイトだった。しかし、20年には新型コロナウイルス対策によるビデオ会議や映像配信の増加で約59ゼタバイトに到達。25年には約175ゼタバイトになると予測されている。
 このデータ量を現在の米国のインターネット平均接続速度で1人でダウンロードしようとすると、18億年かかるという。
・・・(後略)

なんだかなぁ。ものすごいことになってきましたね。
テラ バイト級のハードディスクでも買おうかなぁ。時代遅れになりそうだ。

↓過去記事です
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-6b91.html
2014年10月27日 (月) 化学の日

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/post-84c2.html
2018年10月23日 (火) 10月23日は「化学の日」

2022年10月25日 (火)

無重力と無重量

東京新聞の10/18の記事で

無重力アート制作に成功 「世界初」と京大チーム
2022年10月18日 19時46分 (共同通信)

こういう記事を見かけました。

・・・
チームは、芸術家が微小重力の環境下でアート作品の制作に成功したのは「世界初」としている。
チームによると、飛行機で急上昇した後にエンジンを切って急降下させることで微小重力の状態を作り、薄いゴムの膜に乗せた絵の具に下から音で振動を加え、絵の具を数十センチ跳び上がらせた。昨年8月に16作品を制作した。
・・・

微小重力下でのアート作品ということでは「世界初」なんでしょうが、原理的には何も新しいものはないのです。

「宇宙に行くと無重力。地球上では無重力にはならない。」と思ってませんか?
上の引用中にあるように、ジェット機を急上昇させ、エンジンをごく細く絞って(空気抵抗に勝てるくらい)、落下すると、落下中、機内はほぼ「無重量」状態になるのです。
今はどうやっているかは知りませんが、宇宙飛行士の訓練として、このジェット機の急降下による何十秒かの無重量体験が行われました。
逆に、ロケット発射時の強い重力に耐える訓練は、遠心力を利用して壁に押し付けられる力で体験したはずです。

実は、宇宙全体を見渡すと、重力が満ちているのです。「宇宙は無重力」なんてのはウソっぱち。
太陽系は重力でまとまってますよね。
恒星たちが重力でまとまっているのが銀河。
銀河が重力で集団をつくると、銀河団やら銀河群を構成する。
銀河団や銀河群が重力で、1億光年を超える程度の構造を構成すると、超銀河団。
すごいでしょ。宇宙には重力が満ち満ちているのですよ。

重力はあるんだけど、重力に従う自由な運動体の中では重さを感じません。それが「無重量」です。
重さは感じていないけど、質量はあるんです。体重の小さな人と大きな人が綱引きをすれば、体重の大きな人が小さな人を引き寄せる感じになります。力が加わった時の動きやすさの尺度=質量ですからね。
F=Mα
α=F/M
質量が大きいと、加速度が小さい=動きにくい
なのです。

で、地球上で無重量状態に近い状況を作るには、ジェット機を使う手もありますが。
地下深くへの廃坑を利用して、自由落下せる手もあるのです。

↓このあたりのことは、去年の「かかしさんの窓」で詳しく書きましたので、そこへリンクします。
自由落下中に起きる、ほぼ無重量の話は、3番目が詳しい。ぜひどうぞご覧ください。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2021/08/post-0da80d.html
2021年8月10日 (火) 宇宙=無重力 ?

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2021/08/post-dfcac2.html
2021年8月10日 (火) 無重力

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2021/08/post-e82dea.html
2021年8月10日 (火) 大気圏内での無重量・地下での無重量

↓参考
https://astro-dic.jp/supercluster-of-galaxies/
天文学辞典 > 宇宙の進化 > 大規模構造 > 超銀河団
超銀河団

銀河の集団である銀河団や銀河群が、複数個以上連なった大構造のこと。およそ1億光年程度以上の大きさを持つ。フィラメントと呼ばれるブリッジ構造を介して連なっている。大規模な銀河の赤方偏移サーベイなどによってその存在が明らかになっている。数値シミュレーションによっても、重力によるダークマターの構造進化の結果、このような宇宙の大規模構造が再現されている。近傍宇宙ではわれわれの天の川銀河(銀河系)が属する局所超銀河団や、ピセス-ペルセウス超銀河団などが知られている。宇宙には逆に銀河がほとんど存在しないボイドと呼ばれる場所があり、対照的である。近年の研究で、局所超銀河団はその約100倍大きなラニアケア超銀河団の一部であることが分かった。

 

北前船

朝日新聞の10/18の記事が気になりまして。

水中考古学、夢も発掘した18歳 一冊の本きっかけ、クラウドファンディングで資金集め
2022年10月18日 16時30分

 京都府北部の日本海に面した漁港で、海に眠る遺物を探す調査が行われた。1人の高校生が抱いた夢が、水中考古学の専門家らを巻き込んだプロジェクトに発展して実現した。江戸時代に船を係留するのに使ったとみられる設備など、貴重な発見があった。

 緑豊かな山に囲まれた京丹後市の旭漁港。9月下旬、台風14号が去り、天候が落ち着いた湾内に、ウェットスーツに身を包んだ調査メンバーが散らばった。ゴムボートで漁港がある湾を移動して地形を調べたり、水中に潜って遺物を探したりしていった。
・・・
 コロナ禍で8月に予定していた調査は延期になり、9月に実現した今回の調査も台風14号が直撃。期間の前半は海に入れなかったものの、海岸の岩場では、船を係留するための綱を通す穴が開いた「鼻ぐり岩」や、綱をかけられるように加工された「もやい岩」が約30個確認された。陸上でも、台風で打ち上げられた土砂に混じって江戸時代のものとみられる陶磁器の破片が見つかった。
・・・
 調査後に開かれた現地説明会兼オンライン報告会で佐々木さんは、「船をつなぎとめる設備がこれほどの密度で見つかるのは珍しい。古い文献にも記載があるが、江戸時代、大型の船と小型の船で荷物を積み替えていたと推測できる」と話した。今後、船から落ちた物などを探す潜水調査も考えているという。
・・・

地元の羽間さんという女子高校生も調査に参加していた、ということも記事では強調されていましたが、ここでは割愛。
引用した記事中の「佐々木さん」というのは、福岡県在住の水中考古学者、佐々木蘭貞(らんでぃ)さんという方です。

で、私が気にしたのは、京丹後市の旭漁港という日本海側の海中に、「大型の船と小型の船で荷物を積み替えていたと推測できる」遺跡が見つかったという点。

「日本海側は辺鄙なのに」という感じを受けませんか?

いえいえ。高校の日本史にも出てきたのではないかとも思いますが、中世から江戸時代の航路は日本海側が主流。
太平洋側の航路は、波も荒いし潮の流れがきついんですね。日本海側の方が穏やか。船だって今のような巨大な船じゃなし。
で、日本海側の航路は栄えていたのです。
(サーフィンは太平洋側が主でしょ。日本海側の波はいまいち。太平洋側は、長い距離を風に吹かれて波が来るので、吹送波が大きいのです。日本海側は吹かれる距離が短い。)

「北前航路」なんて有名なんだけどな。

↓日本海事広報協会
https://www.kaijipr.or.jp/mamejiten/fune/fune_3.html
北前船ってどんな船

 江戸時代には日本海や北海道の港から江戸や大坂(大阪)へ、米や魚などが船で運ばれていました。船は瀬戸内海をとおって大坂、江戸へ向かう西廻り航路か、津軽海峡をとおって江戸へ向かう東廻り航路を利用しましたが、西廻り航路を走る船を北前船と呼ぶようになりました。なぜ北前船と呼ぶのかについては、北廻り船がなまったという説、北前とは日本海の意味で日本海を走る船だからという説など、いくつかあります。
 18世紀のはじめごろになると、西廻り航路が東廻り航路にくらべてさかんに利用されるようになりました。というのは東廻り航路では太平洋側を北へ向かう黒潮の流れにさからって走らなければならないため、当時の船では航海がたいへんだったからです。また、西廻り航路のほうが荷物を安く運ぶことができたからでした。
・・・

↓このページの上から1/3位のところかな、良い図があります。
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-11.html

十三湖、能代、秋田、酒田・・・
主要な中継地点がわかります。
私は生まれたのは能代市ですが、1歳ちょいまでしかいなくて、それ以降は東京育ちです。
でも、親戚などが能代市や八峰町などに多いものですから、秋田県に親近感があります。
八峰町は青森に近くて、津軽弁に近い方言になじみがあるんですね(純粋津軽弁はチト無理ですが)。
そんなこんなで十三湖も知っている。今はあまり「栄えている」という状況でもないのですけど、江戸時代には北前船の港として栄えたのです。そんなことも知ってほしいな、と。

↓参考に。
https://aomori.uminohi.jp/report/noheji-kitamae/
海と日本PROJECT in 青森県
“誇り”は海の向こうからやってきた!―野辺地町と北前船―

京丹後市には御縁はないのですけど、日本海側の航路は重要なものとして栄えていたのだ、ということを知っていただきたいな、とこの記事になりました。

2022年10月24日 (月)

人は生きることがその人の最大の役割

前の記事で扱った朝日新聞の読者投稿欄「声」、同じ日の「声」にもう一つ「重みのある言葉」を読みました。

「声」生きること、それこそが人の役割
2022年10月18日 5時00分

・・・
 「おやじのせなか」(9日本紙)の「人にはそれぞれ役割があってそれぞれの仕事をしている」という言葉に目がとまりました。私は「人は生きることがその人の最大の役割」という意味だと受け止めました。誰かの役に立つことも大事ですが、それよりも「生きること」自体が、人の尊い最大の役割だと今は感じています。
・・・

ここで触れている「おやじのせなか」は、南野陽子さんのお話でした。
佳い言葉を聴かせていただき、悦びに浸っています。

地球上を滔々と流れる38億年に及ぶ「生命の大河」から生まれたこの命。
生きる力のある限りを生き切るのが、私に与えられた使命だと思っております。
「生命の大河」から生まれて「生命の大河」へ還る。それが生きるということだと思っています。
「墓」などという人間の文化は不要。
地球そのものこそが私の墓標です。
すべての生命はそのようにして生き継いできたのですから。

今日までそして明日から

朝日新聞の読者投稿欄「声」に、吉田拓路さんに関する投稿が載りました。
「声」拓郎、まだまだ人生を語らないで
2022年10月18日 5時00分

「人間なんて」の絶叫を聞かれたのが高校生の時だった、という方です。
私はもう大学生だったな。
さらに「今日までそして明日から」への言及もありました。
懐かしいな、大好きな歌です。

↓こんな歌です。(昔はもっと叩きつけるような歌い方だったような気もしますが)
「吉田拓郎 今日までそして明日から」
https://www.youtube.com/watch?v=rh76yCwMy7s
from 「'90 日本武道館コンサート」
弾き語りversion.

この歌のリリースは1971年だったそうで。私はもう23歳。
東大闘争の後でした。一応、大学そのものは通常に戻ったのですが、普通には3月卒業なのに、6月に卒業させるという話になりまして。私はへそを曲げた。ちゃんとした時間をかけて学んでいないのに、卒業させられるのは嫌だ、と、個人で卒業拒否をしました。後は卒研さえやれば卒業単位は満たされるというところで、単位取得をやめて留年したんです。理学部化学科です。
その最中ですかね、この歌がリリースされたのは。
農学部へ行って生化学で分子生物学的な講義を聞いたり、理学部動物学科へ行って、単位にならなくていいからゼミに参加させてください、とお願いしたら、歓迎されましたっけね。視覚の生理学についての英語の本を読みました。おかげで視覚の生化学に詳しくなってしまった。いろいろさまよい歩いていたころです。ひょっとして本川達雄さんとすれ違っていたのかも。
そんな宙ぶらりんな私には、この歌、心に沁みましたねぇ。
教師になろうかな、という感覚は結構根強かったのですが、化学科を出て化学教師になるということに、なんとなくすっきりしなくて。科学史・科学基礎論の大学院へ。多士済々でね。化学科出身の私、物理学科や数学科出身の人もいまして。なんだかすごい2年間でした。バビロニアの楔形文字で書かれた数学を学んだり、変体仮名の古文書を読んだり、ラテン語の論文を読んだり、まあものすごかったな、ハードでしたが面白かった。
そして教師になったわけですが。
その時々に出会った経験は、全部、教師としての基盤になったと考えています。

★教師として
私の信条は「人事を尽くして 出たとこ勝負」なのです。
授業というのは、教師一人で創れるものじゃない。生徒の反応があっての授業。教師と生徒が共同で創出するものなのです。
よく、教師なんて毎年同じことを教えるんだから楽なもんだ、という感覚が語られます。
それはない。教えるべき知識は確かに教師側に豊富にありますけどね。
「毎年違う生徒と授業をやるんだから、同じ授業なんてできるわけがない。」と生徒にも語りかけましたっけね。
授業に臨むに際して、その時点で考えられることは考えつくす、そして教室では生徒との切り結び合いですよ。出たとこ勝負。
何をを見ても「教材」にみえる、という「眼」になりました。そして毎年新たな教材を身に備えて授業に出る。
楽しかったですよ。
出会いによって、どんどん変わる私。自分が変わっていくことを恐れず、楽しむ。
それが「私の生き方」なんです。拓郎の歌が身に沁みます。

★夢を持て
この言葉が嫌いです。
夢を持て、その夢の実現に邁進せよ。もし夢が実現しなかったら、それはお前のせいだ。
一つの道を究める。精進する。こういうの日本人は好きですね。
それと新自由主義的な「自己責任論」が一緒になってしまう。

「夢を持て。夢は必ずかなう」なんて噓なんだよ、と私は生徒に言い続けました。
「夢を持つことはいいことだ。でもそれにこだわることはない。出会いを大事にして、選択を大事にして生きていけばいい。人生をそれなりに生きてから振り返ると、『ああ、あの夢が自分の人生の軸だったんだな』となるんだよ」と語り聞かせました。
「夢を持て。夢は必ずかなう」というのは薄っぺらな言葉です。
どこでどう変わろうといい、逃げずに引き受ければいいのです。

「どこでどう変わってしまうか。そうですわからないまま生きていく、明日からのそんな私です」

とね。

2022年9月20日 (火)

フェーン現象

気象の話ついでに、フェーン現象について。
テレビのニュースワイドショーというんですか、そういうので、フェーン現象が話題になっていました。
湿った風が山を越えて吹き下ろして乾いた熱風となり、気温が上昇するという現象。
コメンテイターの人がトンデモなことを言っていた。
「山の上を通過するときは太陽に近いから暖められて降りてくるのかな」
ガクッ。もと理科教師としてはもう情けなくって、とほほ。
私、教師歴の最初の2年は中学校で理科を教えていました。第一分野と第二分野、両方とも。
中学理科の第二分野で、フェーン現象について話をしたよなぁ、ちゃんと。
自分で解説する気も起りませんので、参考サイトへリンクします。良い図もありますよ。

↓中学生向けの解説
https://school-turnup.com/p-18349/

〔質問〕
フェーン現象はなぜ起こるのですか?
〔回答〕
気温は「標高が高い場所に行くほど下がる」という性質があります。
その温度変化の仕方には湿度が関係していて、露点をむかえてからは「温度変化の割合が小さく」なります。
しかし、山を越えたあとの空気は乾燥していて、ふつうの割合で温度が上昇していきます。
したがって、山を越える前の気温の変化よりも、越えた後の気温の変化の方が大きくなります。
〔詳細〕
フェーン現象とは、水蒸気を含んだ空気のかたまりが山を越えるとき、
「山の風上側~山頂にかけて雨を降らし、風下側では乾燥して気温が高くなる」現象です。

①風上側から、水蒸気を含んだ空気が山を越えようと上空へ進む
②露点をむかえるまでは、「100m上昇すると1℃ずつ」気温が下がる
③途中で露点をむかえた後は、「100m上昇すると0.5℃ずつ」気温が下がる
④雲をつくり、雨を降らしながら山頂へ向かった空気の湿度は下がることになる
⑤山を越えた風下側では、「100m上昇すると1℃ずつ」気温が上がる

したがって、
〔風上側で下がった温度〕<〔風下側で上がった温度〕
となるので、風下側の気温が高くなってしまうということです。

↓気象庁
https://www.data.jma.go.jp/cpd/j_climate/hokuriku/column01.html
日本の気候 北陸地方の天候 フェーン現象

↓気象庁、子供向け
https://www.jma.go.jp/jma/kids/kids/faq/a3_04.html
フェーン現象って何?

https://kotobank.jp/word/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E7%8F%BE%E8%B1%A1-172971
フェーン現象

風が山脈を越える際、風が山腹を上がる時は100mに付き約0.5℃気温が下がり、山頂を越えて吹き下がる時は100mにつき約1℃温度が上がる現象をいう。もともとドイツのフェーン(Foehn、ドイツ語表記では Föhn )地方でおきていた現象から命名されたようで、日本では夏の日本海側におこる熱波が有名である。平地に注ぐ空気が乾き、温度が高くなる為、パラグライダーにとっては思わぬ高度を稼ぐチャンスである。ただ、基本的に強く、山を越えてくる風の為、バンピーなコンディションであり注意が必要。冬の太平洋側でもフェーンは起きているのであるが、もともとがシベリアの寒気団であり、フェーンによる気温の上昇はあまり感じられない。

冬の関東の「からっ風」も一種のフェーン現象です。日本海を渡って水蒸気をたっぷりふくんだ北西風が、日本海側で雪を降らせ、乾燥して関東平野へ吹き下ろす。からっからに乾燥した風が吹きますね。北風小僧の寒太郎ですね。

思い出話:私、NHKラジオの気象現況を聞きながら天気図を描くという趣味があったのです。小学生ころからかな。
登山をする人は、自分で天気図を描いて気象の変化を読み取り、安全な登山をするように、と言われていたと思いますが。
中学教師になって、渋谷の書店で「天気図用紙」を私費で購入し、ラジカセに気象現況を録音し、教室でそれを流しながら生徒に天気図を描かせましたよ。
「前線」というのは性質の異なる空気の塊が接する場所なんだよ。前線を挟んだ空気の押し合いが前線上の低気圧をつくる。
それと天気の関連とか、結構いろいろやったんだけどな。

今時になって、茫然とする私なのでした。

台風など

記事を書いている今は19日の午後です。台風14号の影響で、日がさして影がくっきりと思うと直後に大きな雨音を立てて雨が吹きつけてきたり。かわりやすいったらありゃしない。雨戸を閉めて何か飛んできても被害が少ないようにと、お籠り状態です。で、年寄りの台風の記憶など、少しだけ。

①:洞爺丸台風
 1954年9月の台風です。
私は1948年生まれですので、当時、6歳ですね。小学校に上がる前の年。
当時、一家4人で、八畳間一部屋で生活していました。家主さんの自宅の2階の部屋を借りていた。
家主さんは息子さんを戦争で亡くした高齢女性で、一人暮らし。仏壇に写真を掲げていらしたな。私は孫のようなもので、かわいがっていただきましたっけ。
戦後をまだ引きずっている時代です。水道もなく、井戸水で生活してました。
で、台風が来ました。父親は仕事に出かけていて、家には母と兄と私の3人。
ものすごい風でね。2階の部屋の天井下の壁が3尺四方、吹き抜かれてしまったのでした。
焦った。台風の風が吹き込むと、屋根を持ち上げて屋根が吹き飛ばされると聞かされていまして、わ、屋根が飛んじゃうのか、と、恐怖。
私より5歳年上の兄と母二人で、ベニヤ板を切り、必死になって穴をふさいだ。ま、何とか耐え抜きまして、無事でした。
でも、怖かった。これは忘れられません。
後になって、ラジオのニュースで被害状況を知り、改めて恐怖を覚えたのでしたっけ。

↓参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%88%BA%E4%B8%B8%E5%8F%B0%E9%A2%A8
洞爺丸台風

概要
 この台風は九州地方・中国地方を上陸通過し、日本海へ抜けた後に更に発達しながら北上。函館港沖では洞爺丸事故を、フェーン現象により岩内町では3,300戸を焼失させる岩内大火を引き起こすなど、北海道を中心に多数の犠牲者を出した台風である[1]。
 豪雨による水害をほぼ起こさなかった反面、強風による被害を大量にもたらした、いわゆる「風台風」であった。
 ・・・

経過
 台風15号は、9月18日にカロリン諸島付近で熱帯低気圧として発生し、21日には台風となったが、すぐに勢力が衰えた。
 ところが、23日には台風に復活、23日9時には中心気圧992ミリバール(mb、現在のヘクトパスカルに同じ)、24日9時990ミリバール、25日9時には975ミリバールと次第に発達しながら台湾の南東海上で転向、急激に加速しながら北東に進み、9月26日未明に鹿児島県大隅半島に上陸、このときの勢力は中心気圧965ミリバール、最大風速40メートルであった。
 時速75キロから80キロで九州を斜走。上陸後以降に勢力を増し、朝には中国地方から日本海に出てさらに時速110キロという異例の速さに加速しながら北東から北北東に進んだ。風速20m以上の暴風圏は26日段階で九州から北海道まで日本全土に広がった[2]。
 9月26日9時には964ミリバール、15時には960ミリバール、北海道西岸に達した21時には956ミリバールとなっている。その後、北海道からオホーツク海を進み、9月28日9時にカムチャツカ半島付近で温帯低気圧に変わったが、通常の場合、海水温が低下した9月末の日本海で台風が発達することはほとんど考えられないため、実際には、台風が九州に上陸する9月26日3時頃から温帯低気圧に性質を変えていた(いわゆる「爆弾低気圧」と呼ばれる状態になっていた)と見られる。
 北海道に接近した頃に最盛期を迎え、同時に一時的に速度を時速40キロ以下に落としたため、北海道を中心とする北日本では猛烈な暴風による被害が大きかった。すなわち、最大風速は寿都で42.0メートル(最大瞬間風速53.2メートル)、室蘭で37.2メートル(55.0メートル)、留萌で35.2メートル(45.8メートル)に達したほか、各地で30メートル以上となった。

転覆した洞爺丸
 そのため、家屋の全半壊や倒木などの風害が顕著だった。岩内町では火鉢の飛び火が原因による大火(岩内大火)で、3000戸あまりが焼失。森林が受けた風害はすさまじく、支笏湖周辺などでは全山の大木が根こそぎ倒された。
 また、青函連絡船では洞爺丸の遭難により1,139名が犠牲となり、他にも連絡船4隻の沈没・転覆により多数の犠牲者を出す、海難史上まれに見る大事故が発生しているほか(この事故が後の青函トンネル建設の契機ともなった)、9月26日には海難救助にあたっていた海上保安庁のはつなみ型巡視艇「うらなみ」が二次遭難している(乗員は全員救助)[3]。また台風が通過した西日本でも大きな被害が出ている。
  ・・・

台風自体が時速100kmなどという速度で進むなんて、まったく想像の及ばない出来事です。
こわかったな。20歳の時に北海道へ旅しましたが、青函トンネル(昭和63年開業)はまだ当時はありませんで、青函連絡船で渡りましたっけ。これがあの青函連絡船なのか、と感慨深かったな。

・内緒話:新聞を読むような年齢に達する前、ラジオの音声でのみニュースを聞いていた私の大誤解。
「たいふういっか」という言葉を当時の私の語彙の中で「台風一家」だと思っていました。大誤解。台風って家族連れで来るのかな、などと、わけのわからない状態で。
「一過性」という言葉を知ったのはかなり後になってからのことでした。テレビなら字幕があるのでしょうけれど。ラジオのみの時代の餓鬼の誤解でした。
同じような大誤解をご紹介。お名前を忘れましたが、有名な女性詩人だったかな。シャボン玉の歌を聞いて「屋根まで飛んだ」というのを、シャボン玉が「屋根まで飛んだ」のではなく、風にあおられて「屋根が吹っ飛んでしまった」と聞いておられたとのこと。
子どもが耳だけで得る情報はこんな誤解を生むこともあるのです。

②:伊勢湾台風 1959.9
私11歳でしたね。現在の上皇ご夫妻の結婚とパレードで日本中がにぎわい、中継を見ようと白黒テレビでしたがテレビが猛烈に普及したのでした。我が家も御多分に漏れず、テレビなどというものを購入、珍しかったなぁ。(カラーテレビが普及したのは東京オリンピックの時でした。)
その年の9月。伊勢湾台風。気圧が低くて海面上昇、吹き付ける風が湾口から吹きこんで高潮が発生。
テレビ画面に映し出された映像がショック。一面が水没していましたっけ。

・ある意味で似た出来事:チリ地震津波
1960年5月、チリ近海を震源としたマグニチュード9.5という、観測史上最大級の地震。この地震による津波が地球を半周して日本に到達しました。三陸沿岸のリアス式海岸の湾の奥で海面が猛烈な上昇をして、多数の死者が出た。

開いた湾口から狭い湾の奥へ。その意味で、伊勢湾台風と共通するものがありましたっけ。小学校6年生だったかな。驚きましたっけね。

«今日は「重陽の節句」です

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